現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史

 こんにちは。月イチ更新で進めている当ブログですが、今回は臨時号です。前回に記事「アンソロジーの味わい」では、井上堅二ほか『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』(ファミ通文庫、2017年10月発売)を紹介しながら、ライトノベルの新しい動向について論じました。

 この記事を書くなかで考えた二つのことがあります。一つは、現代日本ライトノベルにアンソロジーが少ないのはなぜなのか、ということ。もう一つは、数少ないながらも出版されているアンソロジーの歴史はどのようなものなのか、ということです。ですので、今回は「ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史」と題して、この問題に挑んでゆこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

―目次―

 

1.ライトノベルにおけるアンソロジーと短編小説

(a) そもそも「アンソロジー」って?

 そもそもアンソロジーanthology)とは複数の作者の詩や文章を集めて編まれた本のことです。かつては、日本の和歌集になぞらえて「詞華集」という訳語が宛てられていましたが、最近はあまり見かけないですね。古くは、西洋では古代ギリシア警句集や詩集、東洋では漢詩選が知られ、日本でも和歌集が伝統的に編まれてきました。支配者にとって「教養」が文化的な資源であった時代では、その「教養」を得る手段としてアンソロジーが重要な役目を持っていたことは見逃せません。

 近代に入って、小説というジャンルが定着し、出版が大衆化するなかで、一人の作家が一冊の本を出版するというスタイルが徐々に拡大してゆきます。それでもアンソロジーは、「名作」を手軽に読みたいという読者の要求や、安価かつ簡便に本を出したいという作者の要求に応える出版スタイルとして今日まで定着しています。

 複数の作家が作品を発表するという点では、文芸雑誌はアンソロジーと似た性格を持っています。文芸雑誌のことを商業化した同人誌と捉えるのであれば、雑誌はアンソロジーの一種と見ることもできるでしょう。ですから、アンソロジーを特別に出版する際は、何らかの共通テーマを設けたり、記念出版として刊行する場合が多いように思います。

 

(b) ライトノベルはアンソロジーが少ない

 さて、現代日本ライトノベルでは、アンソロジーは一般的ではありません。それはどうしてででしょうか。それは、第一にライトノベルの出版スタイル(あるいはビジネスモデル)に求めることができそうです。

 現代日本ライトノベルの一般的な出版スタイルは、単行ハードカバー本と比べて安価な文庫本に書き下ろすものです。それだと出版社の儲けが少ないので、多くの作品がシリーズ化を前提としていて、人気が出れば多くの冊数を刊行します。さらに、刊行スピードも数ヶ月~半年程度と、他の分野と比べて非常に早くなっています。〈安く、そして、大量に〉が基本スタイルということです。

 

 第二に雑誌と短編小説の役割にも注目してみましょう。ライトノベルの雑誌は他の文芸誌と異なり、新作の発表の場としては位置づけられていません。むしろ、人気長編シリーズの短編を主に掲載する場となっています。雑誌に単発の短編小説が入り込む余地はあまりないのです。以前、ライトノベルにおける短編小説の特殊性について、具体的な事例を取り上げました(短編小説賞と「家族」問題をご覧下さい)。短編小説から人気作が出にくいのは、こうした事情が考えられます。

 このような特殊な事情を抱えながらも、アンソロジーの企画・出版されるということは、実に驚くべきことです。そこには、出版社や作家の意気込みが詰まっており、それゆえに味わい深い作品が登場することになるのでははいでしょうか。

2.ライトノベルにおけるアンソロジーの歴史

(a) 源流としてのゲーム小説

 ライトノベルにおけるアンソロジーの歴史を紐解くとき、最初に現れるのはリプレイものに代表されるゲーム小説です。富士見書房の「ドラゴンブック」、メディアワークスの「電撃ゲーム文庫」、ファミ通文庫の前身にあたる「ログアウト冒険文庫」や「ファミ通ゲーム文庫」など、1990年代以来のライトノベルのもう一つの側面がゲーム小説と呼ばれるジャンルでした。これらの作品では複数の作家が関わることとも多く、2000年代に入ってからも、『月姫』、『ToHeart2』、『ファイナルファンタジーXI』といったゲーム作品や、『ソード・ワールドRPG』といったテーブルトークRPG作品などのアンソロジーが刊行されています。

 以下に見る、オリジナル小説のアンソロジーを発行している富士見書房ファンタジア文庫・ミステリー文庫)ファミ通文庫は、ゲーム小説の刊行元という点で共通していることが指摘できます。

 

(b) 富士見ファンタジア文庫・ミステリー文庫:お祭り騒ぎの楽しさ

 ライトノベルにおけるアンソロジーの2大発行元、富士見書房を見てみましょう。富士見ファンタジア文庫1000冊記念として出版された『突撃アンソロジー 小説創るぜ!』(富士見ファンタジア文庫1000、2004年4月発売)は、秋田禎信神坂一賀東招二榊一郎の4人が読者応募の設定をもとに短編を書くという企画で、1990年代後半から2000年代前半のファンタジア文庫絶頂期の勢いを感じさせる抱腹絶倒の内容です。同じく2000冊+25周年記念の際も、ファンタジア文庫編集部編『ファンタジア文庫25周年アニバーサリーブック』(富士見ファンタジア文庫2000、2013年3月発売)がありますが、こちらは当時の人気作の短編6つを集めただけという印象が強く、正直拍子抜けしました。また、『スレイヤーズ25周年あんそろじー』(2015年1月発売)は面白かったと記憶しています。

 富士見書房で忘れてはならないのが、『ネコのおと』(富士見ミステリー文庫、2006年12月発売)です。これは新井輝築地俊彦水城正太郎師走トオル田代裕彦吉田茄矢あざの耕平の7人によるリレー小説で、各々の作品のキャラクターが縦横無尽に登場し、ほとんど悪ふざけの展開で次に書く人を困らせる伝説の作品です。『小説創るぜ!』的なエネルギー迸る、富士見書房のお祭り騒ぎを感じることができます。

 

(c) ファミ通文庫:コンテンツ重視とテーマ重視

 さてさて、現代日本ライトノベルにおいて、もっともアンソロジーを出しているのはファミ通文庫です。これまでに刊行されたシリーズは以下の4つ。(1)コラボアンソロジーは、『コラボアンソロジー1 狂乱家族日記』(2008年8月発売)、『コラボアンソロジー2 “文学少女”ガーゴイルとバカの階段を昇る』(2008年10月発売)、『コラボアンソロジー3 まじしゃんず・あかでみい』(2009年1月発売)の計3巻が刊行されています。このシリーズは、日日日狂乱家族日記』、井上堅二バカとテストと召喚獣』、榊一郎まじしゃんず・あかでみい』、櫂末高彰学校の階段』、田口仙年堂吉永さん家のガーゴイル』、野村美月“文学少女”』シリーズといった人気作をそれぞれの作家とイラストレーターがコラボして書くというファンブックで、Web掲載や特集ムックに掲載された作品が中心になっています。『ネコのおと』的な、人気作品というコンテンツを生かしたお祭り騒ぎのアンソロジーですね。

 

 2000年代後半のコンテンツ重視のアンソロジーに対して、2010年代に入ってから刊行されているのは、テーマ重視のアンソロジーです。(2)ショートストーリーズ:『ショートストーリーズ 3分間のボーイ・ミーツ・ガール』(2011年7月発売)、(3)ホラーアンソロジー:『ホラーアンソロジー1 “赤”』(2012年7月発売)、『ホラーアンソロジー1 “黒”』(2012年8月発売)、(4)部活アンソロジー:『部活アンソロジー1 「青」』(2013年7月発売)、『部活アンソロジー2 「春」』(2013年8月発売)の三つのシリーズがこれまでに刊行されています。

 これらのシリーズは、日日日綾里けいし庵田定夏石川博品井上堅二嬉野秋彦、岡本タクヤ櫂末高彰榊一郎佐々原史緒田尾典丈竹岡葉月野村美月舞阪洸森橋ビンゴといった人気作家を動員している点では(1)と同じなのですが、こちらでは味わい深いオリジナルの短編を読むことができます。また、これらのシリーズから、岡本タクヤ『僕の学園生活はまだ始まったばかりだ』(ファミ通文庫1238、2013年6月発売)や野村美月『SとSの不埒な同盟』全2巻(ダッシュエックス文庫、2015年7~10月発売)といった単行本も生まれました。

 前回、紹介した『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』は、ファミ通文庫によるテーマ重視のアンソロジーが、4年ぶりに新たに刊行されたという点でも、大きな意義があります。形式的には、2011年刊行の(2)ショートストーリーズの第2巻です。なお、20作収録というのも恐らくライトノベル新記録です。

ホラーアンソロジー1 “赤

ホラーアンソロジー1 “赤" (ファミ通文庫)

 
ホラーアンソロジー2 “黒

ホラーアンソロジー2 “黒" (ファミ通文庫)

 
部活アンソロジー2 「春」 (ファミ通文庫)

部活アンソロジー2 「春」 (ファミ通文庫)

 

 

(d) その他

 その他、メディアワークス文庫の初期のラインナップに、綾崎隼入間人間・紅玉いつき・柴村仁橋本紡『19 ―ナインティーン―』(2010年12月発売)もあります。しかし、残念なことにその後同様の企画は出ていません。

 他にもライトノベルのアンソロジーはあるのかもしれませんが、私が知っている範囲ではこんなところです。ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひとも教えて下さい。

 

 以上、ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史についてまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか。ライトノベルにおけるアンソロジーをさらに楽しんで頂くためのきっかけになればと思います。

 さらに、ライトノベルという分野は、研究者や評論家が少なく、その意味や位置づけ、歴史についての議論はまだまだ不足しています。一人の人間がカバーできることが限られているのは、もとより承知していますが、次なる議論の手がかりにこの記事がなることも望みます。ここまでお付き合い頂き、まことにありがとうございました。

アンソロジーの味わい ― 井上堅二ほか『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』

 皆さん、こんにちは。このブログは、ライトノベルを手広く扱うことを目指しているわけですが、私自身の限界からあらゆる作家やジャンルを紹介することは到底不可能なことです。こういう時に心強いのが、人気作家を中心にして多彩な短編作品を並べているのが「アンソロジー」と呼ばれるジャンルです。

 このほど、アンソロジーの新刊『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』(ファミ通文庫1629、2017年10月発売)が刊行されました。参加した作家は、井上堅二を筆頭に、庵田定夏田口仙年堂築地俊彦野村美月森橋ビンゴら総勢20名。イラストレーターも表紙の竹岡美穂ほか計7名が参加した豪華版です。今回は少し毛色の変わったこの新刊を紹介しながら、ライトノベルの新しい動向についても語ってみようと思います。どうぞお付き合い下さい。

―目次―

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特集『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』|FBonline

『僕とキミの15センチ』紹介

(a) 注目ポイント1:アンソロジーの味わい

  ここまで『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』の刊行経緯や販売戦略について見てきましたが、この本の最大の特徴は、何といってもアンソロジーであるという点に尽きます。複数の作家の短編小説を集めたアンソロジーは、さまざまな作品を楽しめるというところに最大の味わいがあります。

 実は、ライトノベルではアンソロジーは一般的ではありません。それは、ライトノベルに短編の作品が特殊であることに起因していると思われますが、こうしたなかで敢えて複数の作家の短編小説を集めるということは、何らかの意味づけをもって企画されたということに異なりません。それがどのような性格を持っているのかを考察することもまた、アンソロジーの味わいではないでしょうか。以下に、紹介してゆきます。

 

(b) 注目ポイント2:Web展開の新しい試み

 まずは、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』の簡単な紹介をしておきましょう。元はファミ通文庫19周年企画として、KADOKAWA(旧・角川書店)が運営する小説サイト「カクヨム」において行われた「ファミ通文庫×カクヨム「僕とキミの15センチ」短編小説コンテスト」でした。

 告知によれば、「15センチ」と「男女」の2つのお題が入っていれば、どんな物語でもOKということで、1万~1.5万字のショートストーリーを募集しています。募集期間は5月31日(水)~7月10日(月)。526作品が応募され、中間選考で100作品、そして最終選考で、くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」が対象を受賞しましたカクヨム

 

 このコンテストに合わせてファミ通文庫人気作家による短編小説16作も掲載されました。最初に、5月19日(金)に三田千恵・久遠侑綾里けいしの3作がアップロードされ、続いて6月2日(金)に水城水城・更伊俊介佐々原史緒の3作、6月16日(金)に竹岡葉月・岡本タクヤ石川博品の3作、6月30日(金)に庵田定夏・羽根川牧人・九曜の3作と2週間おきに計12作が載りました。その後、8月25日(金)に御影瑛路、10月25~27日(水~金)にかけて伊東京一田口仙年堂築地俊彦の作品が相次いで載りました。これらの作品は現在でもカクヨムで読むことができますカクヨム

 今回刊行された文庫『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』は、短編小説コンテストの対象受賞作1作(くさなぎそうし)+ウェブ掲載の16作、さらに書き下ろし3作(森橋ビンゴ井上堅二野村美月)が加わっています。一番の大物は後にとっておいたということでしょうか。いずれにせよ、ライトノベルのWeb展開の新しい試みとして、今回の企画は注目することができると思います。

 

(c) 注目ポイント3:多彩なラインナップ

 さて、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』のラインナップは以下の通り。

綾里けいし「In the Room」

庵田定夏「十五センチ一本勝負」

石川博品「七月のちいいさなさよなら」

伊東京一「ジャンパーズ・ダイアリー」

岡本タクヤ「地面から十五センチだけ浮いた程度の物語」

くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」

久遠侑「変わりゆく景色と変わらない約束」

九曜「Xp; 15cm」

佐々原史緒「甘やかなトロフィー」

更伊俊介十五夜さんか十五センチほどズレている」

三田千恵「たった一人のお客さん」

田口仙年堂「ポケットの中の女神」

竹岡葉月「金曜日は恵比寿屋に行く」

羽根川牧人「アイスキャンディーと、時を重ねる箱」

御影瑛路「無事女子にフラれる、夏」

水城水城「思春期ギャルと「小さい」オジサン」

築地俊彦「隣の〇〇〇さん」

森橋ビンゴ「彼女は絵本を書きはじめる」

井上堅二「僕とキミらと15センチにまつわる話」

野村美月“文学少女”後日譚 つれない編集者〈ミューズ〉に捧げるスペシャリテ

イラストレーター:竹岡美穂(表紙・カラーも)、NOCO、kona、ミユキルリア閏月戈、フルーツパンチ、葉賀ユイ

改めて並べてみますと、作家20名、イラストレーター7名は壮観です。各話平均20ページ、原稿用紙にして35枚ほど。これまでもファミ通文庫の企画で登場してきた有名作家が中心ですが、『近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係』の久遠侑、『佐伯さんと、一つ屋根の下』の九曜、『リンドウにさよならを』の三田千恵といったさらなるヒットが期待される新人作家も名前を連ねています

 驚いたのは、伊東京一が久々に登場したこと(たぶん10年ぶり?)と、羽根川牧人や御影瑛路といった、これまで富士見ファンタジア文庫電撃文庫から本を出してきた作家も参加していることです。(ちなみに、羽根川牧人のデビューは、『ショートストーリーズ 3分間のボーイ・ミーツ・ガール』(ファミ通文庫、2011年7月発売)に収録の「トキとロボット」だと、今回調べて初めて知りました。)その他には、竹岡葉月竹岡美穂姉妹がそろい踏みというのも面白いですね。

 

(d) 注目ポイント4:ファミ通文庫ネクス

 『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』は、ファミ通文庫19周年企画ですが、それは「カクヨム」との連携だけではありません。ファミ通文庫ネクスト」という新たなシリーズの一貫でもあります。同サイトによると、

最近、泣いたり、笑ったりしましたか?

明日起こるかもしれない、あなたの「if」の物語

20周年を目前に、ファミ通文庫ならではのストーリーを発表していきます。ぜひみなさんも物語の世界に没頭してみてください。[FBonline]

というのが、謳い文句ということのようです。その第一弾が「カクヨム」との連携企画だったわけですが、第二弾が新シリーズ「ファミ通文庫ネクスト」というわけです。

 

 「ファミ通文庫ネクスト」シリーズは、2017年7月発売の手島史詞『僕の珈琲店には小さな魔法使いが居候している』と瑞智士記『二周目の僕は君と恋をする』を皮切りに、現在まで毎月1~2冊ペースで刊行されています。これまでファミ通文庫は、背表紙のFBの文字を、オリジナル作品=赤塗り+青の縁取り、ゲームやTRPGのノベライズ=緑塗り+青の縁取りとしてきましたが、ファミ通文庫ネクスト」は白塗り+青の縁取りとして区別しています。そして、現在までのラインナップから判ることは、いずれもライト文芸」や「キャラクター文芸」と近年呼ばれているようなジャンルを意識していることは間違いありません。

  ただし、それは「ファミ通文庫ネクスト」が「ライト文芸」のブランドであることをそのまま意味するわけではないと私は思います。メディアワークス文庫富士見L文庫のように既存のライトノベル出版社が新レーベルを立ち上げたのに対して、あくまで「ファミ通文庫ネクスト」は既存レーベル内の新ブランドという扱いです。ライトノベルの読者層が高齢化している現状を踏まえた販売戦略かと思われます。

 

 謳い文句にある「ファミ通文庫ならではのストーリー」とは、どういうことでしょうか。ファンタジーやラブコメが得意な富士見ファンタジア文庫、やや文芸・SF寄りのスニーカー文庫、萌えに強いMF文庫J、ギャグ・コメディ重視のGA文庫、特殊な作品を連発するガガガ文庫など、おおよその傾向を考えたとき、ファミ通文庫は「青春もの」が強いというところを想起します。

 こうした事情を踏まえて、これまでの「ファミ通文庫ネクスト」の刊行ラインナップを眺めていて感じるのは、王道な「青春もの」に軸を据えて、思春期でなく青年期に焦点を当てた作品が目立つように感じます。イラストを見ても、典型的なライトノベルがアニメ的な明るい原色を多用するものなのに対して、「ファミ通文庫ネクスト」ではパステルカラーや青系・黒系の寒色が目立つ印象です。

 

『僕とキミの15センチ』短評

 それでは、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』の中身の方は、どうでしょうか。以下、各作品について短評を記しておきます。本格的な評論となっていない点はご勘弁ください。

 

綾里けいし「In the Room」

 トップバッターとして、頭をぶっ叩いてくれます。テイストは、サスペンス+ホラー。いかにも綾里けいしです。情報量も多くて一文一文が頭に焼き付きます。好みは分かれるかもしれませんが、完成度の高い作品です。

庵田定夏「十五センチ一本勝負」

 幼馴染の男女の距離をめぐる、直球どストレートな青春物語。読んでいるこちらが気恥ずかしくなるほど。シチュエーションはありがちなのに、ぐいぐい読ませます。

石川博品「七月のちいさなさよなら」

 登場人物が可愛らしいSF(すこし・ふしぎ)作品。読後感はもっとも爽やかでした。ちいさな出会いと、ちいさな別れの話で、主人公と雫たちの時間の違いがポイント。雫たちが高校を卒業したあとは、遠い世界に働きに出るとのこと。働きに出るときが、切ない別れの時なのです。イラストのコダマサマかわいい。

伊東京一「ジャンパーズ・ダイアリー」

 ミステリ風味で、花の名前が鍵となっているところにアイデアが光る作品。ただし、織江さんと君島くんの距離が詰まるテンポが速い気もします。文庫1冊分の長さで読んでみたかったかも。

岡本タクヤ「地面から十五センチだけ浮いた程度の物語」

 たった20ページにもかかわらず、主人公を取り巻く4人の登場人物が強烈なこと! ヒロインの出雲さんのヤバい感じが、実に尖っています。また、「ほぐし水」の使い方が衝撃的。

くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」

 「僕とキミの15センチ」短編小説コンテストの大賞受賞作。主人公の彩華の危うさが、とにかくゾクゾクします。強いインパクトを読者に与えること間違いありません。この作品もまた、文庫1冊分の長さで読んでみたかったという印象を受けました。

久遠侑「変わりゆく景色と変わらない約束」

 思春期の感情と情景をめぐる丁寧な描写が光る王道の短編作品。久遠侑のうまさが、短編でもいかんなく発揮されています。別れの寂しさ、会えない切なさ、そして再び会えた喜びが見事なバランスで配置されています。

九曜「Xp;15cm」

 筆者も言うように、確かに「15cm」と聞いて私も文庫本のサイズを思い浮かべました。図書館のうんちくが詰まった、味わいある作品。

佐々原史緒「甘やかなトロフィー」

 スポーツをテーマに据えた珍しい作品です。ライトノベルではスポーツものはとても数が少ないのですが、ケーキを介することで違和感なく読むことができます。走り幅跳び選手の喜びと苦しみが正面からクローズアップされた、素敵な作品です。

更伊俊介十五夜さんか十五センチほどズレている」

 十五夜さんは、この本のなかで一、二を争う強烈なヒロインでしょう。『犬とハサミは使いよう』的な、ボケとツッコミの光る作品。15cmがもはやほとんど意味をなしていなくて、やりたい放題です。

三田千恵「たった一人のお客さん」

 ヒロインが一番可愛かったのが、この作品。こんな可愛い彼女を振り回すなんて、なんて主人公の直はけしからん奴なのだ。間違いながらも、最後には結ばれる。甘酸っぱくて美しい青春ストーリーです。こちらも文庫本1冊分で読んでみたかったお話です。

田口仙年堂「ポケットの中の女神」

 男女のモノローグが台詞になっていて、それだけで話が進んでゆくアイデアと技量が詰まった作品。ストーリー運びも起承転結がしっかりしていて、安定感があります。ただし、展開の意外性やキャラクターの個性がはっきりせず、他の作品に埋没してしまった印象も受けました。

竹岡葉月「金曜日は恵比寿屋に行く」

 秘密の場所という設定のわくわく感、ストーリー展開の意外性、キャラクターの個性ががっちり結びついた素晴らしい作品。他の多くの作品が、「15cm」という題材を短い、小さいものとして扱うなかで、この作品は15cmを大きな存在として描いています。

羽根川牧人「アイスキャンディーと、時を重ねる箱」

 「15cm」という題材を5寸の重箱(4段重ね)でとして扱ったアイデアには唸らされました。ただし、タイムトラベルものとしては平板な印象。もう一捻り欲しかったかも。

御影瑛路「無事女子にフラれる、夏」

 ライトノベルで、ここまで主人公(そしてその向こう側にいる読者)に気持ち悪さをストレートに打ち出すとは恐れ入りました。別のブログで指摘されていますが、15cm=Cカップはとてもキモい。この特殊なリアルさには、批評性さえ感じます。けれども、頑張れキモオタ。その気持ち悪さと勘違いこそが青春だ。

水城水城「思春期ギャルと「小さい」オジサン」

 思春期のギャルが父親との関係を修復するまでのハートウォーミングな作品。近年のライトノベルにしばしば現れる家族もののなかでも、「父親」がきちんと登場する点で珍しく、大変意義深い作品だと感じました。

築地俊彦「隣の〇〇〇さん」

 キャラクターの強烈さでは、十五夜さんと並んで一、二を争います。15cmが壁の厚さというのも、あっと言わせます。築地俊彦は、『まぶらほ』の『月刊ドラゴンマガジン』連載で鍛えられた短編の名手です。エキセントリックな香澄に、削岩機を振るう少女は、『まぶらほ』短編を思い起こさせます。

森橋ビンゴ「彼女は絵本を書きはじめる」

 登場人物は作家の妻と翻訳者の夫で、名前は伏せられていますが『東雲侑子』シリーズの後日談です。時系列的には、『この恋と、その未来。』の後かと思われます。15cmとは新しい生命の尊さのこと。ライトノベルらしからぬ、大人な物語です。

井上堅二「僕とキミらと15センチにまつわる話」

 こちらも登場人物の名前は伏せられていますが、『バカとテストと召喚獣』の後日談です。こういう特別篇を読むことができるのが、アンソロジーの楽しみでもあります。

野村美月“文学少女”後日譚 つれない編集者〈ミューズ〉に捧げるスペシャリテ

 こちらは明確に『“文学少女”』シリーズの後日談。作家になった心葉と編集者になった遠子がお互いの距離をもう一歩縮めようとする、甘く温かいお話です。このお話目当てに購入した方も多いと聞きます。この間、商業媒体で新作を発表していない野村美月が、久々に発表した作品ということでも注目されます。(ヒストリカル・ファンタジーへの挑戦の補足も参照のこと。)台湾で同シリーズの愛蔵版が出たことに伴って書き下ろした特別篇とのことです[執筆作家一言コメント:p.421]

総評

 以上、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』に収録された全20作品を簡単に紹介しました。私のなかで特にポイントの高かった作品は、石川博品「七月のちいさなさよなら」、佐々原史緒「甘やかなトロフィー」、竹岡葉月「金曜日は恵比寿屋に行く」、御影瑛路「無事女子にフラれる、夏」、築地俊彦「隣の〇〇〇さん」の5作です。

 いずれの作品も、核となるアイデア、世界設定、ストーリー展開、キャラクターの個性が噛み合っているのは勿論ですが、これらの要素が短い尺のなかでこそ輝いているところに特徴があります。逆に言えば、これより長い尺を用意した場合、このバランスは崩れてしまうのではないでしょうか。

 一方で、文庫本1冊分(約300ページ)くらいの長さで改めて読んでみたいと思った作品もあります伊東京一「ジャンパーズ・ダイアリー」、くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」、三田千恵「たった一人のお客さん」がこれに当たります。これらの作品は、要素は出揃っていて良いお話なのですが、それを生かす尺が足りず心残りでした。とはいえ、今回の作品を元にした長編が発表されることもあるかもしれません。ファミ通文庫の新しい展開を予期させる企画が世に問われたことを、心から歓迎したいと思います。

 

【参考文献】

井上堅二ほか『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』(ファミ通文庫1629、2017年10月発売)

僕とキミの15センチ(ファミ通文庫) - カクヨム(2017年11月28日閲覧)

『19周年記念企画ファミ通文庫ネクスト!』 - FBonline(2017年11月28日閲覧)

 

物語のなかのフィクション ― 枯野瑛『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』

 どうも、こんにちは。おかげさまで、3000PVを達成しました!お付き合い下さった皆さまのおかげです。さて、今回はもう少し新しい作品――特に読み応えのあるファンタジー作品を紹介してみたいと思います。

 この間、(転生ものではなく)純粋に異世界を舞台とした作品としては、2017年4月にアニメ化された、虎走かけるゼロから始める魔法の書』既刊10巻(電撃文庫、2014年2月~)がありますし、第18回ファンタジア長編小説大賞(2006年)受賞以来、ファンタジー作品で活躍し続けている細音啓が『世界の終わりの世界録〈アンコール〉』(MF文庫J、2014年7月~2017年5月)を先ほど全10巻で完結させています。

 

 こうした良質なファンタジー作品のなかでも、枯野瑛終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』(全6巻、角川スニーカー文庫、2014年11月~2017年2月)は、キャラクター、ストーリー展開、テーマのいずれをとっても読み応えがある良作です。本作は2017年4月にアニメ化されて注目されましたが、作者本人がシリーズ構成と脚本の一部を務めるなど、アニメとしても非常によい出来栄えだったと思います。

 第1巻の表紙からして印象的です。ヒロインが苦しさの混ざる表情で涙を流しながら、その体に不釣り合いなほどの大きな武器を持って、決然とこちらを向いて立つ姿を見て、どうして心が動かされずにいられるでしょうか――。すでに知名度もある作品ですけれども、本作の構成の特徴と刊行の経緯、そしてアニメからはどうしても見えにくくなってしまう本作のもう一つの側面について、今回は語ってゆきたいと思います。

―目次―

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スニーカー文庫公式サイト - 『終末なにしてますか?』シリーズ

1.終わりかけの世界がおりなす温かな日常

 最初に本作の基本的な設定を見ておきます。――人間族〈エムネトワイト〉が十七種の獣によって地上世界ごと滅ぼされて500年、文明を持つ生き物たちは地上を追われ、魔法の力によって空に浮かぶ浮遊大陸群〈レグル・エレ〉にしがみつくように暮らしています。主人公のヴィレム・クメシュは、ある偶然から500年もの眠りから覚めた人間族の最後の生き残りで、生活のために辺境の島に赴任することに。そこは、十七種の獣から浮遊島群を守るために戦う妖精たちが暮らす施設でした。そこで出会った妖精たち、なかでも空色の髪と海色の瞳の妖精クトリと、主人公ヴィレムは静かに仲を深めてゆくきます。

 

 ストーリー展開の方ですが、序盤では、主人公とヒロインが仲を深める過程は、町での出会い、施設での交流、戦い方の教授、戦地からの帰還……とストーリーは淡々と進んでゆきます。主人公のヴィレムは準勇者〈クァシ・ブレイブ〉と呼ばれた元戦士で、今は戦うことが出来ない代わりにクトリたちに戦い方を託そうとします。戦場と日常、過去と現在とのあいだに絶望的なまでの距離があるなか、主人公の青年はすべてを受け入れているようにも見えます。

 中盤からは、主人公もまた戦場へと足を踏み入れることになり、さらにクトリの謎の病気の原因が500年前の過去と関係があることが明らかになってゆくなど、戦場と日常、過去と現在とが徐々に入り交じってゆきます。

 このように世界設定とストーリー展開を整理しますと、終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』は、戦場と日常、過去と現在、過去の滅びた世界の謎と現在のクトリの病気の謎といった対立する二元的な構造が複雑に入り交じってゆくという物語の構成をとっていることが分かります。ここに作者による繊細な筆致で悲劇の味付けがなされ、次の展開の読めなさから、読者はこの作品にはらはらしながら惹きこまれることになるのです。

 

 『すかすか』という作品は、「セカイ系」の作品だとしばしば考えられているようです。世界の命運と主人公とヒロインのあいだの恋愛が直接に結び付いている」という、セカイ系の一般的(あるいは通俗的)な定義に、当てはまるようにも見えます。また、作者自身も「セカイ系」であるかは留保しつつも、「当然意識して書いています」と述べています[インタビュー:70ページ]

 ただし、作者は別のところで、タイトルにある「終末」とは「世界の終わり」のことでなく、登場人物たちの「個人的な終末」のことであると明言しています[そこあに増刊号:vol.31]。後で述べるように、『すかすか』は最初は2004年頃に考えられた物語で、その頃は「セカイ系」が大いに流行していました。しかし、本作をていねいに読むと、世界の運命と主人公たちの動きは関連していながらも、主人公たちは世界の運命を動かすことができない展開となっています。つまり、『すかすか』という物語は、当時の「セカイ系」の影響を乗りこえてゆくことで現在の形になったと推測できます。

 これとは逆に、『すかすか』をファンタジー作品として受け止めるなら、世界の運命と主人公たちの動きが関連している展開はまったく違和感はないでしょう。本作では、ドラゴンや亜人を無前提に登場させるのではなく、そうした世界を過去の滅びた世界のものとし、現在の世界を生き延びた獣人たちが文明を共有して何とか生きているものとして描いています。ここにも過去と現在の二元的な構造がおり込まれていて、この作品の世界設定がファンタジー作品として特徴あるものに仕上がっています。

 

2.ヒットに至る苦難の道のり

 『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』がヒットに至るまでは、実に険しい道のりを経なければなりませんでした。第2巻「あとがき」では、「実は1巻の売れ行きがちょっと寂しいものであったようなので、そもそも3巻がお送りできるのかについて現在時点ではお約束できません」とあります[枯野あとがき:2巻285ページ]。実際には第2巻打ち切りが決まっていた模様です[インタビュー:68ページ] 。

 第1巻時点であまり話題にならなかったのは、ある意味で仕方がなかったのかもしれません。先ほど整理したように、『すかすか』の構成が複雑であるため、読者によっては難しくてよく分からないといった感想を抱かれかねないからです。加えて言えば、世界設定とストーリー展開がしっかりしている本作では、キャラクターはその枠内に強く規定されてしまいます。主人公=「おとーさん」と呼ばれる青年の葛藤など、なかなかに渋すぎます。要するに、キャラクターを強く押し出さなかったということです。

 

 けれども、第2巻が刊行されることで、世界設定とストーリー展開がだんだんと見えてくるようになり、キャラクターの位置取りがはっきりすることによって、状況は一変します。第2巻刊行(2015年12月末)の直後のタイミングで行われた、2014年下半期ライトノベルツイッター杯で新規部門第3位を獲得し、その話題が電子書籍の売り上げに繋がりました(Amazon電子書籍売り上げランキング第1位)。これによって第3巻の刊行が急遽決定され、シリーズ続刊となります[同上:68-69ページ]

 その後、ライトノベルツイッター杯では2015年上半期・下半期と2期連続で第1位を獲得し、2017年4月からはアニメが放送。放送終了時の夏の時点で、シリーズ累計65万部、電子書籍ダウンロード数が10万以上となるなど不動の人気を誇り、スニーカー文庫の代表作となるに至りました。

 こうしたヒットに至る展開から分かることは、ネットにおける口コミが重要な役割を果たしたということです。『このラノ』のアンケート結果を見ても、ライトな読者層よりもヘビーな読者層からの評価が高いことは明らかです。このような傾向自体が、現代日本ライトノベルが置かれている状況を反映しているものと思われます。

 

 さて、作者の枯野瑛もまた大変苦労された方のようです。元は水城正太郎が主催するA-TEAMの出身で、18禁ゲームのノベライズがデビュー作(富士見ファンタジア文庫、2002年8月)。続いて『魔法遣いに大切なこと』のノベライズを務めてから、『てくてくとぼく。 旅立ちの歌』(同、2004年8月)で初のオリジナル作品を刊行しています。しかし、『銀月のソルトレージュ』全5巻(同、2006~08年)を除いてあまりヒットに恵まれていません。5年ほど作家活動をしていない時期もあります。作者自身の「あんまり新しくない作家」と自己紹介するのはこうした経緯のためです。

 また、『セイクリッド・ブレイズ』(フライト・プラン、2009年)のメインシナリオとノベライズ(ファミ通文庫、2009年3月)や『サモンナイト5』(バンダイナムコ、2013年)のメインシナリオなど、ゲームの仕事もしています。

 『すかすか』の刊行経緯も苦難に満ちていたようです。元の企画は「10年ぐらい遡ります」と言っており[同上:67ページ]、第5巻「あとがき」で「十二年前」で「この後波瀾万丈な経緯をたどることになる」と書いているので[枯野あとがき:5巻369ページ]、2004年頃であったと推定されます。「セカイ系」を意識していたのはその頃であった模様です[そこあに増刊号:vol.21]ライトノベルの動向がこの10年ほどで大きく変化したことを改めて確認させられます。それが2013年くらいに別レーベルで刊行に向けて用意していていたものの流れてしまい、『echo ―夜、踊る羊たち―』(ファミ通文庫、2004年9月)の編集者に個人的に持ち込んだところ、スニーカー文庫から刊行されるに至ったといいます[インタビュー:67ページ]。各種インタビューにその編集者G氏(具志堅勲)もしばしば登場していることから、かなりの信頼関係にあることが窺えるでしょう。今のラノベは売れる作品しか売れないの話だと、担当編集者が出世したことで本作が企画として動いたということだとか。)

 

3.フィクションの入れ子構造

(a) 創作物語〈フィクション〉という謎のキーワード

 あまり注目されていませんが、『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』のなかで何度か出てくる特徴的な言葉があります。創作物語〈フィクション〉という言葉です。わざわざルビを振っていながら、世界設定のなかで位置づけられている形跡がありません。例えば、最初に出てくる箇所を見てみましょう。

「『この戦争が終わったら、俺、結婚するんだ』とか」

「……いや、それ、あんま縁起のいい言葉じゃねーぞ」

 自分がまだ正規勇者〈リーガル・ブレイブ〉に憧れるだけの小さな少年だったころ、彼らが大活躍する創作物語〈フィクション〉を好んで読んでいたことがある。そのころの記憶によれば、いま“娘”が挙げたような言葉は、発言者が非業の死を遂げる前振りとして多用されているものだったはずだ。[枯野:1巻12ページ]

このように、作中で自己言及的に物語について語るシーンなのですが、こうした場面が繰り返し現れます(例えば、第1巻98・248ページ、第2巻25ページ、第5巻220-21ページ)。考えてみれば奇妙な話です。読者はこの作品がフィクションであることを知っていますが、そのなかにフィクションがあることをどのように受け止めたらよいのでしょうか。

 改めて『すかすか』を読んでみて気付くのは、本、日記、記録晶石、古文書、報告書といった記録に関する物が次々に出てくることです。いずれも、戦場と日常、過去と現在、過去の滅びた世界の謎と現在のクトリの病気の謎といった対立する二元的な構造をつなぐ物であることが理解できるでしょう。

 

 しかし、本作のなかで創作物語〈フィクション〉は、対立する二元的な構造をつなぐ物ではありませんし、フィクションはあくまでも創作であって記録に関する物でもありません。むしろ、フィクションのなかにフィクションがあるという二重の構造――つまり入れ子のようになっていること――が問題のなのです

 物語の入れ子構造として整理すると、これが中盤以降のストーリー展開と密接に結び付いていることが分かります。過去がヴィレムやクトリを徐々に浸食し、登場人物たちが過去に何があったのかを知ろうと動き回ります。さらに第4巻では、この物語の核心部分である過去を覗きこむパートです。ただし、登場人物の口から過去の種明かしがされるのではなく、ヴィレムたちが何者かによって作り出された「過去の世界」に迷いこむなかで追体験をするという形式をとります。ここにおいて、過去と現在は対立する二元的な構造から入れ子状の二重構造へと転換するのです。

 そう考えると、『すかすか』において創作物語〈フィクション〉とは、物語の内部に向かっての(作者自身の)自己言及的な語りに留まらず、その後のストーリー展開へとつながる布石としての役割を持っていることが推察できます。傍証として、創作物語〈フィクション〉という言葉が、中盤から終盤にかけて姿を消し、第5巻で記憶を失ったヴィレムが語るシーンおよび、外伝で童話〈フェアリーテール〉として登場します[枯野:5巻220-21ページ、EX174ページ]

 

(b) 入れ子状の物語の位置

 物語のなかに登場人物の語りがあるという構造は、文学の形式としてはよくあるものです。よく知られた作品としては、夏目漱石こゝろ』(1914年)が挙げられるでしょう。語り手「私」が先生について語る形式ですが、下(第3部)では先生の遺書を通じた先生の語りによって構成されています。それより約100年前の作品である、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(Frankenstein: or The Modern Prometheus, 1818)は、ロバート・ウォルトンによる姉への手紙という形式をとりながら、その中でヴィクター・フランケンシュタインの語り、さらにその中で怪物の自己語りが入るという三重構成となっています。

 これに対して、『すかすか』の構成はもう少し複雑です。第4巻における入れ子状の過去と現在の物語は、主人公であるヴィレムという同一人物の目線から行われています。加えて第5巻では、この世界の成り立ちについての神話が第三者から語られています。しかし、入れ子状の構成になっていることを踏まえれば、それほど混乱なく読むことができると思います。

 

 実は本作は、世界設定でも明確な二重構造が確認できます。浮遊大陸群〈レグル・エレ〉と第四倉庫という二つの閉鎖された空間です。前者は、この世界の基本的な設定であり、滅びてしまった地上世界に対して生き物たちに残された最後の楽園です。後者は、ヴィレムとクトリの日常が繰り広げられる舞台であり、黄金妖精〈レプラカーン〉たちが戦士としてでなく兵器として管理されている閉ざされた楽園です。両者の関係は、対立する二元的な構造ではなく入れ子状の二重構造です。

 興味深いことに、この閉ざされた二つの空間を、作者は明確に「箱庭」と呼んでいます。『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』の最初のタイトル案は、『箱庭世界の天使と悪魔』であったといいます[インタビュー:68ページ]。私の理解では、「箱庭世界」という言葉遣いに世界設定としての箱庭=浮遊大陸群〈レグル・エレ〉と、舞台としての第四倉庫が二重映しになっていたのではなかと思います。天使と悪魔は対立する二元的な構造ですから、原タイトルにおいて二重構造と二元的構造がおり込まれていたのかもしれません。

 蛇足ながら、枯野瑛以前の作品でも物語の二重構造が確認できます富士見ファンタジア文庫から刊行された『銀月のソルトレージュ』なのですが、騎士と剣と魔法の世界が実は物語の世界でなく、現在も社会の裏側で現在も繰り広げられる本当の「御伽噺の世界」であったという世界設定を組んでいます。ここに『すかすか』へと繋がる要素を読み取ることができるでしょう。

 

おわりに

 ここまで述べてきた『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』の特徴的な構成(対立する二元的な構造から入れ子状の二重構造へと展開する構成)は、アニメではどうしても見えにくくなってしまう側面です。もちろん、冒頭で述べたように原作者がアニメのシリーズ構成と脚本の一部を担当しているので、作品の根幹部分はきちんと示されていますから、結局のところ仕方ない話なのかもしれませんけれども。

 相変らず、色々と話をこねくり回して考えてみました。まったく当たらないと作者や編集者が「けけけ」と笑っているかもしれません。とはいえ、『すかすか』には謎や伏線を幾重にも仕込まれ、読者にはほとんど明かされないような謎も埋め込んでいるということです[そこあに増刊号:vol.24]特に今回は、第2部である『終末なにしてますか?  もう一度だけ、会えますか?』については語っていません。皆さんも、『すかもか』も含めてあれこれ考えを巡らせてみてはいかがでしょうか。今回もお付き合い、ありがとうございました。

 

【参考文献】

枯野瑛終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』(角川スニーカー文庫18836、2014年11月発売)

・同『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #02』(角川スニーカー文庫18940、2015年1月発売)

・同『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #05』(角川スニーカー文庫19683、2016年4月発売)

・「枯野瑛インタビュー」(『このライトノベルがすごい! 2006』所収、宝島社、2015年12月)

そこあに増刊号「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」特集 vol.21(2015年2月19日)

 ・そこあに増刊号「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」3巻発売記念特集 vol.24(2015年7月2日)

そこあに増刊号「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」5巻発売記念特集 vol.31(2016年4月7日)

 

(2018年2月23日 新たな引用元に基づいて一部加筆)

(2020年4月22日 一部修正)