現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

現実とフィクションのはざまの村々 ― 雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(その二)

 皆さんこんにちは。前回に引き続いて、雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(既刊4巻、スニーカー文庫、2021年~)について語ってみたいと思います。

 前回の記事「土の香りに抱かれて生きる」では、本作の構造について「都会と田舎の距離」というモティーフに「ひと夏の物語」と「家族問題」をかけあわせたものであると指摘しました。また、「田舎」のモティーフのなかには「土の香り」という要素が存在していることについても言及しました。これに対して、今回の記事では本作が描く「田舎」について、よりいっそう掘り下げてみたいと思います。よろしくお付き合いください。にゃーん!

―目次―

転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件 | スニーカー文庫(ザ・スニーカーWEB)

1.モデルとしての月ヶ瀬

 本作が描く「田舎」には、「月野瀬つきのせ」という架空の地名が与えられています。それは、どういった雰囲気の「田舎」なのでしょうか。代表的な描写を見ておきましょう。

 どこまでも突き抜けて行けそうな空、その蒼さを彩り漂うまっさらな雲。四方をまるで額縁のように山に囲まれ、そんな天を拝める片田舎。

 都心部へは徒歩30分のバス停からバスに揺られて小一時間、そこから電車で2時間弱、更に新幹線と、移動だけで半日以上はかかる人里から隔絶された辺鄙なところ、そこが月野瀬である。(注1)

 周囲を見渡せば、わずかな平地は田んぼで埋め尽くされ、どこからか野焼きの煙が立ち上り、あちらこちらからは土と肥料の香りが漂ってくる。[雲雀湯3巻:319ページ]

(注1)なお、「都会」と「田舎」の距離については作中で矛盾があります。第1巻では、その距離は車で数時間離れた」とされています[雲雀湯1巻6ページ;108ページ]。第3巻、第4巻での記述の方が詳しいことから、この記事では後者の記述を採用しました。

「月野瀬」が物語の舞台となる第4巻では、このほかにも色鮮やかな風景描写や具体的な生活描写を通じて、この村の様子が立体的にスケッチされて本作のモティーフを浮かび上がらせています。

 

 ところで、本作の舞台である「田舎」には明確なモデルがあります。作者である雲雀湯はこのことについて度々言及しています。例えば、第1巻「あとがき」では次のように語っています。

ちなみに都会と田舎にもモデルがあったりします。都会は東京、隼人や春希、姫子が買い物に出かけた街は池袋。そして田舎――月野瀬のモデルは私の地元奈良県の山間部にある村々になります。[雲雀湯1巻:299ページ]

奈良県の地理に詳しい方なら、すぐに「月ヶ瀬つきがせ村」がモデルだと気づくことでしょう。作者のtwitterでは、はっきりと「月ヶ瀬村がモデル」だと語っています。この「月ヶ瀬村」は奈良県の北東部に位置し、2005年の合併で現在は奈良市月ヶ瀬地区となっています。月ヶ瀬は、「月瀬つきせ」や「月ノ瀬つきのせ」と言うこともあり、本作の「月野瀬」はそこから来ているのかもしれません。

 

 実在する「月ヶ瀬」は、地理的に見れば近畿地方の中央部にある山地に属しています。山地といっても、それほど険しい山々ではなく標高200~400mくらいの丘陵地帯(大和高原)が広がります。村の真ん中を木津川の支流である名張川が流れ、川沿いには1万3000本の梅が植えられていて、月ヶ瀬梅林として知られています。梅林の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼるという説もあり、地元の熱心な保護活動によって1922年に国の名勝(自然的・文化的にすぐれた風景の地)として指定されました。現在も梅の見ごろには数万人が訪れる観光名所です。

月ヶ瀬村周辺地図(Wikipedia「月ヶ瀬梅林」より)

 他方で、作中でも触れられているように、月ヶ瀬は過疎に悩む田舎でもあります。合併前の2004年時点で人口は1,890人、2020年10月には1,321人と人口減少が止まりません。奈良市中心部からは、車でおよそ50分ほど、路線バス(1日3往復)なら約80分とかなり距離があります。ただし、高速道路からのアクセスは悪くなく、名阪国道五月橋インターから10分ほど。スーパーやコンビニは存在せず、車がないと生活できない地域です。

 文化的に見ても、長らく平野部の奈良や京都から隔絶された山中にあったため、月ヶ瀬とその周辺地域は、地域コミュニティのつながりがとても強く、古い習俗も残っていると言われます。祭葬礼の古い風習や江戸時代から続く与力制度などが、山間の村々で長く保たれていました(『月ヶ瀬村史』『土葬の村』など)。山々に囲まれたのんびりとした農村、それが月ヶ瀬という村の姿だと言えるでしょう。

 

2.フィクションとしての月野瀬

 本作のように、特定の地域を物語の舞台としたライトノベル作品は、2010年代に入ってから数多く登場しています。全体的な傾向としては、都会や地方都市が多いのですが(注2)、田舎を舞台とした作品もいくつか存在しています。例えば、小椋正雪『八丈島と、魔女の夏』(一迅社文庫、2012年)の東京都八丈島、トネ・コーケン『スーパーカブ』(全9巻、スニーカー文庫、2017~22年)の山梨県北杜市、岬かつみ『恋愛する気がないので、隣の席の女友達と付き合うことにした。』(ファンタジア文庫、2020年)の香川県小豆島、ツカサ『中学生の従妹と、海の見える喫茶店』(MF文庫J、2022年)の石川県能登地域などを挙げることができるでしょう。

(注2)代表的なところでは、渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(千葉市)、白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』(大阪市ほか)、屋久ユウキ弱キャラ友崎くん』(さいたま市)、九曜『佐伯さんと、ひとつ屋根の下』(神戸市)、裕夢『千歳くんはラムネ瓶のなか』(福井市)、岬鷺宮『日和ちゃんのお願いは絶対』(尾道市)、雨森たきび『負けヒロインが多すぎる!』(豊橋市)、丸深まろやか『天使は炭酸しか飲まない』(草津市)など。なお、比較的早いのものとしては、成田良悟デュラララ!!』全13巻(電撃文庫、2004~14年)がありますが、先行作品として石田衣良池袋ウエストゲートパーク』(1997年~)があるので、例外的であったと言えるでしょう。

 言うまでもなく、作品の描写が現実の町や村と比べてどこまで忠実であるかは、作品によって様々です。本作『転校先の清楚可憐な美少女……』の場合、「月ヶ瀬」はあくまでもモデルであって、作中で描かれる「月野瀬」はあくまでフィクションだと考えた方がよさそうです。

 

 その理由は、作中の「月野瀬」の描写には架空のものが多く含まれているからです。「月野瀬」で具体的に登場するいくつかの場所には、実在の「月ヶ瀬」とは別の場所が組み込まれています(注3)。第4巻で登場する巨大ダムのモデルは奈良県南部の池原ダム(吉野郡下北山村、現実の月ヶ瀬からは車で3時間近く)、月野瀬神社のモデルは玉置神社(吉野郡十津川村、同じく3時間以上)と、同じ奈良県内ではあってもまったく違った場所にあります(注4)。ちなみに玉置神社の方は、荻原規子RDG レッドデータガール』の舞台のモデルとしても有名ですね。

(注3)「地理的には月ヶ瀬あたりってことで書いてるけど、集落の雰囲気的にはこの辺のをイメージして書いてるねw 神社は玉置神社をいめーじ!」(作者ツイッター (@kotori_game) 2021/12/29、https://twitter.com/kotori_game/status/1476163220427935746

(注4)作中の「月野瀬神社」は「平安時代から続く」もので「1000年を超える歴史」を持つとされていますが[雲雀湯2巻73ページ;4巻252ページ]、実在の「月ヶ瀬」にある神社にそこまで歴史をさかのぼれる神社は存在せず、玉置神社がこれに当てはまります。ただし、作中の祭礼の様子(御供、子ども神輿、神楽奉納など)については、実在の「月ヶ瀬」で行なわれているものが参照されているようです。(逆に玉置神社では、かつて女人禁制であったため巫女神楽は行なわれません。)

 こうした手法で描かれている作中の「月野瀬」は、実在の「月ヶ瀬」をモデルとした場合でも、特定の集落だけがモデルとされているわけではなさそうです。作者の言葉もよく読めば、「月野瀬のモデルは私の地元奈良県の山間部にある村々」と複数形で語っていることに気付きます[雲雀湯1巻:299ページ]

 

3.現実とフィクションのはざまで:村を離れるということ

 ここまで、モデルとしての「月ヶ瀬」とフィクションとしての「月野瀬」について簡単に紹介してきました。本作の作者は実在の「月ヶ瀬」に強い愛着を抱きつつ、それをフィクションとしてリアリティ溢れる「月野瀬」へと再構成していることが、お分かりいただけたと思います。このことは、作中の「月野瀬」は、実在のものではないが、ある種の〈現実〉のものであることを意味しています。

 さて、本作のモティーフが「都会と田舎の距離」であることは前回説明しました。しかし、「都会」と「田舎」は等しい存在ではありません。「田舎」は隼人や沙紀にとっての健全性の源であると同時に、「田舎」ゆえに村を離れなければならないという非対称な関係を含み込んでいます。

 

 本作のなかで「村を離れること」については、おもに次のようなバリエーションがあります。

 1つ目は医療問題です。物語のはじまりである、主人公の隼人と妹の姫子が「田舎」を離れ「都会」に引っ越してきた理由は、病気の母親により高度な医療を受けさせるためでした。山間部や離島といった僻地では、病院などの医療インフラや医師数は絶対的に不足しており、最寄りの救急病院まで救急車で1時間以上、ヘリコプターで患者を運ぶといった「田舎」は少なくありません。高度で安定した医療を受けるためには、どうしても村を離れなければならなかったのでしょう。

 2つ目は進学問題です。もし隼人たちの母親が病気で倒れなかったとしても、彼らが村を離れた可能性は残ります。なぜなら、村に高校が存在しないからです。作中では「月野瀬」に残っていた沙紀がこの問題に直面しています。

月野瀬から最寄りの高校まで片道2時間と少し。距離もあり、進学と同時に村を出る人が多い。それでも山を下りた先にある同じ県内か、せいぜい隣の県。週末になれば実家に戻って来られるようなところに通うのが習わしだ。[雲雀湯4巻:246ページ]

実在の「月ヶ瀬」も同様の状況ですし、小学校・中学校にしても元は1校ずつしなかく、2017年に「月ヶ瀬小中学校」として統合されました(注5)。山間部や離島などの僻地では、高校進学を機に村を離れなければならなという状況は、普通に存在することなのです。

(注5)作中では「月野瀬」の小中学校の校舎は木造であるという言及がありますが[雲雀湯1巻:6ページ]、実際には小学校は1971年、中学校は1979年に鉄筋コンクリートの新校舎になっています。なお、小学校の旧校舎は1941年に旧奈良師範学校の講堂を移設した立派なものであったと言います。(奈良県立図書情報館「奈良の今昔写真WEB」

 

 3つ目は開発問題です。第4巻の中盤で、隼人と春希が巨大なダムを目にして感動するシーンがあります[雲雀湯4巻:179ページ以下]。このダムのモデルは下北山村の池原ダムで、1950年代に「吉野熊野特定地域総合開発計画」のメイン事業として、大阪都市圏に電力を届けるために造られたものです。池原ダムは実在の「月ヶ瀬」とは離れた場所にありますが、「月ヶ瀬」とその周辺にも高山ダムや布目ダムといったダムが存在しています。作中では明確には書かれていませんが、ダム開発は「都会」に治水・水資源・電気をもたらす代わりに、「田舎」の村々を水没させます。このことは作者もよく承知しており、4巻の「あとがき」で、「大きかった。思った以上に大きかった。(中略)ダムに沿って道を走っていると、六地蔵と一緒に水没の碑などもありました。かつてそこには何百戸もあって、それぞれに生活があり、だけど水に吞み込まれてしまっている。何とも言いようのない想いが疼きます」と記しています[同:308-309ページ]

 ヒロインである二階堂春希の実家が村を離れたのにも、実は開発問題がありました。第4巻のダムのシーンに続いて、春希の元の家を訪れるシーンで、彼女の祖父母が主導した開発が失敗したことが語られます[雲雀湯4巻:185ページ]。二階堂家は元庄屋という村の名士でしたが、バブル期に開発誘致に動いて村人とトラブルを起こし、開発に失敗して背負った借金が元で夜逃げ同然で村を去ったといいます[同265ページ;29ページ]

 

 このように見てみると、本作の描く「月野瀬」の〈現実〉には、村を離れるということの「痛み」のようなものが存在していると言えます。本作のモティーフである「都会と田舎の距離」には、日本社会が背負っている非対称な関係性が刻印されています。それはこの物語の主題では必ずしもないけれども、「田舎」を愛着を持ってリアリティあるものとして描いたときに直面する〈現実〉として、読者の前に立ち現れるのではないでしょうか。

 

おわりに

 本記事では、2回にわたって雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』について語ってきました。1回目では、本作のモティーフである「都会と田舎の距離」について考察し、2回目ではモティーフのなかから立ち現れるフィクションのなかの〈現実〉として、「村を離れるということ」への「痛み」について論じました。いかがだったでしょうか。

 もともと、2つの記事は一つに統合する予定でしたが、後半部分が思ったよりも膨らんだことから分割したものです。この記事を書いた私自身が、「月ヶ瀬」ではないものの奈良県の「田舎」の出身であり、その思いが執筆につながったのだと思います。

 色々と理屈をこねましたけれども、月ヶ瀬は本当に良い所です。作者Twitterでもたびたび紹介しています(以下のリンクをご覧ください)。機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてください。お付き合いありがとうございました。

 

【参考文献】

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(角川スニーカー文庫22526、2021年3月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件2』(角川スニーカー文庫22724、2021年7月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件3』(角川スニーカー文庫22890、2021年11月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件4』(角川スニーカー文庫23130、2022年4月発売)

・高橋繁行『土葬の村』(講談社現代新書、2021年)

月ケ瀬村史編集室編『月ヶ瀬村史』(1990年)