現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

現実とフィクションのはざまの村々 ― 雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(その二)

 皆さんこんにちは。前回に引き続いて、雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(既刊4巻、スニーカー文庫、2021年~)について語ってみたいと思います。

 前回の記事「土の香りに抱かれて生きる」では、本作の構造について「都会と田舎の距離」というモティーフに「ひと夏の物語」と「家族問題」をかけあわせたものであると指摘しました。また、「田舎」のモティーフのなかには「土の香り」という要素が存在していることについても言及しました。これに対して、今回の記事では本作が描く「田舎」について、よりいっそう掘り下げてみたいと思います。よろしくお付き合いください。にゃーん!

―目次―

転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件 | スニーカー文庫(ザ・スニーカーWEB)

1.モデルとしての月ヶ瀬

 本作が描く「田舎」には、「月野瀬つきのせ」という架空の地名が与えられています。それは、どういった雰囲気の「田舎」なのでしょうか。代表的な描写を見ておきましょう。

 どこまでも突き抜けて行けそうな空、その蒼さを彩り漂うまっさらな雲。四方をまるで額縁のように山に囲まれ、そんな天を拝める片田舎。

 都心部へは徒歩30分のバス停からバスに揺られて小一時間、そこから電車で2時間弱、更に新幹線と、移動だけで半日以上はかかる人里から隔絶された辺鄙なところ、そこが月野瀬である。(注1)

 周囲を見渡せば、わずかな平地は田んぼで埋め尽くされ、どこからか野焼きの煙が立ち上り、あちらこちらからは土と肥料の香りが漂ってくる。[雲雀湯3巻:319ページ]

(注1)なお、「都会」と「田舎」の距離については作中で矛盾があります。第1巻では、その距離は車で数時間離れた」とされています[雲雀湯1巻6ページ;108ページ]。第3巻、第4巻での記述の方が詳しいことから、この記事では後者の記述を採用しました。

「月野瀬」が物語の舞台となる第4巻では、このほかにも色鮮やかな風景描写や具体的な生活描写を通じて、この村の様子が立体的にスケッチされて本作のモティーフを浮かび上がらせています。

 

 ところで、本作の舞台である「田舎」には明確なモデルがあります。作者である雲雀湯はこのことについて度々言及しています。例えば、第1巻「あとがき」では次のように語っています。

ちなみに都会と田舎にもモデルがあったりします。都会は東京、隼人や春希、姫子が買い物に出かけた街は池袋。そして田舎――月野瀬のモデルは私の地元奈良県の山間部にある村々になります。[雲雀湯1巻:299ページ]

奈良県の地理に詳しい方なら、すぐに「月ヶ瀬つきがせ村」がモデルだと気づくことでしょう。作者のtwitterでは、はっきりと「月ヶ瀬村がモデル」だと語っています。この「月ヶ瀬村」は奈良県の北東部に位置し、2005年の合併で現在は奈良市月ヶ瀬地区となっています。月ヶ瀬は、「月瀬つきせ」や「月ノ瀬つきのせ」と言うこともあり、本作の「月野瀬」はそこから来ているのかもしれません。

 

 実在する「月ヶ瀬」は、地理的に見れば近畿地方の中央部にある山地に属しています。山地といっても、それほど険しい山々ではなく標高200~400mくらいの丘陵地帯(大和高原)が広がります。村の真ん中を木津川の支流である名張川が流れ、川沿いには1万3000本の梅が植えられていて、月ヶ瀬梅林として知られています。梅林の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼるという説もあり、地元の熱心な保護活動によって1922年に国の名勝(自然的・文化的にすぐれた風景の地)として指定されました。現在も梅の見ごろには数万人が訪れる観光名所です。

月ヶ瀬村周辺地図(Wikipedia「月ヶ瀬梅林」より)

 他方で、作中でも触れられているように、月ヶ瀬は過疎に悩む田舎でもあります。合併前の2004年時点で人口は1,890人、2020年10月には1,321人と人口減少が止まりません。奈良市中心部からは、車でおよそ50分ほど、路線バス(1日3往復)なら約80分とかなり距離があります。ただし、高速道路からのアクセスは悪くなく、名阪国道五月橋インターから10分ほど。スーパーやコンビニは存在せず、車がないと生活できない地域です。

 文化的に見ても、長らく平野部の奈良や京都から隔絶された山中にあったため、月ヶ瀬とその周辺地域は、地域コミュニティのつながりがとても強く、古い習俗も残っていると言われます。祭葬礼の古い風習や江戸時代から続く与力制度などが、山間の村々で長く保たれていました(『月ヶ瀬村史』『土葬の村』など)。山々に囲まれたのんびりとした農村、それが月ヶ瀬という村の姿だと言えるでしょう。

 

2.フィクションとしての月野瀬

 本作のように、特定の地域を物語の舞台としたライトノベル作品は、2010年代に入ってから数多く登場しています。全体的な傾向としては、都会や地方都市が多いのですが(注2)、田舎を舞台とした作品もいくつか存在しています。例えば、小椋正雪『八丈島と、魔女の夏』(一迅社文庫、2012年)の東京都八丈島、トネ・コーケン『スーパーカブ』(全9巻、スニーカー文庫、2017~22年)の山梨県北杜市、岬かつみ『恋愛する気がないので、隣の席の女友達と付き合うことにした。』(ファンタジア文庫、2020年)の香川県小豆島、ツカサ『中学生の従妹と、海の見える喫茶店』(MF文庫J、2022年)の石川県能登地域などを挙げることができるでしょう。

(注2)代表的なところでは、渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(千葉市)、白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』(大阪市ほか)、屋久ユウキ弱キャラ友崎くん』(さいたま市)、九曜『佐伯さんと、ひとつ屋根の下』(神戸市)、裕夢『千歳くんはラムネ瓶のなか』(福井市)、岬鷺宮『日和ちゃんのお願いは絶対』(尾道市)、雨森たきび『負けヒロインが多すぎる!』(豊橋市)、丸深まろやか『天使は炭酸しか飲まない』(草津市)など。なお、比較的早いのものとしては、成田良悟デュラララ!!』全13巻(電撃文庫、2004~14年)がありますが、先行作品として石田衣良池袋ウエストゲートパーク』(1997年~)があるので、例外的であったと言えるでしょう。

 言うまでもなく、作品の描写が現実の町や村と比べてどこまで忠実であるかは、作品によって様々です。本作『転校先の清楚可憐な美少女……』の場合、「月ヶ瀬」はあくまでもモデルであって、作中で描かれる「月野瀬」はあくまでフィクションだと考えた方がよさそうです。

 

 その理由は、作中の「月野瀬」の描写には架空のものが多く含まれているからです。「月野瀬」で具体的に登場するいくつかの場所には、実在の「月ヶ瀬」とは別の場所が組み込まれています(注3)。第4巻で登場する巨大ダムのモデルは奈良県南部の池原ダム(吉野郡下北山村、現実の月ヶ瀬からは車で3時間近く)、月野瀬神社のモデルは玉置神社(吉野郡十津川村、同じく3時間以上)と、同じ奈良県内ではあってもまったく違った場所にあります(注4)。ちなみに玉置神社の方は、荻原規子RDG レッドデータガール』の舞台のモデルとしても有名ですね。

(注3)「地理的には月ヶ瀬あたりってことで書いてるけど、集落の雰囲気的にはこの辺のをイメージして書いてるねw 神社は玉置神社をいめーじ!」(作者ツイッター (@kotori_game) 2021/12/29、https://twitter.com/kotori_game/status/1476163220427935746

(注4)作中の「月野瀬神社」は「平安時代から続く」もので「1000年を超える歴史」を持つとされていますが[雲雀湯2巻73ページ;4巻252ページ]、実在の「月ヶ瀬」にある神社にそこまで歴史をさかのぼれる神社は存在せず、玉置神社がこれに当てはまります。ただし、作中の祭礼の様子(御供、子ども神輿、神楽奉納など)については、実在の「月ヶ瀬」で行なわれているものが参照されているようです。(逆に玉置神社では、かつて女人禁制であったため巫女神楽は行なわれません。)

 こうした手法で描かれている作中の「月野瀬」は、実在の「月ヶ瀬」をモデルとした場合でも、特定の集落だけがモデルとされているわけではなさそうです。作者の言葉もよく読めば、「月野瀬のモデルは私の地元奈良県の山間部にある村々」と複数形で語っていることに気付きます[雲雀湯1巻:299ページ]

 

3.現実とフィクションのはざまで:村を離れるということ

 ここまで、モデルとしての「月ヶ瀬」とフィクションとしての「月野瀬」について簡単に紹介してきました。本作の作者は実在の「月ヶ瀬」に強い愛着を抱きつつ、それをフィクションとしてリアリティ溢れる「月野瀬」へと再構成していることが、お分かりいただけたと思います。このことは、作中の「月野瀬」は、実在のものではないが、ある種の〈現実〉のものであることを意味しています。

 さて、本作のモティーフが「都会と田舎の距離」であることは前回説明しました。しかし、「都会」と「田舎」は等しい存在ではありません。「田舎」は隼人や沙紀にとっての健全性の源であると同時に、「田舎」ゆえに村を離れなければならないという非対称な関係を含み込んでいます。

 

 本作のなかで「村を離れること」については、おもに次のようなバリエーションがあります。

 1つ目は医療問題です。物語のはじまりである、主人公の隼人と妹の姫子が「田舎」を離れ「都会」に引っ越してきた理由は、病気の母親により高度な医療を受けさせるためでした。山間部や離島といった僻地では、病院などの医療インフラや医師数は絶対的に不足しており、最寄りの救急病院まで救急車で1時間以上、ヘリコプターで患者を運ぶといった「田舎」は少なくありません。高度で安定した医療を受けるためには、どうしても村を離れなければならなかったのでしょう。

 2つ目は進学問題です。もし隼人たちの母親が病気で倒れなかったとしても、彼らが村を離れた可能性は残ります。なぜなら、村に高校が存在しないからです。作中では「月野瀬」に残っていた沙紀がこの問題に直面しています。

月野瀬から最寄りの高校まで片道2時間と少し。距離もあり、進学と同時に村を出る人が多い。それでも山を下りた先にある同じ県内か、せいぜい隣の県。週末になれば実家に戻って来られるようなところに通うのが習わしだ。[雲雀湯4巻:246ページ]

実在の「月ヶ瀬」も同様の状況ですし、小学校・中学校にしても元は1校ずつしなかく、2017年に「月ヶ瀬小中学校」として統合されました(注5)。山間部や離島などの僻地では、高校進学を機に村を離れなければならなという状況は、普通に存在することなのです。

(注5)作中では「月野瀬」の小中学校の校舎は木造であるという言及がありますが[雲雀湯1巻:6ページ]、実際には小学校は1971年、中学校は1979年に鉄筋コンクリートの新校舎になっています。なお、小学校の旧校舎は1941年に旧奈良師範学校の講堂を移設した立派なものであったと言います。(奈良県立図書情報館「奈良の今昔写真WEB」

 

 3つ目は開発問題です。第4巻の中盤で、隼人と春希が巨大なダムを目にして感動するシーンがあります[雲雀湯4巻:179ページ以下]。このダムのモデルは下北山村の池原ダムで、1950年代に「吉野熊野特定地域総合開発計画」のメイン事業として、大阪都市圏に電力を届けるために造られたものです。池原ダムは実在の「月ヶ瀬」とは離れた場所にありますが、「月ヶ瀬」とその周辺にも高山ダムや布目ダムといったダムが存在しています。作中では明確には書かれていませんが、ダム開発は「都会」に治水・水資源・電気をもたらす代わりに、「田舎」の村々を水没させます。このことは作者もよく承知しており、4巻の「あとがき」で、「大きかった。思った以上に大きかった。(中略)ダムに沿って道を走っていると、六地蔵と一緒に水没の碑などもありました。かつてそこには何百戸もあって、それぞれに生活があり、だけど水に吞み込まれてしまっている。何とも言いようのない想いが疼きます」と記しています[同:308-309ページ]

 ヒロインである二階堂春希の実家が村を離れたのにも、実は開発問題がありました。第4巻のダムのシーンに続いて、春希の元の家を訪れるシーンで、彼女の祖父母が主導した開発が失敗したことが語られます[雲雀湯4巻:185ページ]。二階堂家は元庄屋という村の名士でしたが、バブル期に開発誘致に動いて村人とトラブルを起こし、開発に失敗して背負った借金が元で夜逃げ同然で村を去ったといいます[同265ページ;29ページ]

 

 このように見てみると、本作の描く「月野瀬」の〈現実〉には、村を離れるということの「痛み」のようなものが存在していると言えます。本作のモティーフである「都会と田舎の距離」には、日本社会が背負っている非対称な関係性が刻印されています。それはこの物語の主題では必ずしもないけれども、「田舎」を愛着を持ってリアリティあるものとして描いたときに直面する〈現実〉として、読者の前に立ち現れるのではないでしょうか。

 

おわりに

 本記事では、2回にわたって雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』について語ってきました。1回目では、本作のモティーフである「都会と田舎の距離」について考察し、2回目ではモティーフのなかから立ち現れるフィクションのなかの〈現実〉として、「村を離れるということ」への「痛み」について論じました。いかがだったでしょうか。

 もともと、2つの記事は一つに統合する予定でしたが、後半部分が思ったよりも膨らんだことから分割したものです。この記事を書いた私自身が、「月ヶ瀬」ではないものの奈良県の「田舎」の出身であり、その思いが執筆につながったのだと思います。

 色々と理屈をこねましたけれども、月ヶ瀬は本当に良い所です。作者Twitterでもたびたび紹介しています(以下のリンクをご覧ください)。機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてください。お付き合いありがとうございました。

 

【参考文献】

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(角川スニーカー文庫22526、2021年3月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件2』(角川スニーカー文庫22724、2021年7月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件3』(角川スニーカー文庫22890、2021年11月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件4』(角川スニーカー文庫23130、2022年4月発売)

・高橋繁行『土葬の村』(講談社現代新書、2021年)

月ケ瀬村史編集室編『月ヶ瀬村史』(1990年)

 

 

土の香りに抱かれて生きる ― 雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(その一)

 皆さんこんにちは。半年ぶりの記事となります。今回取り上げるのは、雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(既刊4巻、スニーカー文庫、2021年~)です。

 本作は2020年6月から「小説家になろう」に投稿され、2021年3月から文庫化されている作品です。本作は、夏の訪れとともに、再会した二人の距離が縮まってゆくノスタルジーを誘う物語です。しかも、「都会と田舎の距離」や「家庭問題」といった興味深い要素がたくさん詰まった物語でもあります。そんな本作の魅力を、いつものようにネタバレ全開で紹介してゆきますので、よろしくお付き合いください。にゃーん!

―目次―

転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件 | スニーカー文庫(ザ・スニーカーWEB)

1.都会と田舎の距離、二人の距離

 本作『転校先の清楚可憐な美少女……』は、一言でいえば登場人物たちの距離感と関係性をテーマとした物語です。まず、本作の設定とあらすじを確認してゆきましょう。

 夏が始まろうとする6月、「月野瀬つきのせ」という田舎の村から引っ越してきた霧島隼人は、都会の転校先で清楚可憐な美少女・二階堂春希と出会います。実は、彼女も「月野瀬」の出身で、幼い頃に野山を駆けめぐり一緒になって遊んだ「はるき」だったと気付くところから物語が始まります(「終わったと思っていた関係が、夏と共に再び始まろうとしていた[雲雀湯1巻:46ページ])。再会した二人が7年間の距離を埋めてゆきながら、二人を取り巻く友人たちと新たな人間関係を手探りでつくってゆきます。

 

 ストーリー展開としては、第1巻で隼人と春希の「家庭の事情」が少しずつ明らかになります。隼人の場合は、病気の母親の療養のために都会へと引っ越しており、仕事と母親の見舞いのために父親は家を留守にしがちで、妹の姫子との事実上の二人暮らしです。一方、美少女に「擬態」して「良い子を演じてる」春希の場合は[雲雀湯1巻35ページ;147ページ]、何らかの事情で母親が不在で、一軒家で寂しい一人暮らしをしていました。そのことを知った隼人が、一緒にご飯を食べようと春希を連れ出し[同第9話]、母親の問題に触れることで春希は隼人への恋愛感情を自覚するようになります[同第14話]

 第1巻の特徴は、「都会と田舎の距離」と「二人の距離」を重ねながら物語が構成されている点にあります。第1巻ではおもに隼人の目線からストーリーが展開しますが、「月野瀬」から都会に引っ越してきたばかりで、「転校したての隼人にはまだまだ慣れないことも多い。月野瀬の田舎と違って登校中にトラクターとすれ違うこともなければ、校庭に鹿や猪がやってくることもない。教室だって満席だ[雲雀湯1巻:76ページ]や「初夏の雨が通学路のアスファルトを叩く。(中略)妹の姿を見送った隼人は、田舎と違ってぬかるみや水たまりのない舗装された道路に感心しながら校門をくぐる[同:110ページ]といった対比的な描写が見られます。こうした描写は再会した二人の距離感のアナロジーとして作用していて、主人公とヒロインの関係性を、空間的・時間的・心理的距離が絡みあったものとして描いていると言えるでしょう(注1)

(注1)また、こうした対比的描写は、読者の田舎に対するノスタルジーを喚起するという効果ももたらしています。なお、物語が進むにつれて、隼人と春希の距離が縮まり、隼人が都会での生活に慣れてゆくことで、隼人目線の対比的描写は減少します。

 

 第2巻からは、二人をめぐる関係性は広がりと深まりを見せるようになります。隼人と春希はそれぞれ、海堂一輝と三岳みなもという同級生の友人をつくり、新たな人間関係へと一歩踏み出します。それと同時に、友人とは違った特別なものとして二人の関係を認識してゆきます。春希は「ボクはね、隼人の本当の特別になれるよう、もっと強く変わりたい」と隼人に告げ[雲雀湯2巻:294ページ]、隼人もまた「自分の中で春希への認識が変わってしまうのを、明確に自覚する」ようになります[同:305ページ]

 第3巻では、「月野瀬」に暮らす後輩・村尾沙紀が本格的に登場して、「都会と田舎の距離」に新たな展開が加わります。これまで隼人目線でなされてきた都会と田舎の対比的な描写は、隼人目線の都会と沙紀目線の田舎との対比へと変化します。さらに第4巻では、隼人・春希・姫子が「月野瀬」に帰省して四人が交流することで、登場人物たちの空間的・時間的・心理的距離が一気に縮まります。とくに4巻後半の沙紀の活躍は、物語を大きく盛り上げています。

 

2.二つの系譜:「ひと夏の物語」と「家族問題」

 ここまで本作の設定と第1~4巻のあらすじを確認してきました。作者いわく、「この4巻までが第1部」のとのことです[雲雀湯4巻:309ページ]。おもな時間軸は、隼人と春希が再開する6月から始まり、隼人・春希・姫子・沙紀が交流する8月までの3ヶ月間となっています。ここに、第1巻のプロローグ(7年前の夏の終わり)と、第4巻のエピローグ(現在の夏の終わり)が加わります。つまり、本作の第1部は、青年たちの「ひと夏の物語」となっていることが分かります。

 考えてみれば、「ひと夏の物語」の系譜は、現代日本ライトノベルの定番です。代表的なところでは、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』(全4巻、電撃文庫、2001~03年)、築地俊彦『ときむすび』(ファミ通文庫、2006年)があります。最近では、赤木大空『二度目の夏、二度と会えない君』(ガガガ文庫、2017年)、八目迷『夏へのトンネル、さよならの出口』(ガガガ文庫、2019年)などがあり、ノスタルジックな「青春もの」の作品が並んでいます(注2)

(注2)「夏に主人公が訪れた先で出会いがある」という作品や「夏に男女が仲を深める」という作品は、日本の文学・映画・ドラマなどで数限りなく存在しています。現代日本ライトノベルと密接な関係にあるアニメやゲームでも多数存在し、ゲーム『AIR』(Key/ビジュアルアーツ、2000年)、ゲーム『ひぐらしのなく頃に』(07th Expansion、2002~06年)、アニメ『おねがい☆ティーチャー』(黒田洋介脚本、童夢、2002年放送)、アニメ『サマーウォーズ』(細田守監督、マッドハウス、2009年公開)が有名でしょう。本作のなかでも、ゲーム『ヨスガノソラ』(Sphere/CUFFS、2008年)をオマージュしたと思われる18禁ゲーム『エニシノソラ』が登場しています[雲雀湯4巻:22ページ]。

 

 また、本作は「家族問題」の系譜に属する作品でもあります。本作の登場人物は、それぞれに家族に関する問題を抱えています。主人公の隼人と妹の姫子は病気の母親との向き合い方に悩んでいますし、友人である海堂一輝は姉、同じく三岳みなもは祖父との関係にそれぞれ問題を抱えています。

 とりわけ、ヒロインである春希の「家族問題」は深刻です。第1巻では親不在の一軒家で寂しい一人暮らしをしていることが明らかになりましたが、その後、「月野瀬」出身の女優・田倉真央の望まぬ私生児であったこと、祖父母からネグレクトを受けてきたこと、その祖父母もバブル時代の開発に失敗して姿を消したことが明らかになります[雲雀湯2巻10話;4巻3話;4巻1話]。第5巻以降の展開では、こうした背景を持った春希の「心の闇」を解決してゆくことが物語のひとつの焦点となるでしょう。

 

3.土の香りに抱かれて生きる:沙紀と隼人の健全性

 続いて、「都会と田舎の距離」という本作のモティーフについて考察を進めましょう。先ほど述べたように、本作のなかで「都会」とは「家族問題」が存在する場所です。一方、おもな登場人物のなかで「家族問題」を抱えていない人がいます。それは、「田舎」側の登場人物である沙紀のことです。彼女には恋の悩みや進路の悩みはあっても、家族に関する問題を抱えていません。「沙紀ちゃんは皆に愛されて育ったから……だから、本当に誰かを愛することができる子なんだ……」と春希は言っています[雲雀湯4巻:288ページ]。

 こうした沙紀の健全性は「田舎」に由来していることは明らかでしょう。それは、沙紀が「皆に愛されて育った」、つまりコミュニティの支えがあったことが指摘できます。加えて、村の神社の娘として宗教的な心の支えがあったことも重要かもしれません。言うまでもなく、村の神社を支えているのは地域コミュニティの存在です。

 「田舎」がもたらす健全性は、主人公である隼人にも備わっています。彼は学生の身でありながら家事と畑仕事が得意で、高い生活能力を備えています。本作では、隼人が料理・買い物をするシーン、一緒に食事をするシーン、園芸部で野菜の世話をするシーンについて、重点的に描写がなされています。加えて、農作業で鍛えられたため身体能力も高いとされています[雲雀湯1巻:77ページ]

 戦前の農民歌(満友万太郎詞、1923年)に「農に生まれて農に生き 土に親しみ土に死す 土の香りに抱かれつ 汗と膏に生くるなる……」とありますが、こうした近代日本の農本主義的な感性の延長線上に本作の主人公が存在していると評しても、あながち間違いではないでしょう。

 

 ところで、この「土の香り」は、私が第1巻を読んでから一貫して本作に感じた印象でした。「土の香り」は作中であまり明示されてはいませんが、畑仕事のシーンや「月野瀬」のシーンはつねに〈太陽と土が存在している〉という感覚に裏づけられた描写だと思えてならないのです。以下に、作中で「匂い」について触れている場面を引用しましょう。

 その日の空は、朝からどんよりと曇っていた。隼人は通学路を歩きながら、スンスンと鼻を鳴らす。

(匂いは薄いけど、降るかもだなぁ、これは)

 隼人はやってしまったとばかりに眉を寄せる。今朝家を出る前に空を見て、降らないかなと思ったが、確かに雨の予兆を嗅ぎ取ってしまった。どうやらこちらは随分と雨の匂いが薄いらしい。そんなところでも、田舎と都会の違いを感じてしまう。[雲雀湯2巻:176ページ]

 どこまでも突き抜けて行けそうな空、その蒼さを彩り漂うまっさらな雲。四方をまるで額縁のように山に囲まれ、そんな天を拝める片田舎。

 都心部へは徒歩30分のバス停からバスに揺られて小一時間、そこから電車で2時間弱、更に新幹線と、移動だけで半日以上はかかる人里から隔絶された辺鄙なところ、そこが月野瀬である。(注3)

 周囲を見渡せば、わずかな平地は田んぼで埋め尽くされ、どこからか野焼きの煙が立ち上り、あちらこちらからは土と肥料の香りが漂ってくる[雲雀湯3巻:319ページ]

 本作が描くように、「雨の匂い」や「土の香り」は「田舎」ではとくに濃厚に感じられ、逆に「都会」では感じにくいものです。この間の新型コロナウイルスの流行でマスク生活を強いられていると、なおさら匂いや香りに距離のある日常生活を送らざるをえません。そんな時に本作を読むと、ノスタルジックな「青春もの」のなかに濃厚な「土の香り」を感じたのです。つまり、『転校先の清楚可憐な美少女が……』とは、「土の香り」に抱かれて生きる人たちが登場する作品と言えるのではないでしょうか。

 

おわりに

 ここまで雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』について、物語の構成、系譜、モティーフを取り上げて論じてきました。簡単にまとめますと、本作の物語上の構造は、「都会と田舎の距離」というモティーフに「ひと夏の物語」と「家族問題」をかけあわせたものであると言えるでしょう。この「都会と田舎の距離」は、ストーリー展開の基軸であるばかりでなく、登場人物の背景(一方に家族問題、もう一方に健全性)をなしています。「土の香り」とは、そうした本作のモティーフを感じ取ることができる、ひとつのキーワードだと私は感じました。

 ところで、この記事には続きがあります。1万字を超えそうだったので、「その一」と「その二」に分割しました。「その二:現実とフィクションのはざまの村々」では、本作が描く「田舎」について掘り下げてみたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 

【参考文献】

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』(角川スニーカー文庫22526、2021年3月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件2』(角川スニーカー文庫22724、2021年7月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件3』(角川スニーカー文庫22890、2021年11月発売)

・雲雀湯『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子だと思って一緒に遊んだ幼馴染だった件4』(角川スニーカー文庫23130、2022年4月発売)

 

(2022年6月7日 一部修正)

 

交錯と別れの小さな火花 ― 川原礫『ソードアート・オンライン プログレッシブ』「星なき夜のアリア」

 皆さん、こんにちは。1年半も記事の更新をサボっておりました。本格的な記事を書く時間がなかなか取れないのですが、リハビリのつもりで文章を書いてみようと思います。ですので、Twitter (@b_sekidate) でいくらかつぶやいた内容を、加筆してお届けします。

 さて、今回取り上げるのは、現在劇場で公開中のソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア』の原作となる作品「星なき夜のアリア」です。本作は『ソードアート・オンライン プログレッシブ』(SAO-P)シリーズの第1話に当たり、作品舞台となる浮遊城アインクラッドの第1層をプレイヤーたちが攻略するまでの物語です。原作の味わいを精読して、本作に対する理解を深めることができたらと思います。

―目次―

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△ 川原礫&ソードアート・オンライン 公式サイト電撃文庫

△ 『劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア』オフィシャルサイト

1.劇場版と原作の違い

 まず、劇場版と原作の違いについて簡単に触れておきましょう。今回新たに製作された劇場版では、アスナを主役に据えた新しい解釈からSAO-Pを描いています。具体的には、アスナ結城明日奈)のバックグラウンドとなる現実(リアル)での生活が描写され、新たなキャラクターとして、アスナとリアルでも知り合いであったミト(兎沢深澄)が登場します。そして、ストーリー全体を通じてアスナが強さを獲得してゆく過程が描かれることになります。

 これに対して原作では、キリトとアスナ=主人公とヒロインの二人を主役に据えた物語です(注1)。全体は15節で構成されていて、交互に二人の目線から物語が進みます。ただし厳密には、キリト目線では一人称「俺」、アスナ目線では三人称「アスナ」という文体で文章が綴られています。ストーリー全体としては、二人の最初の出会いと別れの過程が描かれています。

(注1)本作はもともと作者である川原礫のホームページで公開され、今はなき『電撃文庫MAGAZINE』vol.25(2012年5月号、4月発売)の付録に掲載ののち、同年10月発売のSAP-P第1巻に収録されました。これはアニメ版『ソードアート・オンライン』の放送に合わせた動きであったと思われます。[ピクシブ百科事典]

 なお、原作版についてはテレビアニメ第2話「ビーター」に組み入れられていて、のちにキリトとアスナとのファーストコンタクトのエピソードとして位置づけられています。なお、あとから作られた外伝やアニメ版によって、主人公としてのキリトの造形が変化してしまいました(詳しくは、過去の記事「劇場版が原点を再発見させる」を参照)。一方、今回の劇場版では、原作1~2巻の「アインクラッド編」、外伝の「星なき夜のアリア」、アニメ版第2話「ビーター」との矛盾と整合性のバランスに気を配って製作されたという印象を持ちました。

【過去の記事】

【関連記事】

 

2.出会いのシーン:二人の交錯

 ここからは、原作「星なき夜のアリア」を精読してゆきましょう。先程述べたように、本作は二人の目線が交互に入れ替わって進んでゆきます。これによって、キリトとアスナを対比させながら二人が交錯してゆくストーリー展開になります。

 

 最初の第1節は、キリトの目線からアスナの姿を初めて見たシーンから始まります。その部分を次に引用してみましょう。

 一度だけ、本物の流れ星を見たことがある。

 旅行先ではなく、自分の部屋の窓からだ。空気がきれいで、夜がちゃんと暗い町に住んでいる人にはさして珍しくもないのだろうが、俺が十四年暮らした埼玉県川越市は残念ながらそのどちらでもない。晴れた夜でも、肉眼で見えるのはせいぜい二等星までだ。

 でも、とある真冬の真夜中、何気なく眼を向けた窓の外に、俺は確かに見た。星などほとんどない、深夜でもどこか白っぽい天蓋を垂直に切り裂いた、一瞬の閃光を。〔……〕/あの日と同じ色、同じスピードの流星を、俺は三年(あるいは四年)ぶりに見た

 しかし今回は肉眼によってではないし、背景もダークグレーの夜空ではない。《ナーヴギア》――世界初の全感覚投入型VRインターフェース・マシンの作り出す、薄暗い迷宮の奥底で、だ。

 鬼気迫る、とでも形容したくなるような戦いぶりだった。/〔……〕/かつて、ベータテスト期間中に、パーティーメンバーや敵モンスターが同じ技を使うのを何度となく見ているはずの俺の眼でも、レイピアの刀身そのもではなく、ソードスキル特有のライトエフェクトが描く軌跡しか捉えられなかった。灯りの乏しいダンジョンの薄闇を貫く純白の光芒が、俺にあの日の流れ星を思い起こさせたのだ[SAO-P第1巻:10-11ページ]

ここから分かるように、キリトが抱いたアスナの第一印象は、「光」「純白」「スピード」といったものでした。それを集約する言葉が「流れ星」(「流星」)となっており、それを導出するために「流れ星」の回想が、キリトの(回想ゆえにやや散漫な)意識に即して一人称文体で始まっています。また、「閃光」という言葉も使われていて、のちに「閃光のアスナ」と呼ばれる優れたプレイヤーの片鱗をすでに見せていたことが示唆されています。

 

 続く第2節では、アスナの目線からキリトの姿を始めてみたシーンが描かれます。アスナが迷宮区の奥で気絶してしまい、彼女がふたたび意識を取り戻した時の場面です。

 空地の端、ひときわ立派な樹の根元にうずくまる灰色の影。やや大ぶりな片手剣を両腕で抱え、その鞘に頭を預けるようにして俯いている。長めの黒い髪に隠れて顔は見えないが、装備や体格からして、ダンジョンで気絶する直前に声を掛けてきた男性プレイヤーに違いない。

 恐らく、あの男が、倒れた自分を何らかの手段で迷宮外のこの森まで移動させたのだ。素早く木立の遠景を見渡すと、左側に百メートルほど離れた場所に、天蓋まで届く巨大な塔――アインクラッド第一層迷宮区が黒々とそびえ立っている。

 再び右方向に視線を戻した。その動きを感じたのか、男がダークグレーの革コートに包まれた肩をぴくりと震わせ、わずかに頭を持ち上げた。明るい真昼の森の中でも、男の両眼は、星のない夜空のように黒かった

 闇色の瞳と視線がぶつかった瞬間、頭の奥で小さな火花が弾けた気がした。[SAO-P第1巻:22-23ページ]

この文章では、何度も繰り返し「黒」という色が登場します。アスナが抱いたキリトの第一印象は「黒」「闇」といったものでした。キリトが「黒の剣士」と呼ばれる前に、すでに「黒」をまとっていたことが分かります。さらに、アスナ目線の三人称文体を通じて、「頭の奥で小さな火花が弾けた気がした」とアスナにとってキリトが無視できない存在になっていたことも重要です

 

 ここまでの議論から明らかように、キリトとアスナはお互いに「闇/光」あるいは「黒/白」という象徴によって対比的に描かれており、運命的な存在として物語のなかに配置されているのです。まさに出会うべくして出会った二人というわけですね。

 

3.ラストシーン:「星なき夜のアリア」の意味とは

 本作がいよいよ動き出す第3節以降、アインクラッド第1層の攻略に向けて話が進んでゆき、そのなかでキリトとアスナの交流が少しずつなされてゆきます。最大の盛り上がりは第1層のボス攻略戦で、二人が協力して敵を倒すことに成功しました。しかし、そこで二人のあいだに破局が訪れます。

 破局の原因は、ソードアート・オンラインのプレイヤーたちを分断する「ベータテスター」。キリトは自ら名乗り出て対立を抑えようとしました。そして、その対立にアスナが巻き込まれないように、アスナと別れることを決意します(第15節)。

 いよいよ本作のラストシーン。一人で去ろうとするキリトに、アスナは後ろから声を掛けます。このアスナキリトの名前を知ることになるシーンで、別れを前にして二人はふたたび対比的に描かれます

「…………なるほど」

 俺は思わず口許を緩めながら、右手を持ち上げ、アスナの視界の左端あたりを指した。

「このへんに、自分の以外に追加でHPゲージが見えてるだろ? その下に、何か書いてないか?」

「え……」

 呟き、アスナが顔を左に向けようとするので、反射的にその頬を指先で支える。

「顔を動かすとゲージも動いちゃうよ。顔を固定したまま、眼だけ左に向けるんだ」

「こ……こう?」

 アスナの、はしばみ色の瞳がぎこちなく動き、俺には見えない文字列を捉えた。つややかな唇が、そっと三つの音をこぼす。

「き……り……と。キリト? これが、あなたの名前?」

「うん」

「なぁんだ……こんなところに、ずっと書いてあったのね……」[SAP-P第1巻:165ページ]

ここで重要なのは、二人が物理的に接近するときにアスナの「はしばみ色の瞳」がキリトの目線から描かれていることです。これは、アスナの目線から見た、キリトの「星のない夜空のよう」な「闇色の瞳」との対比にほかなりません。(ちなみに、アニメ版第2話ではこのシーンは省略されていますが、コミック版では見事に表現されています[作画:比村奇石、第2巻:79~80ページ]。)

 本作では、二人は交錯したのち別れることになります。キリトとアスナの関係は、この時点では「一瞬の閃光」あるいは「小さな火花」にしか過ぎませんでした。「アリア」とは、叙情的旋律の〈独唱曲〉のこと。「星のない夜空のよう」な瞳のキリトは一人孤独に第2層への道行きを進んでゆきます(注2)。ここで本作「星なき夜のアリア」は幕を閉じます。

(注2)なお、劇場版のラストでは二人が一緒に第2層に向かうことになります。それは、アスナがミトから自立して新たなパートナーとしてキリトを選ぶという劇場版のストーリー展開を際立たせるための演出だったのでしょう。

 

おわりに

 以上、「星なき夜のアリア」の原作の精読を通じて、キリトとアスナの交錯と別れの物語を読解してゆきました。本記事では、「星なき夜のアリア」が対比的構成に貫かれた作品であることを指摘しました。実は『ソードアート・オンライン』はシリーズ全体を通して、キャラクター、ストーリー展開、世界設定における対比やテーマの変奏再現といったシンフォニー的な構成が確認できます。今回紹介した「星なき夜のアリア」は、そうした作品の特徴が端的に現われていたと言えるかもしれません。

 今回は短めの記事となりましたが、いかがだったでしょうか。最後までお付き合いくださり、感謝申し上げます。

 

【参考文献】

川原礫ソードアート・オンライン1』(電撃文庫1746、2009年4月発売)

川原礫ソードアート・オンライン プログレッシブ1』(電撃文庫2417、2012年10月発売)

・「星なき夜のアリア とは」(ピクシブ百科事典、2021年12月8日閲覧)

 

(2021年12月8日 加筆修正)