現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

差別と抑圧の世界をぶっとばせ ― 輝井永澄『空手バカ異世界』

 いつもお読み下さりありがとうございます。読みたいライトノベルがあっても、なかなか時間が取れずに積ん読が増え続けています。心の負債を溜めないためにも、買ったらすぐに読む、そんな勢いが大切だと痛感する毎日です。

 さて、勢いよく読んだということでは、今回紹介する輝井永澄『空手バカ異世界』(富士見ファンタジア文庫2823、2019年2月発売)は実に強烈でした。もう頭がおかしくなるような作品です(これは褒め言葉)。小説サイト「カクヨム」に2017年から連載されている、勢いに溢れた迷作について、勢いに任せて語ってみたいと思います。

―目次―

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WEB発小説特集 | 富士見書房 | 空手バカ異世界

空手バカ異世界 ~物理で異世界ケンカ旅~(輝井永澄) - カクヨム

1.空手+異世界+ギャグの迷宮

(a) 格闘マンガへの自己言及的構造

 まずは、本作『空手バカ異世界』の基本的な説明から。タイトルは梶原一騎・原作の空手バカ一代』が元ネタ。こちらは『週刊少年マガジン』に1971~77年に連載されたもので、伝説の空手家にして極真空手の祖である大山倍達の生涯を脚色しまくった、これまた伝説的作品です。これで空手の道に入った人も多いという、マンガが現実のスポーツや武道に影響を与えた初期の例の一つです。ちなみに、つのだじろうの絵よりも、影丸穣也の絵の方が個人的には好みです。

 『空手バカ異世界』は、作者の輝井永澄いわく作家仲間とのSNS上での冗談のやりとりから生まれた、文字通りのネタ作品であったと言います[輝井2019:あとがきpp. 301- 302]。そのため、元から空手+異世界+ギャグという基本構造は定まっていたことになります。ここをどう料理するかが、作家の腕の見せ所になるわけですね。

 

 ところで、格闘マンガやスポ根マンガを読んでいると、真面目に格闘・スポーツをやっているはずなのに、どうしてかギャク臭くなってしまう作品って多くないですか? 元ネタの『空手バカ一代』だと明らかに話を盛りすぎなパートがありますし、森川ジョージの『はじめの一歩』や板垣恵介の『バキ』なんかも、どうにもおかしいシーンが出てきます。恐らくその原因は、登場キャラクターが超人的な動きを見せたり、常識ばなれした特殊な世界を描くことによる、物語世界と読者のギャップなのだと思います。

 こうしたギャップを逆手に取ってネタにするとギャグになります。マンガの場合ですと、島本和彦の『炎の転校生』や『逆境ナイン』がスポ根をギャグ化していますね。ライトノベルでは格闘・スポーツものはそれほど多くないため、やや手薄なジャンルではなかったかと思います(注)。とにかく要するに、『空手バカ異世界』には格闘・スポーツマンガあるあるを更にネタにしたような、自己言及的な構造を感じるということです。

(注)筆者はこの手のジャンルは詳しくないので、ライトノベルの格闘・スポーツ+ギャグもの(異世界に限らない)の作品を教えて下さい。m(_ _)m

 

(b) 「異世界もの」への自己言及的構造

 異世界+ギャグという組み合わせにも注目する必要があるでしょう。この組み合わせは新しいものではなく、神坂一スレイヤーズ』シリーズが今なお代表作です。(ちなみに、スペースオペラに広げると、高千穂遙『ダーティーペア』、吉岡平無責任艦長タイラー』、神坂一ロスト・ユニバース』、庄司卓それゆけ! 宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』など結構あるジャンルです。)とはいえ、『空手バカ異世界』は流行に敏感なカクヨム発だけあって、ちゃんと最近の「なろう系」と呼ばれるような「異世界転生・転移もの」の動向を押さえています。

 例えば、物語の始まりはトラックとぶつかる→天国で神と出会って転生について説明を受けるという定番展開をギャグでずらしています。暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を』(既刊15巻ほか、角川スニーカー文庫、2013年~)、冬原パトラ『異世界はスマートフォンとともに』(既刊15巻、HJブックス、2015年~)などが似たパターンです。

 主人公のチート的能力をギャグとして描くのも定番の面白さがあります。これは物語世界と読者のギャップに対して、地の文や一部の登場キャラクターがツッコミを入れるという形式を取ります。近刊だとつちせ八十八『スコップ無双』(MF文庫J、2019年1月発売)とかもそうですね。

 

 また、最近の「異世界もの」の動向と関わって、『空手バカ異世界』ではサブジャンルとしての「復讐もの」が物語のバックグラウンドに置かれている点が見逃せません(「復讐もの」については、「2018年の回顧と雑感2-(b) もご覧下さい。)。ただし、復讐を狙っているのは主人公ではなく、異世界から転移させられた元勇者の側です。すなわち、闇堕ちしてしまった元勇者の復讐を阻止することが、ストーリー展開の基軸となっています。むしろ、本作はギャグなのですから、「復讐もの」を空手によって粉砕しちゃうという展開なのですけれども。

 つまり、本作『空手バカ異世界』は、「異世界もの」(あるいは「なろう系」)への自己言及的な構造も持っているということなのです。ギャグには自己言及が付きものですが、格闘ものと異世界ものへの二重の自己言及という迷宮のような構造が存在することで、本作が成り立っているというわけです。いや~、すごい(褒め言葉)。

 

2.〈差別と抑圧の世界〉をめぐって

(a) 世界設定と物語の構造

 さて、上に論じたように『空手バカ異世界』が「復讐もの」をバックグラウンドに取り入れた結果、重要なテーマが浮上することとなります。それが世界設定を覆う〈差別と抑圧の世界〉の問題です。

 そもそも「復讐もの」において登場キャラクターが復讐を行う理由は、彼らに襲いかかる圧倒的な理不尽であり、それは多くの場合、物語世界における政治・経済構造や社会・文化状況といったものに起因しています。ファンタジー世界の定番である中世的世界とは、貴族あれば賤民ありの前近代的な身分制社会です。騎士や武士は支配者の証として刀剣を所持して直接的暴力を下々の者に見せつけていますし、庶民だって生き延びるのに必死な自力救済の社会です。職業・民族・男女による差別だって当たり前。それが、ファンタジーという世界設定が抱える〈差別と抑圧の世界〉です。いわゆる「ダーク・ファンタジー」において前景化する世界です。

 『空手バカ異世界』では、「復讐もの」をバックグラウンドに取り込んだ世界設定を持ち、そこに主人公が空手で活躍するというストーリー展開が組み合わさります。しかも、主人公のキャラクターが非常に明快です。主人公である「おれ」はスポーツとしての空手を否定して実戦的な空手を追求してきた人物です。そのため、直接的暴力を抑制している現代世界に対して違和感を持ち、「ただひたすらに武の道を極めたい」と願っています。こうして、世界設定・ストーリー展開・キャラクターが上手く組み合わさって、もの凄いスピードでギャグが繰り広げられるのです。(他方で、主人公以外のキャラクターが薄いところがあり、その点が本作にとってマイナスです。)

 

(b) 主人公の目指す道は?

 もう少し、世界設定とキャラクターの関連を掘り下げてみましょう。「武の道」を極めようとする主人公が目指すのは、「暴力」が肯定される世界なのでしょうか。答えはノーです。彼は差別と抑圧に満ちた異世界に対しても違和感を抱いていて、主人公を差別・抑圧しようとする登場キャラクターをやり込めるなどしてします。一方で直接的暴力を抑制した現代世界に、他方で直接的暴力が認められている異世界にも、主人公は違和感を持っているとすれば、これは実にハードな展開にようにも思えます。けれども、このハードさを乗り越える原動力もまた空手(とギャグ)です。 

 物語の終盤で主人公が闘うのは猪鬼同胞団〈オーク・マフィア〉です。主人公は彼らを打ち破って、彼らを空手で結ばれた仲間にすることに成功しました。国家の権力者や社会の有力者ではない主人公たちにとって、「同胞」の力ほど頼もしいものはありません。主人公が物語の先に目指すのは、「暴力」に満ちた異世界でもなければ、「暴力」を歪に抑制する現代世界でもない、「暴力」が社会と調和した同胞たちの世界ではないだろうか――。そんなことを本作は夢想させてくれました。

  そんな世界はありえない? リアルじゃないって? ほらほら、〈差別と抑圧の世界〉をぶっとばっせ!って。『空手バカ異世界』は、ギャクですからね。

 

おわりに

 ツイッターやネットの反応を見ていると、『空手バカ異世界』は、作者である輝井永澄の空手愛や、ベタベタのギャグの側面から話題になっていましたが、本ブログで物語の構造の面からスポットライトを当ててみました。いかがでしたでしょうか。

 

 この記事を書きながら、「カクヨム」発の商業作品の意味について考えさせられました。先日書いた記事に対して、市永剣太さま(@yam1801 - カクヨム)から寄せられたコメントがきっかけです。「カクヨム」といった小説投稿サイトが収益を上げていながら、それが書き手である投稿者に還元されないという問題点に関することだったと思います。

 確かに海外では書き手に収益が行くものもありますし、「note」などのように閲覧者が書き手にお金を支払うサイトもあり、商業出版社が優位に立つネット商売がいつまで持つかは先行き不明です。もちろん、書き手の方だって今のままだと消えてしまう人も多いでしょう。私自身、整理できていないことも多いので、今後の課題とさせて下さい。

 それでは、失礼します。

 

【参考文献】

・輝井永澄『空手バカ異世界』(富士見ファンタジア文庫2823、2019年2月発売)

 

(2019年3月26日 一部修正)

空手バカ異世界 (ファンタジア文庫)

空手バカ異世界 (ファンタジア文庫)