現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

2018年の回顧と雑感

 2019年になりました。昨年5月以来、ブログの更新が滞ってしまいました。新しい仕事が忙しくて、筆を執る時間が取れなかったためです。すっかり機会を逸してしまった作品が多くて内心忸怩たる思いです。せめて2018年の回顧と最近の雑感などを書いておこうと思います。

1.野村美月先生について

 去年、何よりも驚くとともに嬉しかったのが、野村美月先生の次のツイートでした。

野村美月 @Haruno_Soraha
別名義で書かせていただいたご本☺️🙏 先日、編集さんと過去作のお話をしていて、その流れで検索をした際、それまで見ていなかった感想を目にして胸がいっぱいになりました。今さらですがありがとうございます。こちらの3巻が自分でもすごく好きで、表紙のこの子を書けて良かったなと思っています。 pic.twitter.com/Efu07NmO9i
2018/08/17 22:38

https://twitter.com/Haruno_Soraha/status/1030448909796044801

ここで紹介されているのが、今井楓人の『救世主の命題〈テーゼ〉』で、野村美月=今井楓人が発覚してツイッターライトノベル界隈で話題になりました。近年でこの作品を紹介していて、なおかつ検索の上位に引っかかるのは本ブログだけなので、私の自意識過剰でなければ(←ココ大事!)、野村先生がこのブログをご覧になったということです。

 野村美月先生は、私にとって本当に大好きな作家さんです。一作一作語りたいことだらけです。特に3回目の「終わってしまった物語を想像する」の、〈物語を想像する〉という発想は、『“文学少女”』シリーズへのリスペクトです。まさか、その作品を書いたのが野村先生だったとは!

だから、僕は世界を救おう ― 今井楓人『救世主の命題』(その一)

地球が救われた未来で、僕らはまた恋をするから ― 『救世主の命題』(その二)

終わってしまった物語を想像する ― 『救世主の命題』(その三)

 

 ライトノベルは、作者と読者の距離が近いところが一つの特徴だと思うのですが、こうした近さが自分自身に跳ね返ってくるのは、とても驚くとともに嬉しいことでした。これ以外にも、大澤めぐみ先生、肥前文俊先生、高橋徹先生がツイッターで本ブログに言及していただきましたし、他にも多くの方に言及していただきました。こんな零細ブログなんぞ、誰も見ていないだろうと自己満足のつもりでやっていたのが、こんな風に扱ってもらえることが新鮮でした。この場をお借りして感謝申し上げます

2.2018年のライトノベル読書雑感

(a) 異世界ファンタジーにおける「歴史」

 2018年は引き続きウェブ小説を震源とした異世界ファンタジーの刊行が続いていました。「なろう」原作も含めていくつか読みましたが、多くの興味深い作品に出会いました。澪亜『公爵令嬢の嗜み』、漂月『人狼への転生、魔法の副官』、どぜう丸『現実主義者の王国再建記』などの作品は、魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」(2ちゃんねる、2009年、『魔王勇者』)以来の政治制度・経済システム・農業技術などに現代の知識で介入してゆく作品です。

 これらの特徴は、異世界への転生や転移によって主人公が「チート」的な戦闘能力を獲得するのではなく、主人公の戦闘能力と現代知識に直接の関連性がないという点でしょう。ストーリー展開は、社会改革と政略が軸となります。

 

 こうした作品の難点は、ファンタジー世界に現代的な政治制度・経済システム・農業技術が通用し定着するか、という点にあると思います。どれほど優れた知識や技術も、それに相応しい社会経済構造や政治・文化状況がなければ活用することができないということです。この辺りを徹底的に考察すると、ファンタジーというよりはSFっぽい作品になってしまいます。その辺のバランスを考えて作られた作品としては、肥前文俊『青雲を駆ける』が挙げられます。実際に、中世世界を舞台とするSF作品には、たくさんの良作が存在しています。

 これに対して、ファンタジー側からの応答とは何でしょうか。2点指摘しましょう。『公爵令嬢の嗜み』の場合は近世から近代への「近代化」、『人狼への転生、魔法の副官』や『現実主義者の王国再建記』の場合は中世から近世への「近世化」を読み取ることができます。つまり、歴史の発展の一環として主人公の活躍が描かれるということです。これが第1点目。

 加えて重要なのが、主人公が所属する文明世界とは異なる文明世界(たとえば、海や山をこえた先の世界)との交流が描かれていることも注目できます。両者の文化・風習の相違と関係づくりが、物語に取り入れられています。つまり、歴史の交流の一環として主人公の活躍が描かれるということです。これが第2点目になります。

 

 こうした物語が抱える課題も、これらの作品は共有しています。歴史の発展や交流のなかで、取り残されたり、生きる業を失ってしまう民衆への視線が欠けがちだという課題です。主人公たちの庶民性によって補完されてはいても、やはり主人公たちは支配者です。〈主人公が支配者であるということ〉をどう考えるのか。この問いへの回答がある作品を個人的には期待しています。

公爵令嬢の嗜み (カドカワBOOKS)

公爵令嬢の嗜み (カドカワBOOKS)

 
人狼への転生、魔王の副官 1 魔都の誕生 (アース・スターノベル)

人狼への転生、魔王の副官 1 魔都の誕生 (アース・スターノベル)

 
現実主義勇者の王国再建記 1 (オーバーラップ文庫)

現実主義勇者の王国再建記 1 (オーバーラップ文庫)

 

 

(b) 別離と死をめぐる苦しみ

 「別離と死」をめぐる苦しみに焦点が当てられたいくつかの作品にも出会いました。「なろう」系における復讐ものは、一つのジャンルとして確立しているように見受けられます。その代表作の一つが、木塚ネロ『二度目の勇者は復讐の道を嗤い歩む』です。

 ところで、物語の類型としての復讐譚は、古今東西に見られる一大ジャンルですが、日本では曽我兄弟や赤穂浪士のような「仇討ち」ものが伝統としてあります。ところが、日本の「仇討ち」ものは、復讐にまつわるバックグラウンド・ストーリーや、復讐とは異なる倫理・心情との絡みが重視される傾向があるように思います。つまり、純粋な「復讐」とは異なる要素が盛り込まれているのではないか、ということです。

 これに対して、『二度目の勇者は復讐の道を嗤い歩む』の主人公は、転移前の現代日本の倫理観や心情とも、転移後のファンタジー世界の論理とも切り離された〈復讐への情念〉を持ち続けます。「復讐は空しい」といった忠告に対して、まっこうから反論します。この情念を支えるものこそ、別離と死の繰り返される苦しみ記憶なのです。

 

 異世界戦記において、別離と死を繰り返し体験する作品が出てきました。師走トオル『ファイフステル・サーガ』の主人公は、未来予知という形で別離と死を繰り返し体験し、未来を変える行動によって活路を見出そうとします。

 未来予知という道具立ては、それほど珍しいものではありませんが、別離と死を繰り返し体験するという苦しみは、主人公を差し迫った危機から救うとともに、主人公の精神に影響を与えざるをえません。発狂してしまった方が楽なきわめて過酷な状況を、作者は主人公に与えました。この残酷な物語ゆえに、読者は手を止めることができず、息をのんでページをめくり続けるのです。

 

 発狂してしまった方が楽なのか。この問いへの残酷な「ノー」を突き付けた作品も存在しています。全3巻で完結した内堀優一『あんたなんかと付き合えるわけないじゃん!ムリ!ムリ!大好き!』の場合、主人公はヒロインの別離と死を忘却し、ヒロインの幽霊あるいは幻覚が見えてしまっています。ですが、「死んだはずのヒロインが生きている」という主人公の主張は、周りから見れば彼がおかしくなったようにしか見えません。

 物語が進むとともに、主人公と周囲のズレが拡大し、主人公は親友と仲違いしたうえ、異常者としてイジメを受けることになります。別離と死を忘却することは何等の解決にはならず、物語の後半は主人公がヒロインとの別離と死をどのように受け止めるかが焦点となります。そしてそれは、ヒロインの幻覚を主人公が失ってもなお続くのです。揺れ動く主人公の悲痛な叫びが、読者を繰り返し揺さぶる作品でした。

 

(c) 豊作であった現代を舞台とした作品

 2018年は現代を舞台とした作品がとても豊作であったと感じます。作品を挙げだすとキリがないのですが、若干整理してみたいと思います。

 まず、ミステリ系の作品群です。定番のジャンルだけに、さまざまな味付けがなされていて、どれも大いに楽しめました。例えば、正統派はやはり酒井田寛太郎『ジャナ研の憂鬱な事件簿』で、後ろ暗い過去を抱えた主人公が、さまざまな謎を解くなかでヒロインとの関係を紡いでいくという定番にして王道の展開です。かめのまぶた『エートスの窓から見上げる空』は、おじいちゃん教師と女子高生という異色の組み合わせ。「妖怪もの」の要素を加えた太田紫織『昨日の僕が僕を殺す』なんかもありました。

 なかでも、三田千恵『彼女のL 嘘つきたちの攻防戦』は出色です。ストーリー展開の意外性、嘘を見破ることができる主人公の能力という道具立て、情景描写と登場人物の関係性の変化のどれもが秀逸。そして、これらが見事にかみ合った作品であったと思います。

 

 個人的に関心を惹いたのが、才能のあるヒロインとの関係性に悩む作品群が目立ったことです。樹戸英斗『優雅な歌声が最高の復讐である』は、歌えなくなった世界的な歌姫と、怪我が原因でサッカーをやめた主人公をめぐるお話です。また、あまさきみりと『キミの忘れ方を教えて』もまた、有名女性シンガーと、音楽を諦めた主人公との関係修復をめぐる物語です。いずれも、主人公が過去に挫折を抱えた人物であり、彼がどのようにして青春を取り戻すかが、ストーリー展開の軸となっています。

 こうした作品は、ヒロインの魅力がカギになってくるように思います。桐山なると『オミサワさんは次元がちがう』は、その点で大変良い作品でした。当初は孤独なヒロインの心を開いてゆくのかと思いきや、彼女が見て感じている「世界」そのものへと分け入っていくストーリー展開。読み進めるほどに、ヒロインの一挙手一投足がとても愛おしく感じます。ごんごんじー。

 

 これ以外にも、園生凪『公園で高校生達が遊ぶだけ』、しめさば『ひげを剃る。そして、女子高生を拾う。』、岬鷺宮『三角の距離は限りないゼロ』などの作品がありますが、この辺りは機会を設けていずれ。

彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~ (ファミ通文庫)

彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~ (ファミ通文庫)

 
オミサワさんは次元がちがう (ファミ通文庫)

オミサワさんは次元がちがう (ファミ通文庫)

 

 

3.ライトノベルが手に入りにくくなった

 さて、ツイッターを始めて気付いたのが、書店関係者のアカウントがあって、かなり興味深いことを呟いていることでした。ライトノベルの流通という問題は、以前から関心を持っていたのですが、書店関係者のツイートや山中智省先生の『「ドラゴンマガジン」創刊物語』のように、こうした問題について理解を深める機会が得られてのが、私にとっての2018年の収穫でした。

 2018年になって個人的に困ったことが、ライトノベルが手に入りにくかったことです。私は休みの日に月1~2回アニメショップに立ち寄ってまとめ買いをし、足りない分を仕事の帰りに補充して買っています。特に現在、大量の仕事を抱えているために、休日はとても貴重。やっとの休みの日に、わくわくしながらアニメイト某店に立ち寄るとお目当ての作品が棚に並んでいないのです(涙)。

 

 2018年はこの売り切れに何度も遭いました。発売からだいたい2週間くらいの作品が売り切れになっているのです。アニメショップを利用して十ン年にもなりますが、最近つとに目立ちます。ライトノベルの売り上げは頭打ちですから、要するに、ライトノベルの流通量が減っているのでしょう

 既存レーベルでは、すでに月あたりの刊行点数を絞っているレーベルもあると聞きます。元来ライトノベルは、既存の流通システムへの依存度が高い媒体であるように思います。私たち買い手=読者にとっても、ライトノベルは岐路に立たされているのではないでしょうか

 あまり風呂敷を広げすぎると筆者の能力の範囲を超えるのでは、今回はこれくらいで。お付き合いいただきありがとうございました。

 

(2019年1月7日 一部修正)

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