現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

だから、僕は世界を救おう ― 今井楓人『救世主の命題』(その一)

 こんにちは。3ヶ月連続でPV数100件超えというのは、大変嬉しいものです。見て下さった方々、読んで下さった方々にはただただ感謝しかありません。また、累計PV数も2000件を超えました。これからも頑張ってゆきたいと思います。さて、今回はこのブログを始めた頃に発売されて、ぜひとも紹介したいと思いながら果たすことの出来なかった作品について語ってみます。

 

 今井楓人『救世主の命題〈テーゼ〉』全3巻(MF文庫J、2013~14年)は、主人公とヒロインたちをめぐる温かく切ない恋愛を描いたもので、奈月ここの優しく儚げなイラストが好印象を与える作品です。ですが残念なことに、ほとんど話題になることなく打ち切りとなってしまい、作者の今井楓人もその後作品を発表していません。もう誰も語ることのない作品かもしれません。けれども、私はこの作品が好きで好きで堪らなくて、しかし同時に、心のなかを整理することも出来ないままでいました。

 本ブログは、ライトノベルを分析的に読むことを通じて「もう一つの読み方」を考えることを目的としています。その趣旨から言えば、今回私は冷静な分析を行うことは多分できません。実際この作品を、私は今も涙なしには読めません。私は、歴史にただ埋もれてしまうよりも、少しでも語ることを選びたいのです。完全なネタバレですが、筆者の趣味にお付き合いいただければ幸いです。

f:id:b_sekidate:20170708000240j:plain

救世主の命題(テーゼ) | MF文庫J オフィシャルウェブサイト

5つのテーゼで世界を救う

 まず、本作の設定を抑えておきましょう。舞台は春が遅れて訪れる北国(作中の描写から北東北――恐らく青森県岩手県の山に囲まれた町。人間不信で、オカルトを愛する根暗な高校生の永野歩は、初恋にこっぴどく敗れ、「世界を滅ぼしてやる」と中二病全開で呪文を唱えた。そこに突如、未来から来たという謎の少女ルーメと出会う。彼女によると、未来の世界は、救世主となる歩の「愛」の力が欠けていたことで滅びてしまうという。世界を救うには、現在の歩が「愛」を手に入れること――すなわち、5人の鍵となる女性と恋をしなければならないのだ。

 この5人の女性には、それぞれ“憧憬”、“敵対”、“聖域”、“戯れ”、“傾国”のテーゼがあり、5つの肯定的命題を手に入れることで、真実への道が示され、未来を照らす力になるのだという。そして、1番目の“憧憬”の恋の相手は、敗れた初恋の人、クラスメイトの春坂遥菜なのだ。タイムリミットは、世界に魔法が襲来する10ヶ月後の3月14日。それまでに、5つのテーゼを手に入れなくてはならない。

 

 以上のように、本作は世界を救うために5人のヒロインを10ヶ月以内に攻略しなければならないという設定です。この基本的な設定は、ゴールが明瞭に定められていて、小説というより恋愛ゲーム(ギャルゲーとかエロゲ―とか)的な内容とも言えそうですね。

ネクラで、自意識過剰で、そして純粋な主人公

 本作の重要なポイントは、主人公のキャラクター設定にあります。冒頭のシーンは、春坂遥菜へのラブレターを書いた歩が、遥菜に相手にされず、他の女子生徒から罵詈雑言を浴びせられるところから始まります。彼は前髪で顔がろくに見えず、暗々とした負のオーラがにじみ出る中二病のオカルト少年で、遥菜への告白も、クラスで隣の席になって優しくしてもらったことがきっかけ。話が始まる時点では、主人公とヒロインの仲は深まっておらず、ある意味で玉砕的に告白してしまいます

 周りの女子生徒から見れば、これは歩の「勘違い」に外ならず、そのため告白を察知した女子生徒たちは、遥菜には内緒で歩を取り囲んだのです。しかし、歩はこのことに気付かず、告白を自分で断らずに友達に断らせる、猫を被った酷い女として勘違いしてしまいます。歩は余計に女性不信を募らせてしまい、序盤では主人公はひらすら恨み言と自己卑下を繰り返すのです。こうした主人公の言動が一人称で語られるので、「気分が悪い」、「主人公に感情移入できない」と否定的な印象を持った読者も少なくないようですね。

 

 けれども、私は主人公のキャラクター設定に強い共感を覚えます。それはどういう点か。彼はコンプレックスの塊です。特に一つ年下に成績優秀・スポーツ万能なイケメンの弟がいて、周囲から比較されて蔑まれ、親からは無視されていると感じています。周囲の目からは、弟のお弁当は母親の愛情あふれるものとして評されるのに対して、自分は「マザコン」と言われてしまいます。主人公がオカルト趣味にふけり、周囲を見下すのは、彼のコンプレックスの裏返しに外なりません。客観的に言えば自意識過剰な人物でしょう。こうした主人公の永野歩は、人間なら誰もが持つような暗く淀んだ人格と感情を背負った人物として、生々しく読者の前に現れているのです。

 しかし、同時に彼は純粋な男子高校生でもあります。クラスの嫌われ者の歩にも優しくしてくれる天使のような美少女のことを、彼は好きで好きで堪りません。冒頭部のラブレターの一文は、彼の恥ずかしいくらいの恋心が表現されています。

春坂さんが好きです。

春坂さんのことが、もっと知りたいです。

春坂さんと仲良くなれたら、嬉しいです。[今井:1巻22ページ]

そんな想いを打ち明けながら、女子生徒に囲まれて「勘違い」を非難された歩が深く傷ついたのは当然かもしれません。そしてまた、遥菜に不信感を抱きながらも、好きという想いはそう簡単には消えません。ですから、主人公は彼女への想いを我慢しなければならないのです。愛を手に入れるように助言するルーメに対して、歩は冷たく時に苛立たしげに接します。山に囲まれた情景が繰り返され、彼の閉塞感を描写します。

恋の成就と破局

 物語が大きく動き出すのは、中盤でヒロインの春坂遥菜が悩みを聞き出すところからです。その時、歩が彼女にかけた言葉は、「春坂さん。辛いときは、我慢しないほうがいいよ……」、「我慢は心にも体にもよくないから[同:1巻135・37ページ]。これは今の歩自身の経験です。こうして、歩は遥菜の失恋相談にのることになり、歩の指導による丑の刻参りを通じて、主人公は彼女への誤解を解き、二人は仲を深めてゆくことになります。7日目の夜、ついに歩の手紙が遥菜に渡っていなかったことが判明し、それがラブレターであったことを告白します。

 一言一言、ひたむきに語るその声が、大好きな女の子のその声が、歩の耳に、心に、染みてゆく。(中略)

 そんな表裏のない、健全で純粋な春坂遥菜という女の子を、歩は好きになったのだ。

 休み時間に一人で暗くオカルト雑誌のページをめぐって、ぶつぶつ滅びの呪文を唱えている歪んだ自分でも、この朗らかな女の子と一緒にいれば、明るい太陽の下で笑いあえるような気がして。

 今、歩たちの上には、太陽でなく月が淡く輝いている。

 幻想的な優しい光に包まれて、遥菜がうんと緊張している顔で、尋ねる。

「永野くんは、あたしとつきあうの、嫌?」

 歩は首を横に振った。

「ううん、生まれてきて良かったと思えるくらい、嬉しい」[同:1巻182-83ページ]

この、淡く幻想的な情景は、二人のその後も暗示しています。ついに付き合うことが出来た二人は、デートに出かけて彼女の意外な一面を知り、お互いをあだ名で呼び合うようになり、学校で交際宣言までします。

 一方、二人の仲を疑うクラスメイトは、歩の長い前髪を上げた写真を撮るように遥菜に言います。しかし、自分の顔がコンプレックスであった歩は、笑い物にする気かと、強い口調で遥菜のことを拒否してしまいます。彼女の愛を本当の意味で受け入れることの出来ない歩――これでは、テーゼは反転してしまいます。

 さらにルーメから衝撃的なことが伝えられます。テーゼを手に入れるために、一度成就した恋愛はリセットされて、次のヒロインに移ることになる、と。主人公の恋は成就しても失敗しても忘れ去られる運命にあることが突き付けられるのです。迷う歩にルーメは後押しの言葉を与えます――「また、飲みこんでしまうのですか[同:1巻220ページ]。もう歩は我慢しません。物語は怒涛の勢いで最終盤に向かってゆきます。

 無垢でバカで、けど優しくて健やかで、まぶしくてあたたかい、憧れて、憧れて、憧れた、歩の春風。

 歩の初恋の女の子。

 こんな素敵な子が、僕の彼女になてくれた!(中略)

 遥菜が遥菜でよかった。

 誰かに感謝したことなんて、一度もなかった。

 でも、今だけは心からお礼を言う。

 神様、はるるんに会わせてくれてありがとう。

 お父さん、お母さん、僕に命をくれてありがとう。

 はるるんの友達も、ありがとう。(中略)

 胸を震わせ、歩は問いかけた。

 

「はるるん、世界が平和なまま、続いていったらいいと思う?」

 

 いきなりそんなことを訊かれて、遥菜は戸惑っているようだった、けど、すぐに、朗らかな声が、あたたかな風と一緒に返ってくる。

 

「うん!」

 

 迷いのないまっすぐな、善良な声!

 歩は胸が、いっぱいになった。

 世界が滅べばいいなんて、もう言えない。絶対言えない。

 力一杯、叫んだ。

 

「はるるんが、大好きだ!」[1巻236-38ページ]

こうして、未来は滅びから5分の1が救われました。遥菜の記憶は失われ、歩の心のなかにだけ残りました。はじめて歩が好きになった――はじめて歩を好きになってくれた大切な女のことのために、彼は「救世主」となることを決断したのです。

主人公とヒロインの関係、魔法の役割

 以上が『救世主の命題』第1巻のあらすじです。完全なネタバレです。しかも、冒頭に述べたように、冷静な分析もあったもんじゃありません。このまま勢いで突っ走ります。以下にこの作品のポイントを述べましょう。

 第1に主人公とヒロインの関係について。先にも指摘したように、主人公の永野歩は、人間なら誰もが持つような暗く淀んだ人格と感情を背負った人物です。それゆえに、読む人によっては不快感を抱くこともありますし、真に迫ったキャラクターとして立ち現れてくる存在でもあります。一方で、春坂遥菜は、優しくて朗らかで、明るくて純粋な、現実にはあり得ないようなキャラクターとしてヒロインは描かれます。それはなぜでしょうか。

 一つには、彼女のテーゼが“憧憬”であるということが理由です。主人公にとってはこれが初恋であり、現実に対して理想や憧れの方が先行しています。それゆえ純粋でありながら、地に足が付いていません。もう一つには、この物語が主人公の目線で語らていることです。恐らくより長く付き合えば、遥菜の生々しい部分が浮かび上がったことでしょう。実際、作中でも、プロレス好きであること、見栄や意地を張ったり悩みを姉に打ち明けたりしていることが明かされています。けれども、二人には時間がありませんでした。その結果、初恋は純粋な“憧憬”でありえたのです。

 第1巻のヒロイン・春坂遥菜の役割は、第2巻以降を読むことでより具体的に理解できます。この点は、改めて書きます。

 

 第2に物語の道具立てである魔法の役割について。『救世主の命題』の基本的な筋立ては、上に見たように、コンプレックスを抱え自意識過剰な主人公が、真実の愛を見付けるものの、記憶を消去されてしまうというもので、魔法が道具立てとして置かれています。実はこの物語の構造は、以前にみんはな10年前のことを覚えているかい?で紹介した、熊谷雅人ネクラ少女は黒魔法で恋をする』シリーズとほぼ同じ筋立てです。ちなみに、『救世主の命題』の最初の企画が出されたのが2005年頃と思われますから[今井あとがき:1巻260ページ]、時期的にはほぼ同時期の作品でもあります。

 そもそも魔法は、人間が自然に対してきわめて作為的に働きかける行為です。それゆえ、魔法が物語に組み込まれると、人間の意思と願望が具体的に立ち現れます。この点は、『救世主の命題』も『ネクラ少女は黒魔法で恋をする』も同様です。ここに物語の道具立てとしての魔法の一つの役割があります。また、魔法をめぐる物語は、世界設定と物語のテーマが密接に関わりあうようにできる点も、重要な役割と言えるでしょう。

  この点についても、第2巻・第3巻を語るなかで、詳論できると思います。もうしばし、お付き合い下さい。(続きます。)

 

【参考文献】

・今井楓人『救世主の命題』(MF文庫J、2013年6月発売)

熊谷雅人ネクラ少女は黒魔法で恋をする』(MF文庫J、2006年1月発売)

 

(2017年7月11日 一部訂正)

救世主の命題(テーゼ) (MF文庫J)

救世主の命題(テーゼ) (MF文庫J)

 
ネクラ少女は黒魔法で恋をする (MF文庫J)

ネクラ少女は黒魔法で恋をする (MF文庫J)