現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

終わってしまった物語を想像する ― 今井楓人『救世主の命題』(その三)

 こんにちは。前々回(その一)前回(その二)と今井楓人『救世主の命題』全3巻(MF文庫J、2013~14年)の紹介を行ってきましたが、今回が最後となります。さて、第1回目でも書いたように、この作品は打切り作品でありながら、話を畳むことなく終わった作品です。打切り作品でも一定の巻数を出すことができた場合は、無理矢理にでも話を畳むか、一区切りにまで持っていくわけですが、とはいえ、このような例が無いわけではありません。森橋ビンゴこの恋と、その未来。』全6巻(ファミ通文庫、2014年6月~16年11月)は、第5巻で終了が決定されていながら、読者からの応援で続巻を刊行して完結しています。むしろ話を畳まなかったことは、作者の作品への強いこだわりと、続刊への一縷の望みを感じさせますね。

 しかし、第3巻刊行から3年近くが経とうとしている現在、もう『救世主の命題』の続刊は、商業出版としては期待できないでしょう。ですから、私たちはこの物語の未来を想像(あるいは妄想)するほかありません。最終回は、この作品を心から愛する一読者の勝手な想像を通じて、この終わってしまった物語の可能性を考えてみようと思います

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救世主の命題(テーゼ)3 | MF文庫J オフィシャルウェブサイト

刊行および打切りの経緯

 さて、物語を想像する前に、いくつか前提として本作の刊行および打切りの経緯を抑えておきましょう。まず、刊行の経緯については、第1巻の「あとがき」に記されています。これによると、本作の企画を提出したのが刊行の8年前(2005年頃)とのことです。刊行が遅れた理由は、「主人公が×××なのはダメ!」ということで(ちなみに、×××とは「チカン」と思われます)、企画段階で却下を食らったためのようです[今井あとがき:1巻260ページ]

 次に打ち切りの経緯ですが、これも第3巻の「あとがき」に記されています。これによると、1巻の時点で売り上げが振るわず、すでに原稿を書いていた3巻で終了することが(編集部サイドで)決定していましたが、(協議の結果、)その時点で刊行作業が進んでいる第2巻終了としました。ところが、「とある感想」を読んだ結果、そのままの内容で第3巻を刊行することにしたといいます[今井あとがき:3巻254ページ]

 

 こうした打ち切りおよび刊行の事情は、それが「あとがき」に書かれていることも含めて、やや異例のことのように思えます。作者の今井楓人は、MF文庫Jライトノベル新人賞の受賞者でもなければ、他レーベルで書いていた記録は残っていません。あるラノベ紹介ブログでは、作者は別名義で活動されていた方だと予想しており[アキネ会の日常2013]、私も同感です。MF文庫Jは2002年7月に創刊されたレーベルですから、編集者が他の業界の人に声を掛けて、2005年頃に最初の企画案が提出されたと考えることができるでしょう。

 さらに踏み込んで言えば、今井楓人はゲーム業界の関係者ではないか、というのが私の予想です。新人賞を経ていないライトノベル作家には、ゲーム業界の出身者が結構いることが知られています(例えば、新井輝枯野瑛木村航竹井10日築地俊彦豊田巧野尻抱介水城正太郎ら)。「その一」でも述べましたが、世界を救うために5人のヒロインを10ヶ月以内に攻略しなければならないという設定は、ゴールが明瞭に定められていて、小説というより美少女ゲーム(ギャルゲーとかエロゲ―とか)な印象ですね。

残る二つのテーゼと6番目のヒロイン

 以上の事情を踏まえて、この物語の続きを想像してみましょう。第3巻の「あとがき」には、残るテーゼとこれに対応するヒロインの名前が挙げられています[今井あとがき:3巻254ページ]。すなわち、4番目のテーゼである“戯れ”は千織、5番目の“傾国”は心、そして6番目の“光”がルーメであると記されています。……あれ? テーゼは5つじゃなかったの? どうやら物語の最後に意外な展開を用意していたらしいのです。

 

(a) 4番目のヒロイン:春坂千織

 4番目のヒロインである春坂千織は、1番目のヒロイン(“憧憬”のテーゼ)の春坂遥菜の姉で、第1巻から第3巻まで毎回出てくる人物です。下着メーカーで働く社会人であり、グラマラスで魅惑的な美人として描かれています。初登場シーンでは、陰鬱な雰囲気を漂わせる主人公の永野歩に明るく声をかけ、遥菜の忘れ物を届けるようにお願いします。

 その後の登場シーンを確認しましょう。第1巻では、遥菜の会話や記憶のなかで出てきて、遥菜の相談相手で彼女の主人公に対する恋心を指摘しています。第2巻では、2番目のヒロイン(“敵対”のテーゼ)の堀井芹乃と主人公がデート中に遥菜とともに鉢合わせし、芹乃が動揺する一幕があります。さらに第3巻では、宿泊行事の時に仕事中の千織と鉢合わせし、スタイル抜群で肉感的な水着姿を披露し、さらには下着姿で主人公に接して3番目のヒロイン(“聖域”のテーゼ)のひよりの誤解を誘う一幕もあります。

 こうして見ると、男子高生である主人公をドキドキさせるばかりでなく、他のヒロインたちの動揺を誘うシーンで千織が登場してきたことが分かります。彼女の色っぽさにくらくらしながら、「モテることに無自覚で天然な遥菜と違って、自分の魅力をじゅうぶんに認識していて、それを使用することを楽しんでいそうなところが、始末が悪い[今井:3巻77ページ]と歩は評しています。彼女のテーゼの“戯れ”とはそのような状態を指すのでしょうか。

 

 春坂千織がこのようなキャラクターであるならば、第4巻の想像されるストーリー展開は、歩のことを年下の男の子としてからかって接する千織をどのように本気にさせるか、となるでしょう。遥菜のときは地に足がつかない恋愛を、芹乃のときは試行錯誤の恋愛を、ひよりのときは等身大の恋愛をしていたことを踏まえると、千織とは背伸びをする恋愛をするのではないでしょうか。

 きっとそのためには、様々な人の協力と自らの努力が必要でしょう。第1巻で千織の好印象を獲得し、第2巻と第3巻で他人と接することを覚え、他人を信じることを知った歩は、千織との恋愛に振り回されながらも、真剣に向き合います。格好を付けようにも付けられない、しかし、必死で彼女と向き合い歓心を向けてもらおうとする主人公の姿を、私は想像するのです。

 

(b) 5番目のヒロイン:柏木心

 5番目のヒロインである柏木心は、とにかく謎に満ちています。他のヒロインたちは歩と積極的に関わってきますが、心だけはそうではありません。第1巻では、他の女子生徒に虐められるか弱そうで子供っぽい下級生として登場します。学校の裏庭で女子生徒に取り囲まれているところに主人公の歩は出くわし、彼の陰鬱なオーラで女子生徒たちを追い払います。同じ日陰者同士と共感した歩は、“ビビる前に、ビビらせろ”とアドバイスを書き残して去ります。第2巻では、裏庭で膝をすりむいて立ち尽くす彼女と再び出くわし、たまたま持っていた絆創膏を渡して立ち去ります。いずれの登場シーンでも、彼女は裏庭の温室に向かっています。また、名前も出ていませんが、第2巻の口絵で「心」と記されていて、これでようやく名前が判明しています。

 問題は第3巻です。ここでは彼女は直接登場しませんが、歩が見た未来の夢のなかに名前だけ出てきます。その夢では、未来の世界でさらに傲慢になり人間不信を募らせた歩がひよりを見殺しにしてしまうのですが、その時に歩が放った言葉は、「柏木心を探せ! どんな手段を使ってでも、必ず見つけ出して、連れてこい。生きてさえいれば、手足の一、二本、切り落としてもかまわない![今井:3巻111-12ページ]というものでした。これには現在の歩も慄然とします。この時点で歩は、心が誰なのかを知りません。歩と心のあいだに、いったい何があったのでしょうか

 

 彼女のテーゼである“傾国”も意味深長です。そもそも「傾国」とは、中国の歴史書『漢書』巻93(外戚伝)上の孝武李夫人条に出てくる言葉です。李夫人とは、前漢の最盛期の皇帝であった武帝の妃のことで、彼女のあまりの美しさに武帝は夢中になって前漢の衰亡が始まったと記されています。また、彼女の兄の李延年は宦官と専横をほしいままにし、もう一人の兄の李広利は能力もないのに将軍の地位に就いて数多くの失敗を犯したといいます。(ちなみに中島敦の短編小説「李陵」では、李広利を救援に行ったところを匈奴に捉えられた李陵や、彼を弁護したところ怒った武帝によって宮刑に処させた友人の司馬遷が登場しています。)このように為政者を狂わせてしまうような李夫人の美しさについて、『漢書』は「一顧して人の城を傾け、再顧して人の国を傾ける」(一顧傾人城、再顧傾人国)と記しました。

 ただし、『漢書』は儒教的価値観にのっとって書かれたもので、武帝の失政や前漢の衰亡を女性である李夫人に押し付けている側面があると言われています。中国の史書には美人が国を傾けた話が数多くあり、例えば夏の桀王の妃・末喜、殷の紂王の妃・妲己西周の幽王の后・襃姒、戦国の呉王夫差の妃・西施、唐の玄宗皇帝の楊貴妃などの古い逸話、あるいは『三国志演義』の貂蝉が知られています。中唐の詩人・白居易はこの手のエピソードが好きであったのか、李夫人については「漢皇色を重んじ傾国を思ふ」と歌に詠み、楊貴妃には有名な「長恨歌」を作っています。

 こうしたことから、「傾国」とは元の意味である「国を傾ける」という意味から、「国を傾けるほどの絶世の美人」という使い方が生まれ、さらに日本ではこれらの故事に引っ掛けて、遊女や遊郭を意味する言葉としても使われるようになりました。特に類語である「傾城」は、花魁の言い換えとして用いられます。

 

 話を戻しましょう。ここで問題なのは、柏木心のテーゼである“傾国”が、「国を傾ける」、「美人」、「遊女」のいずれの意味で使われているかです。未来の支配者である歩を狂わせている人物という意味では「国を傾ける」でよさそうなのですが、それでは歩がそれほどまでに彼女に執着した理由が説明できません。歩にとって決定的に「裏切られた」と感じるような出来事があったと考えるべきでしょう。加えて、未来では心は歩のもとを去っています。このことも併せて考えなければなりません。

 “傾国”のテーゼについては、「恋をさせても、決してこちらが恋をしてはいけません[今井:1巻44ページ]と物語の最初でルーメが警告しています。「裏切られた」と感じるような出来事が起こり、そして心が歩のもとを去ってしまうことが予定されているかのようです。もしそれが「傾国」の要素にあるとすれば、「遊女」の意味においてではないかと私は想像します。

 私が想像するのは第5巻のストーリー展開は次のようなものです。第2巻の時点で歩は、虐められている心に対して同情的に感じています。恐らく、鍵となる場所――学校の裏庭にある温室で歩と心を取り結ぶことが起こるのでしょう。同時に、彼は彼女があの柏木心だということを知って逡巡することと思います。そして、歩に対して十分に恋をしていない時点では、心は何らかの過ちを温室で犯してしまう。この過ちは、男女関係についての出来事であるとともに、心が歩のもとを去らねばならない理由とも関わっていると予想できます。それを歩は「裏切られた」と感じてしまい怒り、それを乗り越えて隠された事実を知ることとなる。しかし、心は歩のもとを去らねばならない。歩はこれを受け入れる……。それは、相手の過ちと別れを受け入れる恋愛となることでしょう。

 

(c) 6番目のヒロイン:ルーメ

 当初説明されていた設定では、5人のヒロインを攻略したことで世界は救われたはずでした。しかし、実際には第6巻において“光”のテーゼとして、歩のサポート役であるルーメの名前が挙げられています。そもそも、彼女の登場こそが物語の出発点です。ルーメがヒロインとして登場するということは、この物語の秘密について種明かしがされるということでしょう。

 そもそもルーメとはどのような人物なのでしょうか。ルーメは第1巻で世界に絶望した主人公・歩の前に突如として現われます。きらきらとした長い金髪に、感情に乏しい海色の瞳、気品のある顔立ちとほっそりとした体の幻想的で美しいな少女で、彼女は「わたしはあなたに仕えるものです。過去のユア・マジェスティ[今井:1巻36ページ]と言います。未来からやって来て歩の運命を告げ、歩に正面から彼の問題点を突き付けながら、いつまでもうじうじしている歩の恋愛をサポートします。

 

 第1巻の中盤で、歩の弟である司と遥菜の仲を疑った歩は、ルーメに怒りをぶつけて、「ヒズ・マジェスティ」と呼ぶ未来の歩と「過去のユア・マジェスティ」と呼ぶ現在の歩を比べて馬鹿にしているのだろうと言い放つに至ります。それでも淡々と対応する彼女に、歩は余計に苛立つのです。ですが、第1巻の最終盤で遥菜との恋愛をなしとげて“憧憬”のテーゼを得た歩に対して、ルーメは「ユア・マジェスティ」と呼ぶようになり[今井:1巻257ページ]、その後も徐々にですが主人公に信頼を寄せてゆき、歩に感情を向けるようになる姿が描かれています。主人公も、当初は鬱陶しく思っていたルーメを見直してゆくようになります。

 それでも、未来を知っているルーメが謎の多い人物であることは変わりません。第2巻でも序盤で、5つのテーゼがどのように選ばれたか、それがヒロインたちとどのような関係にあるか、なぜルーメがそれらを知っているのかを歩がルーメに対して追及していますが、「今はお答えできません[今井:2巻54ページ]の一点張りです。実は第1巻のプロローグで、未来の歩が魔法の力で作った「最高傑作」であり、愛の欠落ゆえに敗れてしまった未来の歩に最後まで付き従っていたのがルーメであることが示唆されています。また、未来のルーメが、未来の歩に対して特別な感情を抱いていたことは間違いありません。しかし、現在の歩はそのことを知らないのです。

 

 このように、6番目のヒロインであるルーメは、未来と魔法の謎を象徴する人物です。そんな彼女をめぐる物語はどのようなものとなるでしょうか。

 まず、彼女は他のヒロインたちとは違って、恋愛の対象であることが明示されていません。主人公の能動性・積極性が発揮させる「設定」が存在しないのです。だとすれば、ルーメ側から謎を明かす可能性がありますが、あくまで彼女が忠誠を一番に誓うのは未来の歩であって、現在の歩ではありません。恋愛と人間関係に臆病な主人公が、自らの能動性・積極性を獲得してゆくというこの物語のテーマから考えれば、やはり主人公が能動的・積極的に動かねばなりません。

 私の想像では、第1巻から繰り返し出てくるもう一人の登場人物が鍵を握っていると考えます。それは、主人公の弟、永野司です。彼は歩の一つ年下で、成績優秀・スポーツ万能なイケメンで、誰からも慕われる明るい人物です。歩にとって弟は根深いコンプレックスの対象ですが、司は兄のことを気にかけており、未来でもそうした真っ直ぐな人柄は変わらない模様です。重要なのは、歩がどれほどヒロインたちから愛の力を得ようとも、彼自身の根深いコンプレックスに向き合わなければ彼の内面の問題は解決しないということです。だとすれば、ルーメと司のあいだに何らかの関係が発覚し、これに歩が向き合うというストーリー展開を想像することができるのではないでしょうか。

 

 歩が能動的・積極的に動かなければならない理由はもう一つあります。この物語のタイムリミットが、魔法が地球に襲来する3月14日とされていることです。言うまでもなく、この日はホワイトデーであり、男性が女性にアプローチする日です。自らの問題を解決した歩は、この日にルーメから6番目のテーゼである“光”を得ることになるでしょう。

 この物語のなかで、「光」は魔法が発動するときに現れます。特にヒロインたちからテーゼを得て、彼女たちの記憶の走馬燈のなかで、最終的に記憶が消される時に「光」が現われます。つまり、「光」とは魔法であり、愛の記憶であると言えるでしょう。これまでの5つのテーゼに関わる魔法と愛の記憶を支配するルーメに相応しいテーゼであると思います。

 歩が“光”のテーゼを手にするということは、未来の力である魔法と現在の力である愛の記憶の双方を手にするということです。しかし、ここで最後の問題が発生します。ルーメが未来から来た存在であるということです。これはルーメが未来に帰るか否かという単純な話ではありません。ルーメにとっては、魔法は未来の力で、愛の記憶は過去の力です。反対に、歩にとっては、魔法と愛の記憶は過去と未来が交わる地点としての現在の力です。つまり、“光”のテーゼとは、歩にとっては現在の問題であるのに対し、ルーメにとっては未来と過去の問題であるということです。だとすれば、この物語の行き着く先は、歩とルーメをめぐる過去と未来の対立を乗り越えて、価値あるものとして現在を獲得し直すことではないでしょうか。主人公の永野歩は、魔法の力を得るとともに、ヒロインたちとの愛の記憶を取り戻し、ルーメとともに現在を歩む――そんなハーレムエンドのような結末を私は想像するのです。

物語の構造と主人公の成長

 物語を最後まで想像したところで、『救世主のテーゼ』における物語の構造と主人公の成長について整理してゆきましょう。まずヒロインたちの役割について改めて整理しましょう。ここまで、何度か小括してきましたが、主人公とヒロインたちとの恋愛は次のような展開を辿ります。

 ①地に足がつかない恋愛[“憧憬”のテーゼ=遥菜]

 →②試行錯誤の恋愛[“敵対”のテーゼ=芹乃]

 →③等身大の恋愛[“聖域”のテーゼ=ひより]

(→④背伸びをする恋愛[“戯れ”のテーゼ=千織])

(→⑤過ちと別れを受け入れる恋愛[“傾国”のテーゼ=心])

(→⑥コンプレックスを乗りこえて現在を獲得すること[“光”のテーゼ=ルーメ])

改めて見ると、ヒロインを一人ずつ攻略してゆくことで物語と主人公が前に進んでゆくという、美少女ゲーム的な物語の構造を確認することができます。

 

 美少女ゲーム的な物語の構造といえば、東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生』に触れないわけにはいかないでしょう。この本の論点は多岐にわたりますが、本論との関わりの範囲で論じると、ライトノベル美少女ゲームの親近性をまずは抑えておきたいと思います。その上で、東が『AIR』を論じるなかで批判的に指摘する、美少女ゲームをめぐる男性の「超家父長的」な欲望の構造に、『救世主の命題』も重なっているのかが問題となります。

 東の言う「超家父長的」な欲望とは、政治的理想や経済成長といった大きな物語によって男性の「主体性」が保証されなくなった現代において、美少女ゲームはデータベース消費的なキャラクターに萌えることで「大きな物語」を回避しながら、それでも性的欲望は温存されているということを批判的に論じたものです[東2007:310ページ以下]

 

 結論からいえば、答えはイエスでありノーです。この物語がチカンをめぐる企画として出発したように、主人公がヒロインたちに欲望を向ける=攻略するという構造そのものは全く否定できません。ただし、読者が主人公とストレートに同一化することはおおむね困難です。なぜなら、主人公は性格の暗い、うじうじした人物だからです。

 『救世主のテーゼ』に対する感想として、主人公がいつまでもうじうじしている姿に共感できない、というものが多くあったように思います。これは、東的な批評をするなら、主人公が早く精神的に成長することで、読者は主人公と同一化してヒロインに欲望を向けることを望んでいるということになるでしょう。しかし、実際にはなかなか主人公は成長せず、性格は暗く、うじうじしたままです。作者は意図的に主人公のストレートな成長を拒否しているのです。

 前々回(その一)で述べたように、主人公の永野歩は、人間なら誰もが持つような暗く淀んだ人格と感情を背負った人物として、生々しく読者の前に現れてきます。つまり、歩は読者のネガの部分を引き受ける存在です。そして、実際の人間の成長とは、ストレートに進むものでなく、道に迷い、時に後退するようなジグザグの過程に外なりません。主人公がうじうじしていて、ゆっくりとしか成長しない――そこにこの物語の可能性があるのだと思います。

 

 『救世主のテーゼ』が残念ながら完結を見ることは出来ませんでした。それでも、第3巻で終了した意義があるとすれば、過去と未来をめぐる対立のなかで、迷いながら遅々とした足取りで成長する等身大の主人公が、現在を肯定するという展望を切り開いたという点にあるのかもしれません。そう信じたいと思います。

おわりに

 ここまで今井楓人『救世主のテーゼ』の第1巻から第3巻までの物語からその後の物語を想像し、この物語の可能性を考えてみました。繰り返しますが、これは私の勝手な想像です。もし作者の方が見たら、ファンの気持ち悪い勝手な妄想だと思うかもしれません。それでも、私のなかにわだかまっていた妄執のようなものを文字にすることで、多少は作品への思いが整理出来たような気がします。

 この作品が第3巻で打ち切られることを知って、私はファンレターを書こうかと真剣に思い悩みました。しかし、一面では仕事が忙しかったことで、そして何よりファンレターを書くことに踏ん切りが付かなかったわけです。つまり、うじうじしていたのは私自身だったのです。

 

 ここまで、拙く独りよがりで長大な文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。これにて終わります。次回は、普通の記事とする予定です。それでは。

 

【参考文献】

・今井楓人『救世主の命題』(MF文庫J、2013年6月発売)

・今井楓人『救世主の命題2』(MF文庫J、2013年10月発売)

・今井楓人『救世主の命題3』(MF文庫J、2014年11月発売)

救世主の命題(ぼくだ) : アキネ会の日常(2013年6月30日)

東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』(講談社現代新書1883、2007年3月)

 

(2017年8月19日 一部修正)