現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

もう一つの師弟関係、あるいはオッサンの熱くてシブい戦い ― 白鳥士郎『りゅうおうのおしごと! 7』

 こんにちは。白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』特集の第1弾として書いた前回の記事「『りゅうおうのおしごと!』の押さえておきたいポイント」では、本作が師弟関係をテーマに据えていること、第6巻以降の第2部に入ってから群像劇としての性格を強めていることを指摘しました。

 さて、現在放送中のアニメ化に合わせて、第7巻が1月に刊行されています。この第7巻は、師弟関係という本作のテーマを踏まえ、実に異色のオッサンの熱くてシブいたたかいの物語となっていまた。 現代日本のライトノベルでは珍しいオッサンの物語について語ってみたいと思います。ネタバレを含みますので、そこら辺はご容赦ください。

―目次―

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GA文庫|2018年1月の新刊

1.もう一つの師弟関係

(a) 主人公の師匠・清滝鋼介九段の登場シーン

 白鳥士郎りゅうおうのおしごと! 7』(GA文庫、2018年1月発売)でメインで登場するのが、プロ棋士の清滝鋼介九段です。彼は本作の主人公・九頭竜八一の師匠に当たります。これまで本作は八一とその弟子たちやきょうだい弟子との話を主に展開してきましたが、今回は八一にとっての〈もう一つの師弟関係〉が描かれることになります。

 本作における清滝の登場はとても早く、第1巻の「プロローグ」で八一とあいの師弟が描かれた後、「第1譜」の冒頭のセリフ「オシッコォォォ ォォォ ォォォ ォォォ ォォォ ォォォ ォォォッ!![白鳥:1巻10ページ]という衝撃のシーンで登場します。つまり、本編最初の登場人物というわけです。ここでの清滝の説明は、「師匠である清滝九段はタイトル獲得経験こそないおのの二度も名人挑戦者として名乗りを上げた古豪〈ふるつわもの〉。/重厚な棋風と熱い勝負魂を併せ持つ、関西棋界の重鎮である[同前:1巻11-12ページ]とされています。(補足しておくと、冒頭の「オシッコ」にしても、対局中における水分補給と重要さとトイレに立つことが時に勝負を左右するという厳しい世界の説明につながり、第1巻における八一とあいの出会いの伏線になっています。)

 このシーンでは、棋戦で絶不調で安全策に徹した弟子に負けてとても悔しがる姿や、良い手を思いついてもすぐには指さないように堪えたときに、ズボンの右膝にできる皺のエピソードなど[同前:1巻13・24-25ページ]、清滝の人柄とそれを慕う弟子の八一と銀子の思いが同時に描かれます。実によくできた本編冒頭部と言えるでしょう。

(b) 弟子を育てるということ

 第1巻では、八一とあいが邂逅を果たしたあと、小学生であるあいの弟子入りを認めるかをめぐって、清滝と八一の出会いのエピソードが語られます[同前:1巻98ページ以下]。それは、清滝の指す将棋への憧れでした。そして今、八一の指す将棋に憧れてやって来たあいを弟子に取るように清滝は言います。

「八一。師匠に対する『恩返し』が何か、わかるか?」

「対局で勝つことですよね? 昨日みたいに」

「あれは公式戦やないからノーカウントや」

 師匠は頑なだった。

「本物の恩返しはな、師匠に勝つ事なんかやない。それだけやったら恩返しでも何でもない。師匠が本当に弟子にのぞむのは、タイトルを獲る事と、新しい弟子を育てる事や」[同前:1巻103ページ]

 本編で繰り返し語られるように、弟子を育てるということは、師匠にとっては大変なことです。プロ棋士としてただでさえも忙しいのに時間を取られ、時に弟子は自らを脅かす未来のライバルとなるかもしれません。けれども、それは先人への憧れと将棋への愛を受けとめ、そして自分たちの現在を未来へとつなげる行為なのです。 こうして、八一はあいを弟子に取ることを決意しました。

 

 第2巻では、もう一人の弟子・夜叉神天衣を弟子にするかをめぐって、再び清滝が登場します。天衣は当初、月光聖一会長の依頼で八一が面倒を見ることになった、もう一人の天才女子小学生です。天衣を弟子にすればあいにもライバルができて強くなれるのではないか、と八一は考えますが、行き違いと嫉妬からあいは拒否します。

 あいの成長のためには自分は何もできていないのではなかと悩む八一。そこで、清滝は八一が弟子入りしたときのことを話し出します。――「わしはな、お前を月光さんの弟子にしようとした事があるんや[白鳥:2巻170ページ]。八一がすば抜けた才能を持っているがゆえに自分には育てきれないと思い、当時からトッププロであった兄弟子に八一を託そうと考えたと言うのです。

「せやからお前が奨励会に入るタイミングで月光さんに相談した。お前と同じものを持っておられるあの人なら、お前を育てる事ができると思ったからや」

「そ、それで……どうなったんです?」

「断られた」

「……」(中略)

「『子供なりに考えてあなたの弟子になりたいと言ったんですから、その気持ちを大切にしてあげてください』――と」

 ガン! と頭を殴られたような衝撃と胸にじわりと広がる熱さを、同時に感じた。

 弟子の……気持ち……。

「その時、ハッと気がついたんや。わしは弟子のことを考えてるつもりで、結局、自分が逃げたかっただけなんやないかと。いや、それどころか……自分にはないものを持っとるこの子に嫉妬して、遠ざけようとしとったんやないかと」[同前:2巻174-75ページ]

ここで語られている昔の清滝の悩みは、現在の八一の悩みと重なっています。この言葉を聞いて、八一はあいと天衣の二人を自分の弟子とすることを決意したのです。こうして、天衣は桂香やあいを下して研修会入りを果たし、八一は月光を破って天衣を正式に弟子に迎え入れることになります。

 

 以上からわかるように、りゅうおうのおしごと!』は、八一とあい・天衣の師弟関係に対して、清滝と八一というもう一つの師弟関係が対応して物語が展開しています。前者がメインボーカルとギターだとすれば、後者はベースといったところでしょうか。ロリ達はさしずめドラムですね。師弟関係という本作のテーマ、特に弟子を育てるということはどういうこととかという問いかけが、ここにあります。こうした部分を踏まることで、ようやく第7巻で語られるもう一つの師弟関係の物語を理解することができるのです。

(c) 苦労人・清滝鋼介の人物

 次に、清滝鋼介九段の経歴を確認しておきましょう。1966年に大阪府に生まれ、故坂井十三九段の下で将棋を学びます。(10代終わりに)プロ棋士になってからは苦労の連続で、戦績優秀ながら定数の都合によって上位クラスに上がれない「頭はね」を幾度となく経験してきました[白鳥:7巻5・7ページ]。昇格したときは、それぞれ娘の誕生(1990年頃)、「震災」(阪神淡路大震災なら1995年)、妻の死去(2000年前後か)が重なっていたといいます[白鳥:7巻318ページ]。30代前半にして妻に先立たれた清滝は、彼の母親とともに娘の桂香を育てました。この頃に桂香に将棋を教えています[白鳥:3巻135ページ]。ちなみに、兄弟子の月光聖一はこの間に名人位ほか5冠を達成しています[白鳥:5巻248ページ、7巻47ページ]

 40歳を前にしてやっと上り詰めたA級でも4勝5敗と奮戦したものの、順位の差から1年でB級1組に降格してしまいます。この頃、空銀子と九頭竜八一を相次いで内弟子に取りました[白鳥:7巻5ページ]。後に桂香に対して、彼女が母と祖母を亡くして寂しい思いをさせたから年少の二人を弟子に取ったと語っています[白鳥:3巻136ページ]。その後、再びA級に復帰して通算8期、名人戦挑戦2回を果たして活躍。八一と銀子の弟子たちも活躍してゆきます。けれども、50歳を前にして成績が下降するようになり、50歳でB級2組となり[白鳥:2巻141ページ]7巻の時点で51歳、しかもC級1組への降格の危機です。

2.老い衰えゆくことを描く

 いよいよ『りゅうおうのおしごと!』第7巻について論じてゆきましょう。第7巻で描かれる八一と清滝の〈もう一つの師弟関係〉には、老い衰えゆくことをめぐる問題が深く関わってきます。まず、第7巻のあらすじを清滝を中心に紹介し、この物語についてさらに掘り下げてみましょう。

(a) 第7巻のあらすじ

 盛大かつ華やかに開かれた清滝一門祝賀会で、事件は起こりました。それは、八一の竜王防衛を祝う人たちが、八一が清滝を超えたとジョークを飛ばし、八一も“来年くらいには公式戦で清滝を負かしてみたい”と応じたことがきっかけでした。清滝はダーンッ!! と机に拳をぶつけ、「C級棋士風情がタイトル獲ったくらいで偉そうに……わしを誰や思っとる!? C級で指すくらいなら引退するわ!!」「思い上がるのも大概にせえッ!![白鳥:7巻51ページ]と凄まじい怒りの感情をぶつけたのです。

 八一は、師匠の怒りは、現役の勝負師としてのプライドと、嫉妬や焦りでないかと考えます。また、本当は引退を考えていたのに周囲を慮って今まで来たのではないかと、心配をします。しかし、清滝自身は、なぜ自分が怒りを爆発させたのかも分からず、もやもやとした状態で臨んだ数日後の棋戦で、誰もが間違えないような手で痛恨の悪手を指して、7連敗を喫してしまいます。清滝の棋力の衰えは誰の目にも明らかでした。

 

 その後、清滝は迷走に迷走を重ねた末に、自らを振り返り、自分が怒りを爆発させた理由を悟ります。このナイーブな展開は、淡々と丁寧に綴られていて、一気に読み進めてしまいます。

 あの日、スポットライトを浴びる弟子を見て、清滝は気付いてしまった。/自分の心の支えにしてきた『名人に挑戦した』という実績。それは自分の最後の最後で負けたという敗北者のレッテルに他ならない、ということに。

 弟子に超えられたことが悔しいのではない。自分が敗者だという事実を突きつけられ、それを受け容れることができなかった。だから弟子に八つ当たりしてわめき散らしたのだ。[同前:7巻152-53ページ、下線部は本文では傍点]

こうした自己批判を経て、燃え尽きてしまったかに思われた清滝の心の火が、再び熱く燃え上がりました。彼は朝一番に棋士室に赴き、「修業の邪魔」と言われて追い返された奨励会員にこう言います。「下働きでもなんでもする。修業時代に戻ったつもりで、わしも君達と一緒に将棋を一から学び直したい。(中略)弛んでしまった性根を叩き直したいんや。負けたままで終わりたくないんや」と[同前:7巻156ページ]。清滝は色々な若手たちを巻き込んで「清滝道場」と呼ばれるサークルを作りあげ、熱くて若い心で再起を図ってゆきます

 

 再起を図って挑んだ次の対局で、清滝は若い心を迸らせた差し手で勝利することができました。しかし、その次の対局で彼は再び苦境に陥ります。それは降級阻止がかかる順位戦の最終局で、「次世代の名人」と呼ばれる、八一と同世代の若手・神鍋歩六段との棋戦です。序盤は自らが得意とする矢倉戦法に若い感覚を加えることで清滝がリードしますが、失着を犯し逆転されてしまいます。やはり衰えは明らかでした。

 折れそうになる心を何とかつなぎ止める清滝。「そうや。わしはオッサンや。ソフトを使ったり若者と絡んだりヒップホップな服を着て若々しさを解き放ったところで、所詮オッサンはオッサンでしかない[同前:7巻280ページ]。けれども、それを受け容れた「オッサン流」の戦い方を目指すのだと言います。例え「次世代の名人」が勝つことを世間や将棋界が望もうとも、「しかしわしはそんな総てに逆らう! 棋士の運命に逆らう!」「オッサンはなぁ……空気を読まれへんのやッ!![同前:7巻280ページ]。こうして、清滝は泥仕合の末に神鍋六段を下し、降級してもなお棋士として戦い続けることを宣言するのでした。

(b) 老い衰えゆくことへの不安と恐れ

 このように、第7巻のストーリーを清滝を中心として見たとき、清滝が老い衰えゆくことに戸惑い、自覚し、受け容れたうえで新しい道(オッサン流)を見出すという展開になっています。物語の構造としては、示された主題に即して登場人物が動いてゆくという、オーソドックスな展開になっていることが分かると思います。

 さて、この老い衰えゆくことを清滝が自覚するときに彼が思い浮かべたのが、自分が若かった頃の先輩棋士たちのことでした。清滝は娘の桂香に「……昔は、将棋界もこんなんやなかった……[白鳥:7巻105ページ]と言い出します。かつての関西の棋士たちマナーは最悪なゴロツキのような人ばかりだったと言います。けれども、「先輩達と同じ年齢になって……若手に追い抜かれていくっちゅう同じ立場になって、あの時の先輩達の気持ちが痛いほどよくわかる」、「不安なんや[白鳥:7巻105ページ]。不安と恐怖を紛らわすために、わざと対局中に話したり、後輩に威張ったり、勝負師としての興奮が忘れられずにバクチを打つのだと言います。

 

 さらに、老い衰えゆくことを清滝が受け容れて新しい道を見出すときに、先輩棋士たちのことを再び思い浮かべます。そして、その時には上に引用したように、先輩たちが不安と恐怖を紛らわすためだけにゴロツキのように振る舞っていたわけではなかったと思い直すようになります。

 今ならわかる。

 先輩たちが不安を紛らわすためにしとったお喋りも立派な戦術。立場を利用したルールすれすれのセコい技やが、それを使うという決断も強さの一つであることが、今ならわかる。

 みんな勝つために必死に知恵を絞り、プライドをかなぐり捨てて戦っていたのや。棋士として生き残るために……一局でも多く、大好きな将棋を指し続けるために。

 わしはそれをカッコいいと思う。

 今はそう、心から思う。オッサンカッコイイ。[同前:7巻286ページ]

こうして清滝が指した「オッサン流」の将棋は、ねちねち粘り、騙くらかす、気迫に満ちた熱くて嫌らしい指し手でした。それは第1巻で紹介された「重厚な棋風と熱い勝負魂を併せ持つ」、経験豊富なベテランだからこそ指すことのできる勝負を決して捨てることのない将棋だったのです。

(c) 過去と現在を背負っている者の役割

 第7巻では、清滝以外にも老い衰えゆくことに向き合っている人物が登場します[同前:7巻210ページ以下]。関西棋界の総帥とされる蔵王達雄九段です。蔵王九段は1937年生まれの80歳、清滝の師匠の兄弟子に当たる現役最年長のプロ棋士です。しかし、老雄も寄る年波には勝てず、現在C級2組で、当年度限りで引退することになっています。その最終局の対戦相手が主人公の八一だったのですが、八一は無残な敗北を余儀なくされます。それは連勝中だった八一が引退する蔵王に対して油断していたことも理由ですが、直接には今は廃れた「消えた戦法」を蔵王が採用したことでした。

 ここでは、棋士が狡猾な戦いで若手棋士を破ったという対比のあとに、うちひしがれる八一に対して蔵王が教えさとすシーンが加わります。蔵王はこの敗北の悔しさに苦しんだ時間こそが、八一の才能を証明していると言うのです。このシーンでは、敗北をただちに受け入れることのできない若手棋士とこれを教えさとす老棋士というもう一つの対比が加わることで、歴史と伝統、あるいは過去と現在を背負っている者の役割が語られているのです。

 

 さらにもう一人、過去と現在を背負い、老いに直面する人物がいることに、皆さんはお気づきでしょうか。それが突如として大阪に現れる、ヒロインあいの父・雛鶴隆です。役回りとしては、清滝が老い衰えることを受け容れる時のヒントとなる発言をするのですが[同前:7巻204ページ以下]、その前に八一の前に現れるシーンがあります[同前:7巻95ページ以下]

 雛鶴隆は、元は大阪法善寺横丁の板前で、修行中に現在の妻と出会って結婚し、あいが生まれています。彼もまた、大阪の板前と石川の温泉旅館という歴史と伝統を背負った人物です。彼が八一に自分の過去を語るときに持ち出したのが、昭和の大ヒット大衆歌謡「月の法善寺横丁」(歌・藤島桓夫、1960年)です。若い八一に分かりませんと応じられて寂しそうに俯くのですが、ここでも歴史と伝統を背負った雛鶴隆とそれを知らない八一という対比がなされていて、八一が蔵王九段に敗れる伏線となっているわけです。

3.ライトノベルのなかの老い衰えゆくこと

(a) 新しい試みとして

 ここまで論じてきたことをまとめます白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』シリーズは、八一とあい・天衣という師弟関係の物語を中心にしているのですが、その背景には清滝と八一という〈もう一つの師弟関係〉が描かれていました。第7巻では、この〈もう一つの師弟関係〉にスポットライトが当てられ、過去と現在を背負った年長者と、未来を担う若者の対比が繰り返し描かれています。そのストーリー展開の中心は、八一の師匠である清滝が、老い衰えゆくことに戸惑い、自覚し、受け容れたうえで新しい道を見出すというものでした。

 この老い衰えゆくこと」を取り上げことは、現代日本のライトノベルとしては注目すべき試みではないかと思います。そもそも、現代日本とするライトノベルでは、年長者はあまり登場しない傾向があります。登場したとしても、年長者は主人公たちに対立的なキャラクターとして位置づけられることがしばしばです。この場合、敵となる年長者がストーリー展開の都合から生みだされたご都合主義的で陳腐なキャラクターとなってしまうことがあります。

 もちろん、そうでない作品もあります。例えば、以前「短編小説賞と「家族」問題」で紹介した五十嵐雄策『幸せ二世帯同居計画』電撃文庫、2016年11月発売)では、物語の構造として老人の語りが若者の語りを支える話があります。他方で、異世界を舞台にした物語では年長者が出る場合も少なくなく、特に戦記ファンタジーでは指揮官や指導者といったかたちで年長者が登場し、若者との世代交代が描かれることもしばしばあります。また、「小説家になろう」発の赤石赫々『武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行』(全10巻、富士見ファンタジア文庫、2014~17年)やまいん『二度目の人生を異世界で』(既刊17巻、HJノベルス、2014年~)のように老人が若者に転生するというパターンも見られます。

 

 こうした諸作品に対して本書では、世界設定とキャラクターに年長者と若者という関係が当初からおり込んでいる点が注目されます。実際に、メインとなる師弟関係と〈もう一つの師弟関係〉という物語の構造がそれを反映しています。大人や老人といった年長者がきちんと位置づけられた、いわば「社会」が存在する作品となっているわけです。それが現代日本のライトノベルでは、あまり多くないことは言うまでもないでしょう。

 さらに指摘すれば、老い衰えゆくことは、早くも第3巻で触れられていました。清滝の娘の桂香が、自らの進退のかかった対局に臨む日、父娘が対面するシーンです。「久しぶりに真正面から見た父親の顔は、驚くほどに老けていた。刻まれた皺に、過ぎてしまった時間の重さを思い知る。簡単には受け止められないほどに[白鳥:3巻245ページ]。第7巻では、彼女こそが、清滝が老い衰えゆくことをもっとも心配し苦しんでいたことが繰り返し描かれていますが、こうした前提を踏まえることでより深く理解できるでしょう。

(b) 年長者と若者を対比する

 「清滝の老い」と言っても、第7巻の時点で彼は51歳です。ですから、厳密には、彼が直面しているのは老年期の問題というよりは中年期の問題(英語ではmidlife crisis)と言えるかもしれません。それをあえて「老い衰えゆくこと」としたのは、年長者と若者を対比するという本書の構造的な特徴を明らかにするためです。

 本記事で「老い衰えゆくこと」(aging and frailty)という特徴的な言葉を使っていますが、これは社会学者の天田城介の議論に触発されました。天田が指摘するように、「老い衰えゆくこと」は人それぞれ(元気な80歳がいれば病気の60歳がいるように)であるために医学的・生物学的な定義はできず、むしろ社会的な関係(特に周囲の認識や本人の自覚)が重要です。

 現代日本は超高齢化社会であり、老人と若者の関係をどのように取り結ぶかが問われています。それは、現代日本を舞台とするライトノベルにおいて軽視しえない問題とも言えます。この時、老人と若者が対立する安易なご都合主義に陥ることなく、「オッサンカッコイイ」と登場人物に言わせる『りゅうおうのおしごと!』は、年長者と若者を相互的で社会的なものとして描く、刺激に満ちた新しい試みではないでしょうか。オッサンの熱くてシブい戦いを読んで、そんなことを考えてみました。

 

【参考文献】

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』(GA文庫746、2015年10月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 2』(GA文庫784、2016年1月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 3』(GA文庫819、2016年5月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 5』(GA文庫888、2017年2月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 6』(GA文庫925、2017年7月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 7』(GA文庫974、2018年1月発売)

・天田城介『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(多賀出版、2003年、普及版2007年、増補改訂版2010年)

・本田康人「『りゅうおうのおしごと!』が将棋小説の名作である理由」(ブログ『ホンシェルジュ』、2017年7月16日、2018年2月22日閲覧)

 

(2018年3月1日 一部修正)

(2018年3月3日 一部加筆・修正)

(2018年3月7日 一部加筆・修正。特にツイッターで@mizunotoriさまに、オッサンの活躍という物語が戦記ファンタジーでしばしば見られる点、「なろう系」における老人が若者に転生する物語の登場についてご教示いただきました。記して感謝いたします。)

りゅうおうのおしごと! 7 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! 7 (GA文庫)

 
りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

 
りゅうおうのおしごと! 2 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! 2 (GA文庫)