ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史
こんにちは。月イチ更新で進めている当ブログですが、今回は臨時号です。前回に記事「アンソロジーの味わい」では、井上堅二ほか『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』(ファミ通文庫、2017年10月発売)を紹介しながら、ライトノベルの新しい動向について論じました。
この記事を書くなかで考えた二つのことがあります。一つは、現代日本のライトノベルにアンソロジーが少ないのはなぜなのか、ということ。もう一つは、数少ないながらも出版されているアンソロジーの歴史はどのようなものなのか、ということです。ですので、今回は「ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史」と題して、この問題に挑んでゆこうと思います。どうぞよろしくお願いします。
―目次―
1.ライトノベルにおけるアンソロジーと短編小説
(a) そもそも「アンソロジー」って?
そもそもアンソロジー(anthology)とは複数の作者の詩や文章を集めて編まれた本のことです。かつては、日本の和歌集になぞらえて「詞華集」という訳語が宛てられていましたが、最近はあまり見かけないですね。古くは、西洋では古代ギリシアの警句集や詩集、東洋では漢詩選が知られ、日本でも和歌集が伝統的に編まれてきました。支配者にとって「教養」が文化的な資源であった時代では、その「教養」を得る手段としてアンソロジーが重要な役目を持っていたことは見逃せません。
近代に入って、小説というジャンルが定着し、出版が大衆化するなかで、一人の作家が一冊の本を出版するというスタイルが徐々に拡大してゆきます。それでもアンソロジーは、「名作」を手軽に読みたいという読者の要求や、安価かつ簡便に本を出したいという作者の要求に応える出版スタイルとして今日まで定着しています。
複数の作家が作品を発表するという点では、文芸雑誌はアンソロジーと似た性格を持っています。文芸雑誌のことを商業化した同人誌と捉えるのであれば、雑誌はアンソロジーの一種と見ることもできるでしょう。ですから、アンソロジーを特別に出版する際は、何らかの共通テーマを設けたり、記念出版として刊行する場合が多いように思います。
(b) ライトノベルはアンソロジーが少ない
さて、現代日本ライトノベルでは、アンソロジーは一般的ではありません。それはどうしてででしょうか。それは、第一にライトノベルの出版スタイル(あるいはビジネスモデル)に求めることができそうです。
現代日本のライトノベルの一般的な出版スタイルは、単行ハードカバー本と比べて安価な文庫本に書き下ろすものです。それだと出版社の儲けが少ないので、多くの作品がシリーズ化を前提としていて、人気が出れば多くの冊数を刊行します。さらに、刊行スピードも数ヶ月~半年程度と、他の分野と比べて非常に早くなっています。〈安く、そして、大量に〉が基本スタイルということです。
第二に雑誌と短編小説の役割にも注目してみましょう。ライトノベルの雑誌は他の文芸誌と異なり、新作の発表の場としては位置づけられていません。むしろ、人気長編シリーズの短編を主に掲載する場となっています。雑誌に単発の短編小説が入り込む余地はあまりないのです。以前、ライトノベルにおける短編小説の特殊性について、具体的な事例を取り上げました(短編小説賞と「家族」問題をご覧下さい)。短編小説から人気作が出にくいのは、こうした事情が考えられます。
このような特殊な事情を抱えながらも、アンソロジーの企画・出版されるということは、実に驚くべきことです。そこには、出版社や作家の意気込みが詰まっており、それゆえに味わい深い作品が登場することになるのでははいでしょうか。
2.ライトノベルにおけるアンソロジーの歴史
(a) 源流としてのゲーム小説
ライトノベルにおけるアンソロジーの歴史を紐解くとき、最初に現れるのはリプレイものに代表されるゲーム小説です。富士見書房の「ドラゴンブック」、メディアワークスの「電撃ゲーム文庫」、ファミ通文庫の前身にあたる「ログアウト冒険文庫」や「ファミ通ゲーム文庫」など、1990年代以来のライトノベルのもう一つの側面がゲーム小説と呼ばれるジャンルでした。これらの作品では複数の作家が関わることとも多く、2000年代に入ってからも、『月姫』、『ToHeart2』、『ファイナルファンタジーXI』といったゲーム作品や、『ソード・ワールドRPG』といったテーブルトークRPG作品などのアンソロジーが刊行されています。
以下に見る、オリジナル小説のアンソロジーを発行している富士見書房(ファンタジア文庫・ミステリー文庫)とファミ通文庫は、ゲーム小説の刊行元という点で共通していることが指摘できます。
(b) 富士見ファンタジア文庫・ミステリー文庫:お祭り騒ぎの楽しさ
ライトノベルにおけるアンソロジーの2大発行元、富士見書房を見てみましょう。富士見ファンタジア文庫1000冊記念として出版された『突撃アンソロジー 小説創るぜ!』(富士見ファンタジア文庫1000、2004年4月発売)は、秋田禎信、神坂一、賀東招二、榊一郎の4人が読者応募の設定をもとに短編を書くという企画で、1990年代後半から2000年代前半のファンタジア文庫絶頂期の勢いを感じさせる抱腹絶倒の内容です。同じく2000冊+25周年記念の際も、ファンタジア文庫編集部編『ファンタジア文庫25周年アニバーサリーブック』(富士見ファンタジア文庫2000、2013年3月発売)がありますが、こちらは当時の人気作の短編6つを集めただけという印象が強く、正直拍子抜けしました。また、『スレイヤーズ25周年あんそろじー』(2015年1月発売)は面白かったと記憶しています。
富士見書房で忘れてはならないのが、『ネコのおと』(富士見ミステリー文庫、2006年12月発売)です。これは新井輝、築地俊彦、水城正太郎、師走トオル、田代裕彦、吉田茄矢、あざの耕平の7人によるリレー小説で、各々の作品のキャラクターが縦横無尽に登場し、ほとんど悪ふざけの展開で次に書く人を困らせる伝説の作品です。『小説創るぜ!』的なエネルギー迸る、富士見書房のお祭り騒ぎを感じることができます。
(c) ファミ通文庫:コンテンツ重視とテーマ重視
さてさて、現代日本のライトノベルにおいて、もっともアンソロジーを出しているのはファミ通文庫です。これまでに刊行されたシリーズは以下の4つ。(1)コラボアンソロジーは、『コラボアンソロジー1 狂乱家族日記』(2008年8月発売)、『コラボアンソロジー2 “文学少女”はガーゴイルとバカの階段を昇る』(2008年10月発売)、『コラボアンソロジー3 まじしゃんず・あかでみい』(2009年1月発売)の計3巻が刊行されています。このシリーズは、日日日『狂乱家族日記』、井上堅二『バカとテストと召喚獣』、榊一郎『まじしゃんず・あかでみい』、櫂末高彰『学校の階段』、田口仙年堂『吉永さん家のガーゴイル』、野村美月『“文学少女”』シリーズといった人気作をそれぞれの作家とイラストレーターがコラボして書くというファンブックで、Web掲載や特集ムックに掲載された作品が中心になっています。『ネコのおと』的な、人気作品というコンテンツを生かしたお祭り騒ぎのアンソロジーですね。
2000年代後半のコンテンツ重視のアンソロジーに対して、2010年代に入ってから刊行されているのは、テーマ重視のアンソロジーです。(2)ショートストーリーズ:『ショートストーリーズ 3分間のボーイ・ミーツ・ガール』(2011年7月発売)、(3)ホラーアンソロジー:『ホラーアンソロジー1 “赤”』(2012年7月発売)、『ホラーアンソロジー1 “黒”』(2012年8月発売)、(4)部活アンソロジー:『部活アンソロジー1 「青」』(2013年7月発売)、『部活アンソロジー2 「春」』(2013年8月発売)の三つのシリーズがこれまでに刊行されています。
これらのシリーズは、日日日、綾里けいし、庵田定夏、石川博品、井上堅二、嬉野秋彦、岡本タクヤ、櫂末高彰、榊一郎、佐々原史緒、田尾典丈、竹岡葉月、野村美月、舞阪洸、森橋ビンゴといった人気作家を動員している点では(1)と同じなのですが、こちらでは味わい深いオリジナルの短編を読むことができます。また、これらのシリーズから、岡本タクヤ『僕の学園生活はまだ始まったばかりだ』(ファミ通文庫1238、2013年6月発売)や野村美月『SとSの不埒な同盟』全2巻(ダッシュエックス文庫、2015年7~10月発売)といった単行本も生まれました。
前回、紹介した『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』は、ファミ通文庫によるテーマ重視のアンソロジーが、4年ぶりに新たに刊行されたという点でも、大きな意義があります。形式的には、2011年刊行の(2)ショートストーリーズの第2巻です。なお、20作収録というのも恐らくライトノベル新記録です。
ショートストーリーズ 3分間のボーイ・ミーツ・ガール (ファミ通文庫)
- 作者: 井上堅二,ほか,白味噌
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2011/07/30
- メディア: 文庫
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(d) その他
その他、メディアワークス文庫の初期のラインナップに、綾崎隼・入間人間・紅玉いつき・柴村仁・橋本紡『19 ―ナインティーン―』(2010年12月発売)もあります。しかし、残念なことにその後同様の企画は出ていません。
他にもライトノベルのアンソロジーはあるのかもしれませんが、私が知っている範囲ではこんなところです。ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひとも教えて下さい。
以上、ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史についてまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか。ライトノベルにおけるアンソロジーをさらに楽しんで頂くためのきっかけになればと思います。
さらに、ライトノベルという分野は、研究者や評論家が少なく、その意味や位置づけ、歴史についての議論はまだまだ不足しています。一人の人間がカバーできることが限られているのは、もとより承知していますが、次なる議論の手がかりにこの記事がなることも望みます。ここまでお付き合い頂き、まことにありがとうございました。