現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

みんはな10年前のことを覚えているかい? ― 木緒なち『ぼくたちのリメイク』

 こんにちは、お久しぶりです。こんな不定期更新のブログでも、はじめて1ヶ月で閲覧者数100を超えると少し驚きです。今年1月に書いた豊田巧異世界横断鉄道ルート66』の記事を作者さんご本人がFacebookで紹介いただいたのが原因のようです。こんな小難しい文章でも、チェックしていただいているのかと思うと赤面の至りです。

 それはそれとして、今回は木緒なち『ぼくたちのリメイク――十年前に戻ってクリエイターになろう!』(MF文庫J、2017年3月発売)を取り上げてみたいと思います。この作品は、タイトルの通り、主人公が10年前にタイムスリップして人生をやり直す話なのですが、2006年という具体的な年を指定し、これに即した話を組み立てている点が注目されます。

 

 MF文庫Jとしては押しの作品らしく、以下のように特設サイトやTVCMまで作って宣伝しています。同じクリエーターものとして、4月からアニメ2期が放映される丸戸史明冴えない彼女の育てかた』(ファンタジア文庫)のような扱いを目指しているのでしょうか。イラストレーターにはえれっとを起用。帯には、10年前にヒットした彼の同人作品『にょろーんちゅるやさん』が描かれ、「みんはな十年前のことを覚えているかい?」とふき出しがあります。懐かしいですね。

 この作品はこの10年間の時代の変化を考えさせれれる作品です。たかが10年と侮るなかれ。今回も、少々お付き合い下さい。

―目次―

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△ MF文庫J『ぼくたちのリメイク』特設サイト

www.youtube.com

1.10年前の日本社会とキャンパスライフ

 冒頭でも述べたように、本作は2016年から2006年へとタイムスリップするという、時間を指定したタイムスリップものです。ミステリやサスペンスでは精緻な道具立てとして使われることがあり、例えばジョン・F・ケネディ暗殺を題材にした、スティーブン・キング『11/22/63』が最近では話題になっていますね。同作では、1960年代アメリカをいかに読者の前に再現するかが魅力の一つになっています。

 さて、『ぼくたちのリメイク』では、2016年時点で、しがないゲームクリエイターである主人公の橋場恭也が、会社が倒産して失業してしまい失望のなかで目が覚めると10年前の2006年にタイムスリップ。人生をやり直そうと、新たに芸術大学に進学したところ、10年後に活躍するクリエイターの卵たちに出会ってシェアハウス生活をすることに……という設定です。

 

 主人公は1988年生まれで奈良県生駒市出身[木緒:12・24・33ページ]、10年前の2006年に戻ると大学進学のタイミングで、心機一転、大阪府南河内郡にある大中芸術大学に進学します。やたらと具体的です。実は1988年生までの人は、遅生まれでない限り2007年に大学進学をするはずなので、計算が合わないのですが、そこは取りあえずスルー

 さて、大中芸術大学映像学科は、「誰もが知っている国民的アニメの監督の出身校で、超有名マンガ家の半生をもとにして大ヒットしたマンガ『アカイホノオ』の舞台で、世界的ゲームメーカーの陣天堂にも多数のクリエイターを輩出していた」[同:26ページ]というのですが、これは作者自身の出身校でもある大阪芸術大学がモデルです。それぞれ、エヴァ庵野秀明島本和彦アオイホノオ』(ここでは大作家芸術大学:おおさっかと読む)、任天堂のことを指すことはお分かりになると思います。

 

 話が進めば、作者の実体験に基づくだろう話が次々と出てきて、ニヤニヤさせられます。個性豊かというより何かがおかしい大学教員、当時大阪に多かった大手コンビニチェーンのドーソン(もちろんローソンのこと)での深夜バイト、奇人変人がうごめいて意味不明な飲み会をやるサークル(美術研究会と忍術研究会)の先輩たち、駅で映像撮影をする際の面倒な諸手続きとトラブルなどなど。

 

 この頃の日本の大学では、就職不安と就活の長期化、仕送りの減少に伴う長時間のバイトをする学生の増加といった経済問題が一方にあり、自由な時間割や欠席・代返、一気飲みへの規制など社会的要因が他方にあるなかで、自由で活発あるいはハチャメチャな昔ながらの学生文化がいよいよ衰退してゆく時期です。大学生にとって、自由なモラトリアムの空間としての大学から、資格と就職のための社会の仕組みとしての大学へと姿が変わってゆく時期に当たります。

 しかし、芸術大学のようなちょっと浮世離れした大学は、こうした社会の動きとはやや距離のある自由な雰囲気があったように思います(筆者は芸大出身ではありませんが)。マンガでは、羽海野チカハチミツとクローバー』や東村アキコ『かくかくしかじか』で芸術大学の情景が描かれています。小説だと、森見登美彦の『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』などで描かれる京都大学の誇張された情景も面白いですね。

 

 2006年頃は、右も左もガラケーでしたし、そもそも「ガラケー」という言葉さえありませんでした。学生のコミュニケーション・ツールといえばmixiです。もちろん、Facebookなんて知りません。インターネットはあっても、ケータイでの使い勝手はまだまだ悪く、出先に行く時は電車の時刻をメモして、地図は紙にプリントアウトしたものです。作中でも触れられていますが、ケータイのカメラやデジカメのビデオの性能もまだまだでした。

 90年代後半・2000年代生まれの、現在の中高生や大学生の人には、不便な世の中だと思うかもしれませんが、当時は誰も不便だと思っていませんでした。むしろ、ケータイとネットの普及で以前より便利になったと感じていたものです。逆にケータイ利用とネット社会の普及に対して警鐘を発する意見がまだ残っていたくらいです。

2.10年前のライトノベル:一般的動向

 さてさて、10年前のライトノベル業界はどのようなものだったのでしょうか。主人公たちが入学した2006年春頃の、新刊ラノベに封入されている折込み広告チラシを覗いてみましょう。

電撃文庫:『電撃の缶詰』の4月の新刊は上遠野浩平ブギーポップ」シリーズの第14巻『イントレランス オルフェの方舟』、三日月かける断章のグリムⅠ』、鎌池和馬とある魔術の禁書目録9』、七月隆文『イリスの虹Ⅱ』、五十嵐雄策『はにかみトライアングル3』、有沢まみずいぬかみっ!9』などです。往年の名作や今も現役の作家たちが並んでいます。

 

富士見ファンタジア文庫:『ドラゴンプレス』の4月の新刊は、十月ユウ『戒書封殺記2』、星野亮ザ・サード」シリーズ短編第6巻『ただ、それだけのこと』、神坂一スレイヤーズすぺしゃる26』、鏡貴也『伝説の勇者の伝説10』、竹河聖風の大陸』最終章(第28巻)などです。この頃のファンタジア文庫は、白い表紙の上に、四角に切ったイラストと黒ゴチのタイトルという昔懐かしのオールド・スタイルです。しかし、この前年の2005年6月発売の高瀬ユウヤ『攻撃天使〈ヘブンスレイヤー〉6』から枠を出たイラストが出るようになりました。

富士見ミステリー文庫:同じく『ドラゴンプレス』から、師走トオル『タクティカル・ジャッジメントSS3』、野梨原花南『マルタ・サギーは探偵ですか?2』、かたやま和華『楓の剣!二』などです。当時存在したミステリー文庫は、毎月3~4冊ほど出していました。

その他に、広告として「富士見書房の人気作品が携帯電話で読めるようになります」という宣伝があり、ガラケーで読める今の電子書籍の走りがあったことも判ります。案内されている作品は、賀東招二フルメタル・パニック』、秋田禎信『魔術師オーフェン』、榊一郎スクラップド・プリンセス』、水野良魔法戦士リウイ』、桜庭一樹GOSICK』、新井輝ROOM No.1301』、田代裕彦『平井骸惚此中ニ有リ』などが並んでいます。また、ラジオ大阪の番組「富士見ティーンエイジファンクラブ」が4月から始まったという広告もあります。

 

角川スニーカー文庫:『ザッツすにすに』より、十文字青薔薇のマリアV』、長谷敏司円環少女3』など。

 

MF文庫J:『その名もJ』から、西野かつみかのこん3』、桑島由一神様家族8』、日日日蟲と眼球とチョコレートパフェ』など。この頃は、まだナンバーが付いていません。

 

ファミ通文庫:『enterbrain Entertainment News』vol.73 で、田口仙年堂吉永さん家のガーゴイル10』、野村美月“文学少女”と死にたがりの道化』など。この頃のファミ通文庫の折込み広告は、エンターブレインで一括でした。この年の10月に『FBN』vol.1が発行されます。

 当時何が流行っていたかを調べるのには、『このライトノベルがすごい!』が手っ取り早いです。2006年分を扱っている2007年版を見てみましょう。

作品ランキング:1位 支倉凍砂狼と香辛料』(電撃文庫)、2位 谷川流涼宮ハルヒ」シリーズ、3位 西尾維新「戯言」シリーズ講談社ノベルス)、4位 橋下紡『半分の月がのぼる空』、5位 時雨沢恵一キノの旅』(電撃文庫)、6位 竹宮ゆゆこ『トラどら!』、7位 川上稔終わりのクロニクル』(電撃文庫)、8位 「“文学少女”」シリーズ(ファミ通文庫)、同率9位 渡瀬草一郎空ノ鐘の響く惑星で』、古橋秀之ある日、爆弾がおちてきて

 

女性キャラクター部門:1位 ホロ(狼と香辛料)、2位 長門有希涼宮ハルヒシリーズ)、3位 涼宮ハルヒ(同)、4位 天野遠子“文学少女”シリーズ)、5位 キノ(キノの旅)、6位 逢坂大河とらドラ!)、7位 秋庭里香(半分の月がのぼる空)、8位 ヴィクトリカGOSICK)、9位 シャナ(灼眼のシャナ)、10位 ルイズ(ゼロの使い魔

 

男性キャラクター部門:1位 佐山・御言(終わりのクロニクル)、2位 いーちゃん戯言シリーズ)、3位 零崎人識(同)、4位 平和島静雄(デュラララ!!)、5位 相良宗介フルメタル・パニック!)、6位 キョン涼宮ハルヒ)、7位 ガユス・レヴィナ・ソレル(されど罪人は竜と踊る)、8位 折原臨也(デュラララ!!)、9位 上条当麻とある魔術の禁書目録)、10位 薬屋大助(ムシウタシリーズ)

 2006年当時のライトノベルの状況を総括してみると、とにかく電撃文庫の一人勝ち。新た強いヒット作が生まれ、人気作家を次々と輩出しています。一方、古参のファンタジア文庫は長年のヒット作を抱えているもののの、新しいヒット作に恵まれてない模索の時期で、同じく古参のスニーカー文庫も「涼宮ハルヒ」シリーズの爆発的ヒットが目立つのみです。他方で、『神様家族』、「“文学少女”」シリーズなどMF文庫Jファミ通文庫などの新興レーベルがいよいよ本格的にヒット作を出すようになってきています。

 作品の傾向も、現在とかなり異なります富士見ファンタジア文庫が担ってきた異世界ファンタジーものが退潮を見せ、現代ファンタジーあるいは異能バトルもの、どたばたラブコメ、現代世界ものでは、登場人物の心情を掘り下げたものやミステリ・テイストなどが確認できます。ライトノベルが2000年代に入って多様化して、多くの読者を獲得していった時期に相応しいラインナップと言えるでしょう。

3.10年前のライトノベル:一つの作品の紹介

 こうした2006年頃のライトノベルの状況のなかで生れた作品を一つ紹介します。それは、熊谷雅人ネクラ少女は黒魔法で恋をする』全5巻(MF文庫J、2006~07年)です。本作はあまり有名な作品ではありませんが、第1回MF文庫Jライトノベル新人賞の佳作であり、作者の熊谷雅人は、西野かつみ日日日月見草平らと同期に当たります。

 『ネクラ少女は黒魔法で恋をする』は、現代ファンタジー・ラブコメ・登場人物の心情の掘り下げという、上に示した2000年代半ばのライトノベルの動向が集約されています。それゆえ、同作はこの時代のライトノベルを考えるうえで示唆的な内容を持っています。また、これが当時の新興レーベルから刊行され、女性を主人公にしている点もたいへん興味深いものです。

 

 『ネクラ少女』の主人公・空口真帆は、他人を遠ざけ一人黒魔法を愛好する、内弁慶な毒舌家。ある日、悪魔の召喚に成功した真帆は、自分をバカにするクラスメートを観返すために「わたしを変えてほしい、可愛くしてほしい」と願う。悪魔はその代償に彼女の恋心を奪うという。すっかり変わった彼女は、演劇部からスカウトされ、そこで一之瀬先輩に出会う。一之瀬に惹かれる真帆だが、彼は亡くなった彼女のことが忘れられないという。新たに出来た友達のおかげで自らの恋心を自覚した真帆は、「本当に変わらなくちゃいけないのは、わたしの心なんだ」と気付き、恋心を取り戻すべく悪魔に立ち向かう――。

 

 以上が、第1巻のおおよそのあらすじです。『ネクラ少女』の導入部分は、主人公の毒舌によるモノローグでテンポよく進み、中盤から孤独な少女が友達と想い人を作って内面を育み、終盤で自らの弱さを克服しようとたたかいます。登場人物の心情の掘り下げが、「黒魔法」という変身願望をテコとして進められ、「黒魔法」に話が回収されてゆく構成は改めて読み直しても面白いものです。

 重要なのは、「黒魔法」=変身願望には落とし穴があること。物語の終盤で、真帆の意思が固いと見るや、悪魔は彼女に絶望を与えるべく、それまでの友達と想い人を作って内面を育んだ記憶を彼女から消し去ろうとします。ですが、彼女は絶望しません。例え記憶を失おうとも、再び変わってみせると彼女は覚悟を決めるのです。

 2巻以降では、さらに真帆を取り巻く登場人物が増え、ラブコメとしての要素が強まりますが、願望と意思をめぐる内面の掘り下げに「黒魔法」が関わる形でストーリーが展開してゆきます。さらに物語の舞台として演劇部を設定し、主人公たちが作り上げようとするものも明示されています

 

 『ネクラ少女』を取り上げたもう一つの理由についても触れておきましょう。実はこの作品は、えれっとが初めてライトノベルのイラストを担当した作品なのです。そして、その10年後に『ぼくたちのリメイク』で、同じMF文庫Jで再び読者の前に現れたという訳です。

4.現在の日本社会とライトノベル

 ようやく『ぼくたちのリメイク』に話が戻ってきました。改めてこの作品のポイントを整理してみます。この作品では、主人公である橋場恭也の「変わりたい」という願望がタイムスリップという形で手の届くところに転がり込みます。しかし、過去に戻ったからといって、人は本当に変わることが出来るのでしょうか。結局のところ重要なのは、自らの意思であるということに気付きます。

「いや、できる」

「できるんだよ!!!」

「できるんだ。僕を信じて。貫之や、ナナコや、シノアキががんばってくれたこと、絶対に活かしてみせるから」[木緒:248-49ページ]

そうです。この作品は、願望と意思をめぐる登場人物の葛藤を「タイムスリップ」が関わる形でストーリーが展開するのです。恐らく、2巻以降では、この「タイムスリップ」に何らかの落とし穴が設定されることでしょう。

 なお、『ネクラ少女』と『ぼくたちのリメイク』の違いの重要な点は、舞台設定がより強固にストーリーと結びついている点です。前者における演劇部に対して、後者における芸術大学でクリエイターを目指すという目的志向性の強さは、青春群像劇として決定的に重要な意味を持ちます。そういう意味では、『ぼくたちのリメイク』は、木緒なちの尊敬する丸戸史明冴えない彼女の育てかた(こちらの作品は、クリエイターの自己言及という性格が強く、むしろライトノベルを描くライトノベルものに近い内容を持っています)よりも、岩田洋季花×華』全8巻(電撃文庫、2010~13年)を想起させます。

  他の作品との関係で言えば、大学生活を描くライトノベルは、中高生をターゲットとするライトノベルの性格上、珍しいものです。ヒット作としては、竹宮ゆゆこ『ゴールデンタイム』全11巻(電撃文庫、2010~14年)や松智洋『パパの言うことを聞きなさい!』(全18巻+1巻、集英社スーパーダッシュ文庫、2009年12月~16年7月)でしょうか。前者は目的志向性の弱さを自分探しという形で描いた秀作、後者はむしろ「家族もの」の代表作です。(「家族もの」については以前書いた、短編小説賞と「家族」問題 ― 五十嵐雄策『幸せ二世帯同居計画』 を参照してください。)

 

 他方で、『ぼくたちのリメイク』は現在のライトノベルが抱える弱点にも直面しています。そもそも、ライトノベルが想定する中心的な読者層である中高生にとって、果たして10年前とは想起するべき内容をもっているのか、という疑問です。帯でちゅるやさんが「みんなは十年前のことを覚えているかい?」と問いかけるとき、中高生はちゅるやさんのことを知っているのでしょうか。

 より直接的な言い方をすれば、『ぼくたちのリメイク』はライトノベルの高齢化した読者層に焦点を当てているのではないか、という印象を受けるのです。確かに、現在の読者層の高齢化を踏まえると、まず20~30代に買ってもらい、その後話題となることでより広い層に買ってもらうというマーケティング戦略はあり得るでしょう。しかし、そのような態度は、果たしてよいのかとも考えてしまいます(高齢化した読者の一人がそんなことを言うのも、正直どうかとは思いますけれども)。本作がどのように成長してゆくかが、この問いへの答えを用意してくれるかもしれません。続刊を心待ちにしています。

 

【参考文献】

・木緒なち『ぼくたちのリメイク――十年前に戻ってクリエイターになろう!』(MF文庫J、2017年3月発売)

・『このライトノベルがすごい!2007』(宝島社、2006年)

・各レーベル折込み広告

(2017年4月25日 一部修正)

ネクラ少女は黒魔法で恋をする (MF文庫J)

ネクラ少女は黒魔法で恋をする (MF文庫J)