現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

富士見書房と築地俊彦

 ライトノベルの老舗レーベルといったら、富士見書房富士見ファンタジア文庫ですが、レーベルとしての雰囲気は時代によって異なります。90年代は『スレイヤーズ!』や『魔法戦士リウイ』に代表されるファンタジー路線、2000年代は『鋼殻のレギオス』や『ご愁傷さま二ノ宮くん』のラブコメ路線、そして最近の良く分からない(?)路線。

 で、この2000年代のラブコメ+ファンタジー路線を牽引した代表者が築地俊彦氏です。『まぶらほ』の話はいずれ色々と論じたいのですが、今回はファンタジア文庫の路線変化との関係で見てゆきます。

―目次―

まぶらほ』の影響

 『まぶらほ』(イラスト・駒都え~じ)は現在でも評価の高い作品ですが、何が画期的だったかというと、1.女の子がいっぱいのハーレム・ラブコメ 2.現代を舞台にした学園もの 3.これらにファンタジー要素を加味した という点じゃないかと、今のところ考えます。

 『まぶらほ』は2000年に『月刊ゴラゴンマガジン』誌で行なわれた第3回龍皇杯という読者人気投票で見事トップを飾った作品で、2000年11月号から連載が始まります。以来、ドラマガ連載の短編、書き下ろしの長編、外伝(メイドの巻)など現在計31巻が発行。すごい人気ですね。私もドキドキしながら読んでいました。

 この頃のドラマガはメディアミックスの成功などで20万部で、絶好調だった訳で、龍皇杯もこうした盛り上がりの中で開催されていたのです。(今は亡き)富士見ミステリー文庫の創刊は2000年11月で、『まぶらほ』とほぼ同じ時期ですね。こうした多展開から人気を得ていったのが築地俊彦氏でした。

 ドラマガ2004年1月号のラインナップを見ると、

上田志岐「イレギュラーズ・パラダイス」、賀東招二フルメタル・パニック!」、深見真「パズルアウト」、毬原洋平「生キズだらけの戦士たち」、水野良魔法戦士リウイ」第3話、清水文化「気象精霊ぷらくてぃか」第22話、築地俊彦まぶらほ」第37話、瀧川武司「EME」、沖方丁「CHAOS LEGION」、鏡貴也「伝説の勇者の伝説」、神坂一スレイヤーズ!」、秋田禎信「エンジェル・ハウリング」第5部第6話、榊一郎「スクラップドプリンセス」[雑誌一覧_月刊ドラゴンマガジン

であり、築地氏よりも先輩か同じくらいにデビューした面々にもかかわらず、ラブコメ路線が進んでいるのが分かります。これは築地氏だけでなく、ファンタジア文庫全体の傾向として理解して良いでしょう。

 また、富士見ミステリー文庫の「L・O・V・E!」路線は2003年頃ですが、2006年12月の『ネコのおと リレーノベル・ラブバージョン』では執筆陣の中で唯一、築地氏だけがミステリー文庫関係者ではありません。髙木幸治編集長の影響力を考えると、築地氏がやはり富士見書房全体のラブコメ路線の象徴であると私は評価してみました。

富士見書房の変化

 創刊20周年を機に2008年5月号から、隔月刊・B5判とドラマガは大きな変化を遂げました。編集方針が大きく変わったことは誰の目にも明らかで、連載から読み切りへ、マンガ連載・ホビー系の縮小などがあげられます。この変化をモロに受けた作品は多く、『まぶらほ』を含めた人気作の連載中止が相次ぎました。短編連載を主軸とする『まぶらほ』はこれで成り立たなくなった訳(単行本化がどうしても遅くなる)で、長期連載に伴う人気の低下も背景としてありそうです。

 いずれにせよ、代わって築地氏が打ち出したのが、「略して二のゐ!」(『変・ざ・くらする~む』に改題、イラスト・異色、2011年4月発売)ですが、ゆるくて変な女の子が次々と出てくるという、日常系4コマの小説版といった感じの作品。築地氏の文章は相変わらず面白いのだけど、話のヤマがなくて、「だったらマンガ読むよ!」って感じの作品になってしましました。中途半端にドラマガに連載したのも、良くなかったのではとい思います。

 2011年から富士見書房は「王道宣言!!」を打ち出しています。とはいえ、何らかの方向性を見出したという印象は残念ながら受けませんね。築地氏の近著でいえば、『司令官レオンの覇道』(イラスト・風瑛なづき、2012年10月発売)、『司令官レオンの野望』(2013年2月発売)は学園ラブコメでウォーゲームをやる作品。2巻完結で、キャラクターも魅力的で動きもあるのですが、「動くならアニメで見たいね!」って感じです。

 

 「二のゐ」も「レオン」も、娯楽性を非常に意識した作りになっているのですが、前者はマンガ的、後者はアニメ的な娯楽性が強くなってしまい、かえってライトノベルとしての売りが何なのか、よく分かりません。築地氏も迷っているのでは、という感じを受けました。『レオン』2巻の「あとがき」では、キャラクター小説と現実の歴史の関係についてこう述べています。

ライトノベルというかキャラクター小説では、個人の活躍に焦点が置かれます。これは事件のスケールがどれだけ大きくなっても同じです。地球をひっくり返すような陰謀であろうと、結末は個人がなんとかしてしまいます。娯楽小説ですから当たり前です。[築地 p.249]

これまでも築地氏は「あとがき」などでライトノベルを書くとは何なのかという問題に何度も触れてきました。かなり意識的な作家なのは間違いなく、それだけに迷いも深いのではないかと邪推してみました。(余計なお世話?)

 富士見書房も、MF文庫Jガガガ文庫の台頭に対応できている感じではありません。「このライトノベルがすごい!2013」では、19位『生徒会の一存』シリーズ、35位『冴えない彼女の育てかた』、40位『デート・ア・ライブ』、48位『東京レイヴンズ』、56位『ハイスクールD×D』と不振は明らか。アニメ・ゲームの消費テンポが速くなる昨今、アナログで長期的な媒体である文庫/小説が何を打ち出すのかは重要な問題でしょう。看板作家の迷走は富士見書房の問題を反映しているように思いますが、どうでしょうか。

 

【参考文献】

築地俊彦『司令官レオンの野望』、富士見ファンタジア文庫1994、2013年2月
・雑誌一覧_月刊ドラゴンマガジン http://homepage2.nifty.com/te2/m/ml.htm#gdm