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現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

劇場版が原点を再発見させる ― 川原礫『ソードアート・オンライン』

メディアワークス・電撃文庫 作品論

こんにちは。最近、話題になっている劇場版『ソードアート・オンライン オーディナル・スケール』を観てきました。劇場に足を運ぶ価値のある、良作だったと思います。

今回の劇場版は、原作者の川原礫が脚本を担当し、音楽の梶浦由記も実に良くて盛り上がりました。週末ということもあり、映画館はかなり席が埋まっていたようです。

 

今回は、『ソードアート・オンライン』(SAO)シリーズについて、劇場版を通して原作について考えてみたいと思います。先に結論を述べておくと、劇場版のテーマは、このシリーズの第1部に当たる「アイングラッド編」のストーリーとテーマを内容面で引き継いでいると言えるでしょう。

映画自体は現在も公開中ですから、出来る限りネタバレを避けて、「アインクラッド編」の設定、ストーリ、テーマについて論じてみます。

SAOアインクラッド編の基本的な設定

私が最初にSAOに出会ったのは、たまたまアニメの放送を観たからでした。アニメ第1期序盤の地味なところだったので、話がよく分からなくて、ネットでちょっと調べてみたわけです。どうやら、主人公たちがサイバー空間に閉じ込められて、そこから脱出するために生死をかけて戦うという話らしいということが分かります。その時は、「これって何番煎じ?」と思いました。

けれども、近所の書店で立ち読みを始めたら、たちまち惹きこまれて、レジに第1巻を持って行くことになりました。では、一体何が凄いのか。最初に物語世界の基本的な設定を見てゆくことにします。

 

そもそも、サイバー空間(もっと古い言い方だと、電脳空間)に閉じ込められる話って、よく聞く設定です。代表的な作品だと、アニメ『.hack//SIGN』(ビィートレイン制作、真下耕一監督、2002年)がありますし、最近だと橙乃ままれログ・ホライズン』(2010年~)とかがそれに当たります。

サイバー犯罪ものに至っては、もはや数え切れません。有名どころを挙げるなら、マンガなら士郎正宗攻殻機動隊』(講談社、1991年)、アニメなら『コレクター・ユイ』(日本アニメーション制作、ムトウユージ監督、1999-2000年)や『電脳コイル』(マッドハウス制作、磯光雄監督、2007年)、あるいは『サマーウォーズ』(マッドハウス制作、細田守監督、2009年)があります。

さらに付け加えるなら、生死を賭けたデス・ゲームという話も、宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で指摘するような、「決断主義的」な「バトルロワイヤル系」を彷彿とさせます。「何でそんな作品が話題になっているだろうか?」と正直思いました。

 

こうした基本的な設定が二番煎じであることは、作者は百も承知のことだと思います。その上で、作者は独自のバーチャル・リアリティー(VR)世界を作りあげています。単なるファンタジー系のロールプレイング・ゲームRPG)にとどまらず、多数の参加者が同時に同じゲーム場面をプレイするというMMO型のゲームとして設定され、多くのプレーヤーがゲーム内でさまざまなコミュニティを作り、さらにそれらが相互に交流する疑似的な社会を想定しているのです。

その結果、SAOというゲームでは、たとえ仮想空間であっても一つの社会が存在し、プレイヤーはそこに閉じ込められることで、日常的な社会生活を送ることになるのです。これこそが、SAO「アイングラッド編」における基本設定であり、そこにストーリーとテーマが重なることで作者のオリジナリティが現われてきます。

王道をゆくストーリー展開

次にストーリーについてです。「アインクラッド編」――なかでも原作第1巻は、ライトノベルの王道を行くストーリー展開です。主人公のキリトは、アニメ版だと「俺TUEEEE」的なキャラに見えますが、原作第1巻はむしろ、有能だけれども内気で孤独な単独行動のソロプレーヤーだったキリトが、ヒロインのアスナと出会うことで精神的な強さを得てゆく話として読むことができます。

 

なぜアニメ版と原作第1巻でこうも印象が異なるかというと、アニメ版が話の組み換えを行っていて、原作第2巻および第8巻などのエピソードを先に入れているからです。そのため、主人公キリトの活躍が積み重ねられることでストーリーが進行してゆく形になり、英雄的な主人公像が強調されてしまうのです。

その結果、それまであまり関わることのなかったキリトとアスナが関係を深めてゆくというのが第1巻のストーリーであったはずが、それ以前の時系列でもキリトとアスナが交流を持っていることになってしまい、原作第1巻の役割が見えにくくなってしまいます。この問題は、作者自身も自覚しているようで、第8巻および外伝シリーズである『ソードアート・オンラインプログレッシブ』第1巻の「あとがき」でエピソード上の矛盾について触れています。

一巻から(またはWeb版から)お付き合い頂いている読者さまはご存知のことと思いますが、このSAOというお話は、デスゲーム《ソードアート・オンライン》が開始されて二年後、クリアされるまでの約三週間の出来事がいちばん最初に書かれました(第1巻のこと:筆者注)。その後、過去のエピソードを補完する形で二巻収録の短編四本を書いた(以下略)[8巻あとがき:414頁]

こうした作者の言明が示すように、原作第1巻はそれ以外のエピソードと切り離して読むことが可能であり、そのように読むことで、主人公であるキリトが精神的な強さを獲得してゆくことがストーリーの推進力となっていることを確認することができます。そしてまた、主人公の精神的な強さを高く評価している登場人物こそ、SAOの開発者である茅場晶彦であるということは、この作品に親しんでいる方ならよく分かることと思います。

反復されるテーマ:生と死の狭間で日常を生きること

SAOというゲームは、ゲーム上の死が肉体上の死に繋がる、文字通りの命懸けのデス・ゲームです。プレイヤーは皆、生と死の狭間でもがき苦しみます。第1巻では、キリトとアスナは関係を深めるなかで、仮想現実のなかの日常の意味を互いに問い直してゆきます。

最も象徴的なのが、第22層でニシダという中年男性と2人が出会うエピソードです[第1巻18節以下]。たとえ仮想現実であっても、積み重ねた時間は本物だとアスナは語ります。キリトもまた、内気で孤独な生き方をやめてアスナとともに歩むことを誓います。

 

第1巻を補完する4つのエピソードが収められた第2巻もまた、こうしたテーマを反復します。1番目のエピソード「黒の剣士」に登場するシリカと、2番目のエピソード「心の温度」に登場するリズベットはキリトによって助けられ救われます。それに対して、3番目のエピソード「朝露の少女」に登場するユイと、4番目のエピソード「赤鼻のトナカイ」に登場するサチは、キリトは救うことが出来ません(ユイは第3巻で救済されるのですけれども)。この救われた/救えなかったの対比は、残酷かつ鮮やかであり、これを描き切った作者の力量の高さを示します。

第2巻でキリトが関わった4人の女の子は、いずれも実力的にも役割的にもサポート役です。(特殊な例であるユイを除いて、)彼女たちが実力のある上級プレイヤー(攻略組)に対して憧れとともに屈折した思いを抱いていることは見逃せません。ニシダのエピソードを含めて、必ずしも強くない、しかし日常を生きるプレイヤーが登場しているのです。

以上を踏まえると分かることは、本来、原作第2巻の構成上の意義は、キリトという英雄的なプレイヤーに光を当てたところにではなく、疑似的な社会であるSAOというゲームの中の相対的に弱いプレイヤーに光を当てたところに存在すると思います。

アイングラッド編を内容面で引き継いだ劇場版

以上に述べてきた、ストーリーにおける精神的な強さの獲得と、テーマにおける生と死の狭間のなかで日常を生きることは、『ソードアート・オンライン』のシリーズ全体を通じて繰り返されます。しかし、実際には第2部「フェアリィ・ダンス編」以降は別のストーリー展開も加わり、この点が時に見えにくくなります。この後に付け加わった要素はまた、ストーリーをさらに重厚にしてゆくのですが、この点は別の機会に論じることにしましょう。

これに対して、今回の劇場版は約2時間という制約のなかで、後につけ加わった要素をあえて切り捨てて原点回帰を行い、上に見たストーリー展開をテーマを強調する内容としました。それゆえ、劇場版は「アインクラッド編」を引き継いだ作品であると評価することができるのです。

 

劇場版では、これまでのような仮想現実(VR)でなく拡張現実(AR)を基本設定として扱っていて、そのために「アインクラッド編」とはまったく異なる設定であるように見えます。しかし、ストーリーを追ってみると、VR世界に馴染んだキリトはAR世界では弱い存在に過ぎず、物語の前半では彼の弱さがことあるごとに繰り返され、後半では精神面での強さの獲得に再び立ち上がります。

劇場版のゲスト人物のうち2人が元SAOプレイヤーであり、2人とも生と死の狭間の日常を生きた人でした。一人は死への恐怖について、もう一人は音楽について。これ以上はネタバレになるので言及を控えますが、名も無きプレイヤーへの眼差しは、第2部以降では薄まってゆく視点であり、劇場版が取り上げた意義は極めて大きいものと思います。

今回の劇場版は、最初に述べたように、原作者の川原礫が脚本を担当しています。劇場版が原点回帰をあえて行うことができたのは、作者の優れた力量なしには考えられません。劇場版『ソードアート・オンライン オーディナル・スケール』は、『ソードアート・オンライン』の本来のストーリーとテーマを再発見させてくれる興味深い作品なのです。

 

【参考文献】

宇野常寛ゼロ年代の想像力』(早川書房・ハヤカワ文庫JA1047、2008/11年)

川原礫ソードアート・オンライン1 アインクラッド』(電撃文庫1746、2009年)

・同『ソードアート・オンライン2 アインクラッド』(電撃文庫1804、2009年)

・同『ソードアート・オンライン8 アーリー・アンド・レイト』(電撃文庫2170、2011年)

 

(2017年2月28日 加筆修正)

ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド (電撃文庫)

ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド (電撃文庫)

 
ソードアート・オンライン (2) アインクラッド (電撃文庫)
 

「異世界」とはどのような世界なのか ― 豊田巧『異世界横断鉄道ルート66』

富士見書房 作品論

お久しぶりです。新しい記事をようやく書き上げました。今回は、いま流行りの「異世界もの」について考えてみたいと思います。

 

皆さんもご存知のように、2010年代に入ってから異世界を舞台とするファンタジー作品が再び多く出るようになりました。2ちゃんねるの「魔王勇者」を嚆矢とするウェブ上の創作ブームが反映されたこと、川原礫ソードアート・オンライン』シリーズ(電撃文庫、2010年~)のような新たな作品が注目を浴びるようになったことが指摘できるでしょう。しかし、2014年頃から「異世界転生もの」が極端に増加し、俗に「俺TUEEE」主人公のチートやハーレムの作品が目立つようになったとも言われています。

ファンタジーやSFなどのような、現代世界とは異なる世界を描く作品は、何といっても「異世界」をどのように描くかでその魅力が決まります。練り込まれた「異世界」がキャラクターの言動やストーリーの展開と深く結びつくとき、本当に面白い「異世界もの」が生まれると言っても過言ではないでしょう。

 さて、今回は最近出た「異世界もの」のなかで、とても唸らされた世界設定を持つ作品を取り上げたいと思います。それは、豊田巧『異世界横断鉄道ルート66』(富士見ファンタジア文庫2523、2016年12月発売)です。

豊田巧富士見ファンタジア文庫に登場!

豊田巧といえば、ゲーム会社の広告宣伝マンとして『電車でGO!』や『サイキックフォース』を担当し、2009年に退社後は小惑星探査機はやぶさの解説文を書くなど宇宙技術分野で文筆業を始めていました。また、鉄道マニアとしても知られ、2011年からは『電車で行こう!』シリーズ(集英社みらい文庫、累計40万部以上)、12年からは『RAIL WARS! ―日本國有鉄道公安隊』シリーズ(創芸社クリア文庫、累計80万部以上)で小説家として立て続けにヒットを飛ばしている人物です。

特にアニメ化された『RAIL WARS!』は秀作です。年配の方はよく知っていると思いますが、現在のJR各社はかつて日本国有鉄道国鉄)という形で運営されていました。国鉄は分割民営化によって1987年にJR各社になるわけですが、「もし民営化されていなければ」という世界がこの作品の基本設定です。この世界では、國鉄(なぜか「国」だけ旧字体)維持派と民営化支持派が政治的に対立しており、分割民営化を暴力的に実現しようとする過激派組織「RJ」も存在します。

「RJ」がJRのもじりなのは誰もが分かることですが、残念なことに、アニメではこの組織がストーリーから削られていました。現実に存在する大会社への配慮なのか、はたまた企画上の都合なのかは知りませんが、世界設定に深く根差したストーリーを推進する勢力が消えてしまったことは色々と問題があったように思います。(邪推するなら、アニメ製作時の原作者と製作サイドの対立や、ゲーム化の中止もこうしたことが関連しているのかもしれません。あくまで筆者の憶測なのですが。)

 

このように、これまで豊田巧は主に現代世界を扱っていたわけですが、ライトノベルの老舗レーベル・富士見ファンタジア文庫から出た今作『異世界横断鉄道ルート66』は「異世界もの」です。作者が得意としてきた鉄道もの+流行の異世界もの――というのが今作の特徴と言えます。それだけに、今作の世界設定には著者の意気込みを感じさせるものとなっているのです。

海洋と大陸が逆転している世界

学校で習ったように、現実の地球は3割の陸地と7割の海洋で形づくられています。これに対して、『異世界横断鉄道ルート66』の世界設定は非常に明快です。つまり、陸地が7割で海洋が3割ということ。例えば、現実の九州島は「九州海(湖)」に、東シナ海は「東シナ平原」となります。この異世界で最も高い場所は、現実のマリアナ海溝(約10,000メートル)で、最も深い場所は現実のヒマラヤ山脈(約8,000メートル)という訳ですね。

こうした世界では、いま私たちが抱いている常識はすっかり揺れ動いてしまいます。著者が「あとがき」で名言しているように、海洋が圧倒的に多い現実世界では海が交通の主役なのに対して、この異世界で人々が移動しようと思えば陸地を通らざるを得ません。そして、産業化を果たした世界において最も大規模な輸送手段こそ鉄道に外なりません。そう、この異世界では、鉄道が人々の主要な移動手段なのです。

 

このような発想は、SFの世界では決して珍しくありません。金星や火星に海洋がなく、陸地に覆われた世界であるため、こうした特別な条件下では生物はどのように進化するのか、どのような文明が形づくられるか、等々の思考実験が行われてきました。また、地球科学の一般的な知識から言っても、陸地が7割で海洋が3割の世界は、プレートテクトニクスや気象・気候のあり方がまったく異なった世界であることは容易に想像できます。

ただ、今作の成り立ちを考えるときにきわめて興味深いのは、こうした世界設定がSF的発想に基づくものではなく、鉄道が人々の主要な移動手段として異世界に存在するためにはどのような条件が必要か、という発想から生まれたということです[豊田、あとがき p.295]。つまり、現実の北アメリカ大陸の大陸横断鉄道が、大陸という地理的条件によって生まれたという事実が、この異世界に反映されているわけです。

 

「異世界もの」は多くの場合、ヨーロッパ中世がモデルとなっており、産業革命以前の剣と魔法の世界です。これに対し、本作は中世と産業革命のあいだの時代――歴史学ではしばしば「近世」と呼ばれる――を設定します。そして、その時期の冶金技術でも可能な鉄道として「無火機関車(fireless locomotive)」という圧縮空気によって動く機関車を登場させるのです。(ただし、メタンハイドレートによる圧縮空気という設定は、第一にあまりに危険すぎる、第二にメタンハイドレートは海洋がなければ大量に生成されないという問題点があるのですれども。)

鉄道が敷かれる世界とはいえ、近世社会の基本的な特徴も抑えています。中国の明・清帝国オスマン帝国はやや違うのですが、ヨーロッパやアメリカや日本などの17-18世紀社会はきわめて分権的で、地域の自立性が高い社会です。その後、産業革命によってヒト・モノ・カネの流通が活発化することで国家が再編されて中央集権的な近代社会になってゆくのです。ところが、『異世界横断鉄道ルート66』の世界はまだ地域の自立性が高いので、鉄道施設は地域の有力者がめいめい作っており、列車は通行料を払って通してもらうという形をとっています。異世界だからこそ、鉄道のありかたも特殊な発展を遂げているのですね。

 

以上、『異世界横断鉄道ルート66』の世界設定を説明してきました。結論的に言えば、本作の世界設定は「鉄道が異世界に存在するとはどういうことか」という思考実験の上に成り立っています。そこにはSF的発想から見れば甘い点は多々あるものの、ヨーロッパ中世をモデルとし、産業革命以前の剣と魔法の世界という、既存のファンタジー的世界観にただ乗りすることを拒絶する、作者の明瞭な立場性を窺うことができるのです。ここに本作の最大の魅力があると言ってもよいと思います。

世界設定とキャラクター・ストーリーとの関係

冒頭に書いたように、練り込まれた「異世界」がキャラクターの言動やストーリーの展開と深く結びつくとき、本当に面白い「異世界もの」が生まれます。しかし、『異世界横断鉄道ルート66』は興味深い思考実験のうえに世界設定が作られているものの、キャラクターやストーリーとの関係が出来あがっているとはお世辞にも言えません。

(a)キャラクターについて

主人公・ケントは厳しい修業を課す父のもとを離れようとして旅に出ます。しかし、明確な目的地はありません。彼は最初に出会ったヒロイン・クレアのことを守ると誓うのですが、その動機がどうも弱く分かりにくい印象です。また、ケントが家から持ちだした笛の形をした武器(魔笛?)や彼の異常な身体能力は、主人公の過去と関係があることとはいえ、1巻の時点ではその理由は示されていません。

最初に出てくるヒロインであるクレアも印象が弱いです。彼女は巨大鉄道企業B・I・Rの社長令嬢ですが、会社をめぐる対立に巻き込まれて殺人犯の濡れ衣を着せられて逃げています。しかし、彼女の活躍する場面がとになくありません。この異世界の鉄道についての解説者というのがせいぜいです。

1番目のヒロインとは対照的に、2番目に出てくるヒロインのラウラの方が読者に強いインパクトを与えます。彼女はショットガン使いの賞金稼ぎなのですが、跳ねっかえりで、事あるごとに銃を乱射する「災いのラウラ」なのです。主人公につっかかったり文句を言ったりして主人公に立ちはだかり、彼女との関係のなかでストーリーは進んでゆきます。ぶっちゃけて言えば、『RAIL WARS!』の桜井あおいを彷彿とさせるキャラクターなのです。

 (b)ストーリーについて

ストーリーの基本軸は、(1)主人公・ケントが厳しい親から逃げる形で旅を始める。(2)第一のヒロインであるクレアと出会って信頼関係を築き、彼女と行動を共にする。(3)第二のヒロインであるラウラが二人に立ちはだかるも協力関係を築き、三人で行動を共にする……と展開します。こうしたストーリー展開で重要なのが、主人公とヒロインの関係性ですが、さきほど指摘したように(2)においてケントとラウラの信頼関係づくりの部分が説得力を持たないと、ストーリーそのものに説得力が無くなってしまいます。

ストーリーの推進軸は、ラウラを追って捕まえようとする謎の勢力とのたたかいです。しかし、この構造は悪く言えば巻き込まれタイプであり、事態が進む主導権は常に敵側にあることになります。特に、主人公はラウラを守るという以外に敵側とたたかう理由がなく、主人公の動機の弱さゆえに主人公は物語を推進する力を持っていません。あくまでケントは、自らの特殊能力でたたかうだけなのです。

 

キャラクターとストーリーの関係で言えば、『RAIL WARS!』の方がずっと明快です。こちらの主人公である高山直人は鉄道が大好きだから國鉄とお客様を守りたい、ヒロインの桜井あおいは銃をぶっ放して凶悪犯を捕まえたい、というキャラクターがはっきりしていて、これに従ってストーリーが展開し、敵であるRJと対峙します。キャラクターとストーリー(さらに世界設定)が深い関係で結ばれていて、物語を力強く前に進めているのです。

 (c)世界設定とアメリカの精神

『異世界横断鉄道ルート66』の終盤では、いよいよ敵の正体が明らかになってきます。それは「コントロール・レールローダー(control railroader)」と呼ばれる秘密組織です。この秘密組織は、自由だけれども危険に満ち溢れた大陸横断鉄道を、統一された組織にして管理された正確で安全な鉄道にしようと考えるグループだと言います[豊田、chap.6, pp.230-31]。恐らくですが、この世界で最大の列車運行会社であるB・I・Rの経営方針をめぐる対立が、ヒロインのラウラに身の危険を及ぼしたのでしょう。

現実の世界では、鉄道路線は特定の会社に管理され、時刻表通りの運行や安全基準に即した車両や線路の整備・点検が行われています。これは資本主義的な近代社会のあり様に外なりません。これに対し、この異世界は、資本主義の論理が社会のすべてを覆っていない産業革命以前の社会です。だから主人公たちは、たとえ危険に溢れていても原初的な自由を持っている「異世界横断鉄道」を愛するのです。

 

この原初的な自由を愛する精神は、アメリカの精神であることは今作のタイトルを見れば明らかです。「ルート66」とは、20世紀のアメリカ合衆国で高速道路(フリーウェイ)が整備される前に中東部のシカゴと西部のサンタモニカを結んでいた国道66号線を指します。かつてこのルートは、大陸横断鉄道の一つであるアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が1882年に開通させたルートとも重なっていて、アメリカの「古き良き時代(the good old days)」の象徴とも言えます。コルベットやキャデラックが若者を乗せて無限の荒野を走る映像は、アメリカ文化の重要な心象風景です。最近ではディズニーのアニメ映画『カーズ』(2006年)がそんな世界を描きました。

主人公たちが物語の中盤で立ち寄る町・カデナは、東シナ大陸に取り残されたさびれた町です。かつてメタンハイドレートの鉱山で栄えた町は、アメリカの西部開拓時代のゴールドラッシュの町のように、鉱脈が尽きるとともに静かに滅びようとしています。小説の中で描かれる風景は、西部劇の荒野の町そのものです。カデナの町を出る直前のシーンで、この町がオキナワ湖のほとりにあることが示されます[豊田、chap.6, p.191]。そう、カデナとは極東最大のアメリカ空軍基地のある「嘉手納」だったのです。ここにもアメリカが姿を現わすのです。

世界設定とキャラクターやストーリーとをどのように取り結ぶのか

さて、主人公たちの原初的な自由を愛する精神に対立するのが、「コントロール・レールローダー」の近代的な精神です。ストーリーの推進軸がこの組織の側にあることは意味深長です。新時代が旧時代を駆逐してゆくように、主人公たちの精神は敵側の近代的な精神に駆逐されてゆくのでしょうか。歴史における「進歩」とは、この異世界では敵側にあるのでしょうか。

私はそうは思いません。確かに「コントロール・レールローダー」は近代的な精神の担い手です。しかし、額に汗水たらして働き日々を生きる名もなき人々は、旧時代の精神のうえに新時代の精神を自らの形で受入れ、これを読みかえることで、苦しみに満ちた近代社会を乗りこえてさらなる新時代を切り開くからです。

本作の時点で、主人公たちは旧時代の精神の持ち主に過ぎませんが、続刊で彼らの成長が見られるとしたら、主人公たちの中にある旧時代の精神を捨て去ることなく更新することで、「コントロール・レールローダー」と本当に対峙することができるでしょう。その時に、世界設定とキャラクターとストーリーが噛み合い、強力に物語が進むのではないでしょうか。

 

『異世界横断鉄道ルート66』は、1冊目が刊行された時点では、世界設定とキャラクターやストーリーがうまく取り結ばれてない作品です。あまり評判になっているとも聞きません。しかし、改めて書きますが、この作品の最大の魅力は「鉄道が異世界に存在するとはどういうことか」という思考実験にもとづく世界設定にあります。鉄道の描写なんて、鉄道マニアにしか書けないくらいマニアックで、にやりとしながら読み進めてしまいます。今後の展開次第では、本作の魅力である世界設定とキャラクターやストーリーが噛み合い、重厚かつマニアックな「異世界もの」が展開するかもしれません。そんなことを感じさせる、不思議な作品でした。

 

(2017年2月26日 一部修正)

異世界横断鉄道ルート66 (ファンタジア文庫)

異世界横断鉄道ルート66 (ファンタジア文庫)

 
RAIL WARS!―日本國有鉄道公安隊 (創芸社クリア文庫)

RAIL WARS!―日本國有鉄道公安隊 (創芸社クリア文庫)

 

 

短編小説賞と「家族」問題 ― 五十嵐雄策『幸せ二世帯同居計画』

メディアワークス・電撃文庫 作品論 集英社・SD/DX文庫

随分と更新をサボっていました。再開したいと思いつつ、実に3年以上も書いていなかったことになります。この間、ライトノベルの動向も随分と変化しました。しかし、変化していない部分もあります。今回はそんなお話。

 

五十嵐雄策『幸せ二世帯同居計画~妖精さんのお話~』(電撃文庫3186、2016年11月発売)が出たことを店頭で知って、私は衝撃を受けました。本作の「あとがき」などにも書いてありますが、これは13年も前に書かれた作品なのです。知る人ぞ知る、作者のデビュー作がここに復活したのです!

Wikipediaに書いてありますが、五十嵐雄策は1978年生まれで、第4回電撃hp短編小説賞を受賞し、『電撃hp』Volume.27(2003年12月)に受賞作の「幸せ二世帯同居計画 〜妖精さんのお話〜」が掲載されました。その後、約1年を経て『乃木坂春香の秘密』(電撃文庫、2004年10月)で文庫デビューを果たし、この作品の大ヒットで一躍人気作家となった方です。

電撃hpと短編小説賞

電撃hp』という雑誌のことをご存知の方ももう少ないと思います。今の『電撃文庫MAGAZINE』の事実上の前身に当たり、1998年から2007年まで発行されていました。創刊された1998年は上遠野浩平ブギーポップ』シリーズがヒットするなど、後発だった電撃文庫角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫などを追い上げてゆく、いけいけドンドンの時期でした。電撃ゲーム小説大賞を軸とした新人発掘が軌道に乗り、次々と新しい作品が出てきた時だったのです。そうした上げ潮の電撃文庫の新たな一手が、雑誌の刊行だったわけです。

 とはいえ、最初はメディアワークスも自信がなかったのでしょうか。見た目は雑誌なのに雑誌のコードであるISSNが付いておらず、書籍のコードであるISBNがついていました。形式上は単行本扱いだったのです。

創刊された『電撃hp』は、時雨沢恵一キノの旅」、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏」などを掲載するなど、電撃文庫のその後を担ってゆく作品を掲載しています。さらに、新人賞として「電撃hp短編小説賞」を設け、さらなる新人の発掘を狙います。しかし、2006年の第7回を最後に行われなくなり、まもなく『電撃hp』も廃刊して『電撃文庫MAGAZINE』に移行しています。一方で、電撃大賞の短編小説部門は残っており、2008年以降、「電撃文庫MAGAZINE賞」に一本化された形です。

この一連の短編小説賞からデビューした作家は、不思議なことに、あまりヒットしません西村悠や奈々愁仁子といった特殊な例はありますが……)。短い中にアイディアを詰め込まなければならないけれど、詰め込みすぎると読みづらいという短編ゆえの難しさが原因でしょうか。その少ない例外が、「電撃hp短編小説賞」出身の『撲殺天使ドクロちゃん』シリーズで知られるおかゆまさき、そして、今回取り上げる五十嵐雄策です。

短編「幸せ二世帯同居計画」は最先端だった?

短編「幸せ二世帯同居計画」は、今回発売された単行本『幸せ二世帯同居計画』の第一話に当たります。そのあらすじは、次のようなものです。

――両親を失くし、親戚をたらいまわしにされた挙句、公園でサバイバル生活を送っていた俺と妹は、近所で発見した空き家にこっそり移住する。しかし、そこは同級生の成瀬莉緒(なるせ・りお)の一人暮らしの住まいだった。彼女から隠れて行う同居生活は、いつしか彼女と「妖精さん」との同居生活ということになり、そのなかで俺は「妖精さん」として莉緒と接しているうちに彼女の孤独な内面を知ってゆく。学校で莉緒にピンチが突如訪れ、俺は彼女を助けて「妖精さん」が自分だと明かす。彼女は俺と妹との同居生活を正式に認める――「だって瀬尾くんたちは“妖精さん”なんだから」。

 

ライトノベルのなかで、「同居もの」は数多くあります。例えば、築地俊彦まぶらほ』シリーズや逢空万太這いよれ!ニャル子さん』シリーズなどの「押しかけ女房もの」で、高橋留美子うる星やつら』に原点があると言われます。いずれも「ハーレムもの」のサブジャンルで、学園でハーレムを作れば「学園ハーレムもの」に、家庭でハーレムを作れば「同居もの」になるという訳です。

しかし、「同居もの」を単純に「ハーレムもの」のサブジャンルと言うことが出来ない動向も見逃せません。「同居もの」の近年の特徴は、「家庭」あるいは「家族」にこだわる点です。「同居」がタイトルに付くライトノベルを見てみると、緋月薙『前略。ねこと天使と同居はじめました』(全6巻、HJ文庫、2010年8月~12年7月)、菱田愛日『夜のちょうちょと同居計画!』(全3巻、電撃文庫、2011年5月~11年2月)があります。2010年代初頭の時期はこうした「同居=家族もの」がたくさん出たように記憶しています。

 

こうした「同居=家族もの」を象徴する作品が、今年亡くなった松智洋の『パパの言うことを聞きなさい!』(全18巻+1巻、集英社スーパーダッシュ文庫、2009年12月~16年7月)であることは言を俟たないでしょう。この作品の面白いところは、タイトルとは裏腹に、主人公は「パパ」に容易になれず、したがって「パパ」の言うことを聞いてもらえないという状況が展開しているところです。別の言い方をすれば、《父親なき家族》あるいは家父長制の崩壊状況が生じている作品なのです。

父親と母親がいて、子供がいる――そんな世帯はもはや多数派とは言えなくなっています。いまや「家族」と一口に言っても、実際の形はバラバラであることは、誰もが知っていることです。そして、「同居=家族もの」はこうした状況を、容赦なく炙りだしています。こうして考えたとき、2003年の短編「幸せ二世帯同居計画」は、時代の最先端を行っていたと評価することができるのかもしれません。

単行本『幸せ二世帯同居計画』のゆくえ

ライトノベルにおける「同居=家族もの」の展開を踏まえたうえで、単行本『幸せ二世帯同居計画』に書き下ろされた第二話以下を読むと、短編と単行本の違いも浮かび上がります。

第一話では「妖精さん」が強調されているのに対し、第二話以下ではむしろ「家族とは何か」という問題がクローズアップされてゆきます。第二話では第三の同居人となる佐藤向日葵が、実父とその再婚相手といかに向き合うか、第三話では俺と莉緒がいかに距離を縮めるか、第四話では俺や莉緒たちがいかに住居を守るかが主題です。

 

第四話で、主人公である俺は、老人(溝口友蔵)の問いかけに対して「家族とは何か」という問いへの答えを示します。

「“家族”っていうのは、あらかじめ決められているものじゃない。きっと、なるものなんです。夫婦だって、最初から“家族”なわけじゃない。絆と信頼を通して、いっしょに過ごした時間と思い出とを通して、自分たちでそのカタチを手に入れるものなんだと思います。それが俺にとっての“家族”です。だから俺たちは……胸をはって、“家族”だと言えます!」[五十嵐, p.269]

もちろん、老人は「絆と信頼」という答えが、「青臭い言葉」だと知っています。ですが、それは「戦後の混乱」のなかで身を寄せ合って生きたという自身の体験を思い出しながら、主人公の言葉を肯定します。高齢者福祉施設に入れられた老人の語る「家族」の歴史の重みが、主人公の語りを支える構造になっているのです。

 

妖精さん」から「家族」へ。観念的なものから現実的なものへの転換は、しかし、この物語を内部から軋ませます。最大の問題が、彼らの経済生活です。主人公と莉緒は高校に通いながら、ほぼ毎日をアルバイトで生活費を稼いでいます。しかし、家族4人を支えるに足る収入は確保できるのでしょうか。この問題は、主人公や莉緒が大学進学をするか高卒就職をするか、あるいは主人公の妹の中学・高校進学をめぐって再燃する問題です。

すでに本作は、「家族」を取り巻く重苦しい問題に踏み込んでいます。主人公のアルバイト先やヒロインの実父の存在という、続編に向けた伏線も仕組まれています。この物語は、強烈な個性を持ったキャラが登場する物語でもなければ、思いもかけないストーリー展開で読者を魅了する作品でもありません。その意味では、本作は刺激のある分かりやすいライトノベルではなく、これから様々な「現実」に向き合わざるをえない作品のです。

 

そのため、続編が書かれるとすれば、作者は「同居すること」、「家族とは何か」という問題に改めて向き合わざるをえません。恐らく、「家族」が「現実」に直面したとき、再びクローズアップされるのが「妖精さん」なのかもしれません。作中でも、「妖精さん」は莉緒の祖母の言葉であることは示されるものの、祖母がなぜ「妖精さん」を語ったのかは明らかにされていません。

若者たちの奇妙な「同居」と「家族」を裏で支えている、二人の老人たちの語り。「家族」問題が老人問題と密接に関わっている今日の日本社会をこのライトノベルは示しています。若者たちと老人たちを結ぶ「妖精さん」の今後のゆくえに注目したいと思います。

(2017年1月8日 一部修正)

幸せ二世帯同居計画 ~妖精さんのお話~ (電撃文庫)

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パパのいうことを聞きなさい! (集英社スーパーダッシュ文庫)

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