現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

地球が救われた未来で、僕らはまた恋をするから ― 今井楓人『救世主の命題』(その二)

 こんにちは。前回(その一)に引き続き、今回も今井楓人『救世主の命題』について語ってみます。第1巻では、根暗で中二病な主人公の永野歩は、世界を救うために“憧憬”のテーゼを持つ1番目のヒロイン・春坂遥菜と付き合い、そしてすべてはリセットされました。彼女と付き合った記憶は、主人公である歩と未来から来たサポート役のルーメしか覚えていません。

 第2巻と第3巻では、それぞれ“敵対”と“聖域”のテーゼを持つヒロインと関係を持つことになります。物語はどのように展開するのでしょうか。今回も、私の深く思い入れてきた作品を、ネタバレ全開で紹介いたします。どうぞご容赦ください。

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救世主の命題(テーゼ) 2 | MF文庫J オフィシャルウェブサイト

“敵対”のテーゼの彼女:芹乃

 早速、第2巻のストーリーを追ってみましょう。春坂遥菜と別れてから数日後くらいでしょうか、歩のサポート役のルーメから、2番目の“敵対”のテーゼを持つ女性は、華やかな女子高生モデルでクラスメイトの堀井芹乃だと告げられます。芹乃は、第1巻からちょくちょく出てくる女の子なのですが、歩にすれば、ギャルっぽい見た目や言動で、ことあるごとに彼に突っかかってくる苦手な相手に外なりません。歩のコンプレックスの対象である弟の司と仲が良いのも余計に不愉快なこと。それよりも、テーゼを得て記憶を失くしてしまった元カノの遥菜の方が気になるくらいです。主人公のうじうじした暗い性格はそう簡単には直りません

 それでも、芹乃との接触を増やすうちに、彼女の色々な面が見えてきます。最初は、演劇部のゲスト主演として、半ば押し付けられた役をめいいっぱい情熱的に演じる姿に胸が震えます。芹乃の親友であるひよりの勘違いで、歩が芹乃のことを好きだと告げられると動揺して顔を真っ赤にします。また、モデルの撮影現場では鮮烈な魅力を放っています。同時に芹乃の方も、接触することが増えた歩のことが気にかかる模様です。

 

 芹乃が歩に敵対する理由がテーゼを得る鍵ではないか――ルーメからのアドバイス最初の手がかりは、モデルの撮影現場でのハプニングから思いもかけず歩と芹乃がキスを交わした時に彼女が口走った言葉でした。そこから歩は、彼女の中二病疑惑に思い至ります。二人のキスは同性から孤立気味だった歩と芹乃の立場を悪くし、芹乃の危機に駆け付けたことで、第二の手がかりである彼女のおじいさんが浮かび上がります。

 歩は芹乃の親友であるひよりと、芹乃のおじいさんの友人の老人(小野寺)から話を聞いて、彼女のおじいさん(淳介)が「世界を守る魔法使い」と名乗っていたことを知ります。おじいさんは、魔法とオカルトが大好きな変わり者でしたが、誰からも慕われる人でしたが、三年前に「地球を守る魔法をかけにゆかなければ[今井:2巻143ページ]と言って家を抜け出し、山の麓で息絶えていたということでした。芹乃にとって、前髪の長い変わり者の歩は、大好きだったおじいさんを思い出させる存在だったのです。

 おじいさんが経営していた喫茶店で、二人は言葉を交わします。大好きだったおじいさん。しかし、中二病によって亡くなってしまったおじいさん。そんな複雑な彼女の思いが歩に重なります。

 歩の中にゆっくりと、切なさの入り交じった、優しい気持ちが込み上げてくる。

 それを自覚し、戸惑いながら、歩は静かな声で言った。

「堀井のおじいさんのこと、バカみたいだなんて、僕は思わない」

 芹乃が、顔を上げる。

 芹乃の瞳にも、戸惑いが浮かんでいる。

「堀井にとって、おじいさんは大事な人だったんだろう。大事に思っているものを、否定したりは、しない」

 歩を見つめる瞳が、うるんでゆく。[同:2巻147ページ]

芹乃は初めてのキスをハプニングにしたくない、だから責任を取って彼氏になりなさい、と彼女は言いました。こうして、ちぐはぐなカップルは誕生したのです。

おじいさんの代わりに、きみを守るよ

 歩と芹乃は付き合うことになりましたが、前途は多難です。せっかくの初デートでは、歩は1番目のヒロイン遥菜と比べてしまい、芹乃も気合を入れ過ぎて空回りしてしまいます。終わってみれば「最悪」なデートでしたが、翌日にはルーメのアドバイスもあり、歩は反省をします。そうして二人は、おじいさんが経営していた喫茶店で仲直りをします。おじいさんと芹乃の温かな思い出――「魔法」が残っているここなら自分は素直になれると芹乃は言います。そして、いつかこの喫茶店を復活させることが夢なのだとも。歩は彼女の夢に共感し、二人は互いの好きな音楽を聞きあいます。二人はケンカをしながらも、少しずつ仲を深めてゆきます

 二度目のデートは上手くゆきました、途中までは。立ち寄った町唯一のデパートで、1番目のヒロイン春坂遥菜と姉の千織と鉢合わせてしまいます。芹乃は歩の想いが遥菜にあるのではと詰め寄り、歩はそれに答えることができませんでした。さらに折悪く、おじいさんの喫茶店が取り壊されることになり、芹乃は自己嫌悪と喪失感でメールで歩に別れを告げ、連絡を絶ってしまいます。このままでは、テーゼは反転してしまいます。

 

 ここから物語は終盤へと一気に進みます。まず、歩は芹乃の親友のひよりの力を借りて芹乃の誕生日をセッティングし、次に、彼女を励ますためにルーメの力を借りておじいさんの倒れた森に「魔法」を仕掛けます。「魔法」とはただの鈴をたくさん森に吊るしただけなのですが、その音はおじいさんがかつて語った妖精の「魔法」でした。「魔法」で再び素直になれた芹乃と歩は再び恋人の絆で結ばれます。ついに“敵対”のテーゼは得られました。

 心の中に、甘い、甘い、気持ちがあふれてゆく。

 別れの時が、近づいている。

 それを少しでも引き延ばしたくて、まだもう少しだけ、あと少しだけ、芹乃の彼氏でいたくて、芹乃の細い方を抱きしめていたくて――。

 芹乃の頬に、額に、まぶたに、感情をぎりぎりまで抑えた控えめなキスを、そっと、そっと、落としてゆく。

 そのたび、芹乃の体が、嬉しそうに震える。

アルク……大好き……ずっと、彼女でいさせてね」

 ああ……僕の彼女は、本当に可愛い。

「うん、セリィ」

 唇の横に口づけながら、歩もまた震える声で答える。

 指輪に入ったひびの奥で、光が揺れている。

 これから先のストーリーは、歩と芹乃にはない。

 今日、この場所で、終わりを迎える。

 もっと、たくさんきみを知りたかった。

 もっと、デートをしたかった。

 喧嘩をして、仲直りして、もっともっと、きみを好きになりたかった。

 ずっときみの彼氏で、いたかった。

 抑えようとしても、抑えられない、熱い衝動。

 今、息がかかるほど近くにいるこの相手を、狂おしいほどに求める気持ち。

 歩の唇が、芹乃の唇をふさぐ。

 今なら、わかる。

 今なら、言える。

 

(僕は、セリィに恋をしている!)[同:2巻235-36ページ]

こうして、未来は滅びから5分の2が救われました。芹乃の記憶は失われ、歩の心のなかにだけ残りました。

“聖域”のテーゼの彼女:ひより

 続いて、第3巻のストーリーを追ってみましょう。“聖域”のテーゼを持つ、三田ひよりは第2巻で主人公の歩と芹乃のあいだを取り持った、真面目で親切で善良な女の子です。しかし、歩は乗り気ではありません。1番目のヒロインの春坂遥菜や2番目のヒロインの堀井芹乃のような華やかさがないのもそうですが、何かひっかかるものがあって、恋愛対象として彼女を見ることができないのです。

 それでもルーメの手引きで、夏休みの子供会の宿泊行事のボランティアとして参加し、同じくボランティアとして来ているひよりと接触を持つことになります。優しい性格のひよりが子供たち上手く接するなか、歩は複雑な思いで彼女を眺めていたのですが、子供の一人に周囲と馴染めない昔の自分を見ているような男の子を発見しました。ひよりは男の子のことを心配して構うのですが、歩は「余計なお世話だ」と彼女を叱責してしまいます。

 

 物語の中盤で、ひよりに対する歩の苛立ちは、誰にでも優しい彼女の姿勢を偽善だと感じることによるものだと気付きます。人間を信じるひよりと信じない歩。これに対し、ひよりは偽善者でないとルーメは否定します。未来から来たサポート役のルーメがヒロインたちへの具体的な言及をするのは初めてのことで、未来のルーメがひよりのことを知っているのではと歩は考えました。その日の夜、歩は夢を見ました。未来の世界でさらに傲慢になり人間不信を募らせた歩がひよりを見殺しにしてしまう夢です。歩はひよりと関わることにすっかり怯えてしまいます。

 翌日、歩にそっくりの男の子が合宿所から失踪します。雨が降るなか、二人は男の子のことを必死で探します。ようやく見付けた男の子が、真っ直ぐひよりに駆け寄った時、歩は自分の間違いに気付きました。ひよりは「余計なお世話」ではなく、過去の自分と男の子を重ねていた自分が間違っていたとひよりに謝ります。自分がみっともないと懺悔する歩に対し、ひよりは「みっともなくなんてないよ[今井:3巻136ページ]と言い、過去の歩をひよりが知っていること、そして彼女が歩のことを好きであることを告白します

そんな未来を、僕は信じる

 ひよりの突然の告白に、歩は戸惑います。彼女のことを愛らしいと感じるようになる一方で、なぜ彼女が自分のことを好きなのか、過去と未来の二人に何があったのか、歩には分かりません。そもそも、未来の世界でひよりを見殺しにする自分に付き合う資格はあるのだろうか、例え今の世界で彼女と付き合えたとしても記憶の改変が行われてしまうではないか――歩は煩悶します。歩は、ひよりを喪うことが怖くて怖くて堪らないのです。

 そんな歩にヒロインたちは救いの手を差し伸べます。1番目のヒロイン遥菜と2番目のヒロイン芹乃が、それぞれ歩のことを励ましに来てくれました。彼女たちと恋をした記憶は、歩のことを強くしてくれます。歩はついに、ひよりと向き合う決意をルーメに伝えます。そうして歩は「僕の彼女になってください[同:3巻189ページ]とひよりに伝えることが出来たのです。さらに彼女に聞くと、幼稚園の時に困っていたひよりを歩が助けたこと、今年の春に当時の男の子が歩だと気付いたことを教えてくれました。ひよりは、歩の優しい過去を知っていたのです。

 ひよりが顔を上げ、輝くように微笑む。

 髪を二つに結んだ小さな女の子の面影と、エプロンをかけた大人のひよりの面影が、今歩の目の前に立ているひよりの上で、ひとつに融け合う。

(きみは、僕の未来と現在だけじゃなく、過去にも、いたんだね)

 歩が気付かなかっただけで、ずっと近くにいた女の子。

 その子が、優しい声で――幸せな声で、歩を呼ぶ。

 

「アユくん」

 

 いつか、別れなければいけない。

 そのいつかは、そんなに遠くない。

 明日かもしれない。今日かもしれない。

 それでも、今このとき、二人の名前を呼びあって、笑いあえたことを、きっと後悔しない。

 星がまたたく屋上で、歩はそのあと、大好きな『彼女』と、ずいぶん長い時間、いろんな話をした。[同:3巻204-05ページ]

 

 宿泊行事から帰ると、二人はささやかなデートを繰り返し、仲を深めてゆきます。臆病で控えめな二人の、甘く優しい時間が紡がれます。けれども、何度もデートを重ねたにもかかわらず、歩はひよりにキスをすることができません。なぜなら、キスをすることでテーゼを得てしまい、彼女の記憶が失われることが怖いからです。歩の決意が揺らぎます。

 物語の最終盤で、二人で花火大会に出かけます。二人の気持ちが盛り上がってキスをしようとする歩は涙を流してしまいます。心配するひよりに、歩は思わず真実を告げてしまいます。キスをするとひよりが記憶を失くしてしまうこと、自分が未来を救おうとしていること、そのために5つのテーゼを集めなくてはいけないことを。そんな荒唐無稽な歩の言葉を、ひよりは「……信じる、よ[同:3巻227ページ]と言ってくれます。ひよりは遥菜や芹乃と歩が付き合っていたことに気付き、遥菜・芹乃・ひよりのことを本当に好きだったことを確認します。ひよりは歩の手を握り、微笑んで言います。

「アユくんのこと忘れても、絶対にまた、好きになる。だからアユくんが未来の地球を救って、役目を終えて、普通の男の子に戻ったら――そのとき、また、アユくんの彼女にしてください。他にもライバルはいるかもしれないけれど、でも、あたし、頑張るから――」

 澄んだ瞳に、過去のひよりが、未来のひよりが、重なる。

 いつも、歩のそばにいてくれた女の子。

 みんなからのけ者にされていた歩を――恐れられていた歩を、好きになってくれた、女の子。

「きっと、そうなる。またアユくんに恋をして、またアユくんの彼女になって、アユくんと、花火を見に行くの」

 歩も大好きなその女の子が、ほのぼのとした笑顔で問いかける。

「ねえ、信じてくれる?」

 ずっと誰のことも信じていなかった。

 信じられなかった。

 けど、本当は――信じたかった。

 だから、震える喉から声を絞り出して答える。

 

「信じる! 僕は――よりを、信じる!」[同:3巻230-31ページ]

こうして二人は口づけを交わし、未来は滅びから5分の3が救われました。物語はここで終わっています。

ヒロインたちの役割

 以上が『救世主の命題』の第2巻・第3巻のあらすじです。このような要約で、本作の持つ魅力を伝えられているとは到底思えませんが、本作のポイントを改めて述べておきます。

 第1にヒロインたちの役割について。前回(その一)も述べていることですが、1番目のヒロインである春坂遥菜は、憧れの彼女として描かれています。それは現実よりも理想の方が先行している、ある意味で地に足が着いていないヒロインです。これに対して、2番目のヒロインである堀井芹乃は、現実の男女のズレに向き合いながらの試行錯誤の恋愛です。お互いに思い通りにならず、話し合いや妥協を重ねながら歩みを進めてゆきます。芹乃にとって初めての恋であるということもその背景にあるでしょう。また、芹乃との恋を通じて、歩は周りの人間の助けを借りていることも重要です。なぜなら、主人公がヒロインとの一対一の関係ばかりでなく、様々な他人との関係を形づくる過程が含まれているからです。

 3番目のヒロインである三田ひよりは、理想や思考錯誤の恋愛でなく、誤解や勘違いからの出発でもない、等身大の恋愛です。ヒロインたちのなかで唯一過去を共有しているのがその理由なのでしょう。興味深いことに、作者は「あとがき」で「ひよりは他の女の子たちと主人公を繋いでくれるポジションの子[今井あとがき:3巻255ページ]と述べています。この意味を推測することは難しいのですが、単に好きな相手を信じるだけでなくて、他者を信じるということを教える存在だからではないかと私は考えます。

 

 第2に記憶の消去の問題について。記憶が消えてしまう、改編されてしまうという問題は、涙を誘う物語の一つの定番です。マンガでは葉月抹茶一週間フレンズ。』全7巻(月刊ガンガンJORKER連載、2012~15年)では、一週間で記憶がリセットされてしまうヒロインの藤宮香織との恋愛が描かれていますし、ライトノベルでは賀東招二甘城ブリリアントパーク』既刊8巻(富士見ファンタジア文庫、2013年~)はヒロインのラティファの運命と記憶喪失が深く関わっています。その他、井上靖の自伝的小説『わが母の記』(講談社、1975年)、韓流ブームの火付け役となった韓国ドラマ『冬のソナタ』(ユン・ソクホ監督、2002年)、ゲームでは『ef - a fairy tale of the two.』(mimori、2006~08年)など数え上げれば数限りません。

 このように、記憶喪失(健忘など)を扱った作品は数多あります。記憶の有無によるすれ違いや、人間関係が断ち切られてしまう問題は、物語を作るうえできわめて重要な問題です。さて、『救世主の命題』における、魔法的な運命ゆえに愛する人の記憶を消さなければならないという設定は、大ヒットした少女マンガ、高屋奈月フルーツバスケット』(花とゆめ連載、1998~2006年)の草摩紅葉や草摩はとりのエピソードと重なります。『救世主の命題』では主人公の未来の運命が記憶消去を強いるのですが、『フルーツバスケット』では草摩家の過去の運命が記憶消去を強いているわけですね。前回述べた、物語における魔法の役割の一つである、人間の意思と願望が、それぞれ未来や過去と現在との関係のなかで立ち現れてくる物語であると言えるでしょう。

 

 これはたまたまなのですが、今回の記事を書きながら聞いていた音楽が、岡崎律子の「For フルーツバスケット」(2001年)でした。特にアニメ版(大地丙太郎監督、スタジオディーン、2001年)は胸を締め上げられ、時に笑い時に涙する傑作だったと思います。岡崎律子の歌も、もう新しいものを聞けないと思うと本作と同様の思いに駆られます。

 とはいえ、『救世主の命題』が暗示するその後の物語について、考えてみたい点はまだ残されています。あともう一回、お付き合い下さい。(続きます。)

 

【参考文献】

・今井楓人『救世主の命題2』(MF文庫J、2013年10月発売)

・今井楓人『救世主の命題3』(MF文庫J、2014年11月発売)

 

救世主の命題(テーゼ)2 (MF文庫J)

救世主の命題(テーゼ)2 (MF文庫J)

 
救世主の命題(テーゼ)3 (MF文庫J)

救世主の命題(テーゼ)3 (MF文庫J)

 
フルーツバスケット (1) (花とゆめCOMICS)

フルーツバスケット (1) (花とゆめCOMICS)

 

だから、僕は世界を救おう ― 今井楓人『救世主の命題』(その一)

 こんにちは。3ヶ月連続でPV数100件超えというのは、大変嬉しいものです。見て下さった方々、読んで下さった方々にはただただ感謝しかありません。また、累計PV数も2000件を超えました。これからも頑張ってゆきたいと思います。さて、今回はこのブログを始めた頃に発売されて、ぜひとも紹介したいと思いながら果たすことの出来なかった作品について語ってみます。

 

 今井楓人『救世主の命題〈テーゼ〉』全3巻(MF文庫J、2013~14年)は、主人公とヒロインたちをめぐる温かく切ない恋愛を描いたもので、奈月ここの優しく儚げなイラストが好印象を与える作品です。ですが残念なことに、ほとんど話題になることなく打ち切りとなってしまい、作者の今井楓人もその後作品を発表していません。もう誰も語ることのない作品かもしれません。けれども、私はこの作品が好きで好きで堪らなくて、しかし同時に、心のなかを整理することも出来ないままでいました。

 本ブログは、ライトノベルを分析的に読むことを通じて「もう一つの読み方」を考えることを目的としています。その趣旨から言えば、今回私は冷静な分析を行うことは多分できません。実際この作品を、私は今も涙なしには読めません。私は、歴史にただ埋もれてしまうよりも、少しでも語ることを選びたいのです。完全なネタバレですが、筆者の趣味にお付き合いいただければ幸いです。

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救世主の命題(テーゼ) | MF文庫J オフィシャルウェブサイト

5つのテーゼで世界を救う

 まず、本作の設定を抑えておきましょう。舞台は春が遅れて訪れる北国(作中の描写から北東北――恐らく青森県岩手県の山に囲まれた町。人間不信で、オカルトを愛する根暗な高校生の永野歩は、初恋にこっぴどく敗れ、「世界を滅ぼしてやる」と中二病全開で呪文を唱えた。そこに突如、未来から来たという謎の少女ルーメと出会う。彼女によると、未来の世界は、救世主となる歩の「愛」の力が欠けていたことで滅びてしまうという。世界を救うには、現在の歩が「愛」を手に入れること――すなわち、5人の鍵となる女性と恋をしなければならないのだ。

 この5人の女性には、それぞれ“憧憬”、“敵対”、“聖域”、“戯れ”、“傾国”のテーゼがあり、5つの肯定的命題を手に入れることで、真実への道が示され、未来を照らす力になるのだという。そして、1番目の“憧憬”の恋の相手は、敗れた初恋の人、クラスメイトの春坂遥菜なのだ。タイムリミットは、世界に魔法が襲来する10ヶ月後の3月14日。それまでに、5つのテーゼを手に入れなくてはならない。

 

 以上のように、本作は世界を救うために5人のヒロインを10ヶ月以内に攻略しなければならないという設定です。この基本的な設定は、ゴールが明瞭に定められていて、小説というより恋愛ゲーム(ギャルゲーとかエロゲ―とか)的な内容とも言えそうですね。

ネクラで、自意識過剰で、そして純粋な主人公

 本作の重要なポイントは、主人公のキャラクター設定にあります。冒頭のシーンは、春坂遥菜へのラブレターを書いた歩が、遥菜に相手にされず、他の女子生徒から罵詈雑言を浴びせられるところから始まります。彼は前髪で顔がろくに見えず、暗々とした負のオーラがにじみ出る中二病のオカルト少年で、遥菜への告白も、クラスで隣の席になって優しくしてもらったことがきっかけ。話が始まる時点では、主人公とヒロインの仲は深まっておらず、ある意味で玉砕的に告白してしまいます

 周りの女子生徒から見れば、これは歩の「勘違い」に外ならず、そのため告白を察知した女子生徒たちは、遥菜には内緒で歩を取り囲んだのです。しかし、歩はこのことに気付かず、告白を自分で断らずに友達に断らせる、猫を被った酷い女として勘違いしてしまいます。歩は余計に女性不信を募らせてしまい、序盤では主人公はひらすら恨み言と自己卑下を繰り返すのです。こうした主人公の言動が一人称で語られるので、「気分が悪い」、「主人公に感情移入できない」と否定的な印象を持った読者も少なくないようですね。

 

 けれども、私は主人公のキャラクター設定に強い共感を覚えます。それはどういう点か。彼はコンプレックスの塊です。特に一つ年下に成績優秀・スポーツ万能なイケメンの弟がいて、周囲から比較されて蔑まれ、親からは無視されていると感じています。周囲の目からは、弟のお弁当は母親の愛情あふれるものとして評されるのに対して、自分は「マザコン」と言われてしまいます。主人公がオカルト趣味にふけり、周囲を見下すのは、彼のコンプレックスの裏返しに外なりません。客観的に言えば自意識過剰な人物でしょう。こうした主人公の永野歩は、人間なら誰もが持つような暗く淀んだ人格と感情を背負った人物として、生々しく読者の前に現れているのです。

 しかし、同時に彼は純粋な男子高校生でもあります。クラスの嫌われ者の歩にも優しくしてくれる天使のような美少女のことを、彼は好きで好きで堪りません。冒頭部のラブレターの一文は、彼の恥ずかしいくらいの恋心が表現されています。

春坂さんが好きです。

春坂さんのことが、もっと知りたいです。

春坂さんと仲良くなれたら、嬉しいです。[今井:1巻22ページ]

そんな想いを打ち明けながら、女子生徒に囲まれて「勘違い」を非難された歩が深く傷ついたのは当然かもしれません。そしてまた、遥菜に不信感を抱きながらも、好きという想いはそう簡単には消えません。ですから、主人公は彼女への想いを我慢しなければならないのです。愛を手に入れるように助言するルーメに対して、歩は冷たく時に苛立たしげに接します。山に囲まれた情景が繰り返され、彼の閉塞感を描写します。

恋の成就と破局

 物語が大きく動き出すのは、中盤でヒロインの春坂遥菜が悩みを聞き出すところからです。その時、歩が彼女にかけた言葉は、「春坂さん。辛いときは、我慢しないほうがいいよ……」、「我慢は心にも体にもよくないから[同:1巻135・37ページ]。これは今の歩自身の経験です。こうして、歩は遥菜の失恋相談にのることになり、歩の指導による丑の刻参りを通じて、主人公は彼女への誤解を解き、二人は仲を深めてゆくことになります。7日目の夜、ついに歩の手紙が遥菜に渡っていなかったことが判明し、それがラブレターであったことを告白します。

 一言一言、ひたむきに語るその声が、大好きな女の子のその声が、歩の耳に、心に、染みてゆく。(中略)

 そんな表裏のない、健全で純粋な春坂遥菜という女の子を、歩は好きになったのだ。

 休み時間に一人で暗くオカルト雑誌のページをめぐって、ぶつぶつ滅びの呪文を唱えている歪んだ自分でも、この朗らかな女の子と一緒にいれば、明るい太陽の下で笑いあえるような気がして。

 今、歩たちの上には、太陽でなく月が淡く輝いている。

 幻想的な優しい光に包まれて、遥菜がうんと緊張している顔で、尋ねる。

「永野くんは、あたしとつきあうの、嫌?」

 歩は首を横に振った。

「ううん、生まれてきて良かったと思えるくらい、嬉しい」[同:1巻182-83ページ]

この、淡く幻想的な情景は、二人のその後も暗示しています。ついに付き合うことが出来た二人は、デートに出かけて彼女の意外な一面を知り、お互いをあだ名で呼び合うようになり、学校で交際宣言までします。

 一方、二人の仲を疑うクラスメイトは、歩の長い前髪を上げた写真を撮るように遥菜に言います。しかし、自分の顔がコンプレックスであった歩は、笑い物にする気かと、強い口調で遥菜のことを拒否してしまいます。彼女の愛を本当の意味で受け入れることの出来ない歩――これでは、テーゼは反転してしまいます。

 さらにルーメから衝撃的なことが伝えられます。テーゼを手に入れるために、一度成就した恋愛はリセットされて、次のヒロインに移ることになる、と。主人公の恋は成就しても失敗しても忘れ去られる運命にあることが突き付けられるのです。迷う歩にルーメは後押しの言葉を与えます――「また、飲みこんでしまうのですか[同:1巻220ページ]。もう歩は我慢しません。物語は怒涛の勢いで最終盤に向かってゆきます。

 無垢でバカで、けど優しくて健やかで、まぶしくてあたたかい、憧れて、憧れて、憧れた、歩の春風。

 歩の初恋の女の子。

 こんな素敵な子が、僕の彼女になてくれた!(中略)

 遥菜が遥菜でよかった。

 誰かに感謝したことなんて、一度もなかった。

 でも、今だけは心からお礼を言う。

 神様、はるるんに会わせてくれてありがとう。

 お父さん、お母さん、僕に命をくれてありがとう。

 はるるんの友達も、ありがとう。(中略)

 胸を震わせ、歩は問いかけた。

 

「はるるん、世界が平和なまま、続いていったらいいと思う?」

 

 いきなりそんなことを訊かれて、遥菜は戸惑っているようだった、けど、すぐに、朗らかな声が、あたたかな風と一緒に返ってくる。

 

「うん!」

 

 迷いのないまっすぐな、善良な声!

 歩は胸が、いっぱいになった。

 世界が滅べばいいなんて、もう言えない。絶対言えない。

 力一杯、叫んだ。

 

「はるるんが、大好きだ!」[1巻236-38ページ]

こうして、未来は滅びから5分の1が救われました。遥菜の記憶は失われ、歩の心のなかにだけ残りました。はじめて歩が好きになった――はじめて歩を好きになってくれた大切な女のことのために、彼は「救世主」となることを決断したのです。

主人公とヒロインの関係、魔法の役割

 以上が『救世主の命題』第1巻のあらすじです。完全なネタバレです。しかも、冒頭に述べたように、冷静な分析もあったもんじゃありません。このまま勢いで突っ走ります。以下にこの作品のポイントを述べましょう。

 第1に主人公とヒロインの関係について。先にも指摘したように、主人公の永野歩は、人間なら誰もが持つような暗く淀んだ人格と感情を背負った人物です。それゆえに、読む人によっては不快感を抱くこともありますし、真に迫ったキャラクターとして立ち現れてくる存在でもあります。一方で、春坂遥菜は、優しくて朗らかで、明るくて純粋な、現実にはあり得ないようなキャラクターとしてヒロインは描かれます。それはなぜでしょうか。

 一つには、彼女のテーゼが“憧憬”であるということが理由です。主人公にとってはこれが初恋であり、現実に対して理想や憧れの方が先行しています。それゆえ純粋でありながら、地に足が付いていません。もう一つには、この物語が主人公の目線で語らていることです。恐らくより長く付き合えば、遥菜の生々しい部分が浮かび上がったことでしょう。実際、作中でも、プロレス好きであること、見栄や意地を張ったり悩みを姉に打ち明けたりしていることが明かされています。けれども、二人には時間がありませんでした。その結果、初恋は純粋な“憧憬”でありえたのです。

 第1巻のヒロイン・春坂遥菜の役割は、第2巻以降を読むことでより具体的に理解できます。この点は、改めて書きます。

 

 第2に物語の道具立てである魔法の役割について。『救世主の命題』の基本的な筋立ては、上に見たように、コンプレックスを抱え自意識過剰な主人公が、真実の愛を見付けるものの、記憶を消去されてしまうというもので、魔法が道具立てとして置かれています。実はこの物語の構造は、以前にみんはな10年前のことを覚えているかい?で紹介した、熊谷雅人ネクラ少女は黒魔法で恋をする』シリーズとほぼ同じ筋立てです。ちなみに、『救世主の命題』の最初の企画が出されたのが2005年頃と思われますから[今井あとがき:1巻260ページ]、時期的にはほぼ同時期の作品でもあります。

 そもそも魔法は、人間が自然に対してきわめて作為的に働きかける行為です。それゆえ、魔法が物語に組み込まれると、人間の意思と願望が具体的に立ち現れます。この点は、『救世主の命題』も『ネクラ少女は黒魔法で恋をする』も同様です。ここに物語の道具立てとしての魔法の一つの役割があります。また、魔法をめぐる物語は、世界設定と物語のテーマが密接に関わりあうようにできる点も、重要な役割と言えるでしょう。

  この点についても、第2巻・第3巻を語るなかで、詳論できると思います。もうしばし、お付き合い下さい。(続きます。)

 

【参考文献】

・今井楓人『救世主の命題』(MF文庫J、2013年6月発売)

熊谷雅人ネクラ少女は黒魔法で恋をする』(MF文庫J、2006年1月発売)

 

(2017年7月11日 一部訂正)

救世主の命題(テーゼ) (MF文庫J)

救世主の命題(テーゼ) (MF文庫J)

 
ネクラ少女は黒魔法で恋をする (MF文庫J)

ネクラ少女は黒魔法で恋をする (MF文庫J)

 

素晴らしきものへの愛を語る ― トネ・コーケン『スーパーカブ』

 こんにちは。こんな零細で長文で小難しいブログでも、続けていれば多少は読んでくれる人がいるのでしょうか、先月に引き続き今月もPV数が100を超えました。とても嬉しく思います。この投稿で記事がようやく10件目になりますが、まずは月刊ペースでじっくり取り組んでゆくつもりです。

 さて、今回はトネ・コーケン『スーパーカブ』(角川スニーカー文庫20320、2017年5月発売)を取り上げます。いわゆる「売れ線」のライトノベルとは方向性がまったく異なり、地味で、丁寧で、そして愛に溢れた作品です。このような作風のライトノベルと重ね合わせることで、小説『スーパーカブ』の位置づけを探ってみようと思います。よろしくお付き合い下さい。

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スニーカー文庫特設サイト - 小説スーパーカブ

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何も持たない一人ぼっちの少女は、スーパーカブを手に入れた。

 小説『スーパーカブ』で取り上げられる「スーパーカブ」とは、ホンダ(本田技研工業)の小型オートバイの名称で、1958年に発売されてから今日まで世界で約1億台が生産されている、世界で一番売れたオートバイのことです。日本の法令では原動機付自転車(原付)あるいは小型自動二輪(原付二種)として扱われ、生活・通勤などの一般向けの用途から、新聞・郵便配達、交番のパトロールバイク、営業・集金・出前などの事業向けの用途など幅広く使われています。

 本作の主人公・小熊は、山梨県の田舎の高校に通う、地味で野暮ったい女子高生。通学用にと中古のスーパーカブを手に入れるところから物語は始まります。父親は亡くなり、母親が失踪してひとりぼっちの小熊は、奨学金を貰いながらつつましく暮らしていましたが、スーパーカブを手に入れることで、ちょっとずつ世界が広がってゆきます

 もう一人の登場人物は、小熊の同級生で同じくスーパーカブ(郵便配達用の「郵政カブ」の払い下げ)に乗る長身で美人の礼子。礼子は父親は政治家、母親は自営業をしていて、山梨の別荘に一人で暮らしているお嬢様として、小熊とは対照的に描かれています。スーパーカブに情熱を傾けている礼子は、カブ乗りの先輩としてしばしば小熊を手助けし、カブへの情熱を語ります。

 

 本作のストーリーは、小熊の視点を中心としながら、スーパーカブをめぐる二人の少女たちの物語として展開してゆきます。ただし、全50話に分かれており、一話あたり5~6頁ほどで「連作掌編」といった印象を受けます[この世はすべて事もなし]。地の文は、登場人物の視線に寄り添いながら三人称で淡々と物語が語られており、主人公による一人称が多い近年の傾向とは異なります。また、登場人物の心情は基本的に行動に即して語られており、悩み苦しむキャラクターの内面を掘り下げるような作品でもありません。情景描写も過剰でなく、山梨県北杜市(旧北巨摩郡武川村)を中心とした南アルプス山麓から甲府盆地にかけての風景や、暑さ涼しさや通り雨などの自然の変化が物語に起伏を与えています。

 したがって、小説『スーパーカブ』は、いわゆるライトノベルっぽい作品というより、文芸っぽい印象を読者に与える作品となっています。もともと、KADOKAWAなどを中心に運営されているカクヨム発祥の小説ですから、ライトノベルの読者や近年の動向とは無関係に書かれているのは当然なのかもしれません。博によるイラストからして、「萌え」のようなものとは距離を置いた、丁寧にものと風景が書き込まれたイラストです。

地味で、丁寧で、愛に溢れた作品たち

(a) 二人の女の子の物語

 以前に『ネクラ少女は黒魔法で恋をする』の紹介をした際、いわゆるライトノベルでは女性主人公の作品は少ないことを指摘しました。統計を取ったことはありませんが、実感としては1割どころか、5%にも満たないかもしれません。さらに言えば、女の子が主人公でヒットした作品はさらに少数です。富士見ファンタジア文庫の『デート・ア・ライブ』で知られる橘公司は、「――そう。女主人公です。基本的に売れづらくなるため担当編集からよほどの理由がない限り書いちゃ駄目と言われている封印指定主人公です。」とあるところで書いているほどです(橘公司はデビュー作の『蒼穹のカルマ』全8巻、富士見ファンタジア文庫、2009~12年が女主人公)[橘2016:309ページ]

 

 そんな数少ない女性主人公の作品のなかでも、小説『スーパーカブ』と同じく二人の女の子に焦点を当てた作品があります。入間人間安達としまむら』(既刊7巻、電撃文庫、2013年~)です。タイトル通り、安達としまむらという二人の女子高生が登場人物で、二人の日常と交流が描かれています。ただし、こちらは安達がしまむらに対して恋愛感情を抱くようになるので、百合ものとしてカテゴライズされることが多いようです。

 『安達としまむら』と比べたとき、小説『スーパーカブ』は、萌えでもなければ百合でもない展開であると言うことができます。ライトノベル的な特徴に乏しい地味さが際立ちます。小熊と礼子の二人はお昼ご飯を一緒に食べる関係ですが、普段から一緒にいるような普通の「友達」ではありません。ですが、スーパーカブを通じてつながっています。

 同じカブ乗り。それはもしかしたら同じクラスでお喋りをする、友達とかいうものよりも濃い関係かもしれない。[トネ:101ページ]

重要なのは、小熊が一般的な意味で他人とコミュニケーションを取るのが苦手な人物であるという点です。それでも趣味を通じてつながることができると、小熊は実感します。この部分をめぐる心理描写は非常に地味なのですが(つまり劇的でない)、この物語のなかで大きな位置を占めている部分です。読者をハラハラさせるような『安達としまむら』の展開に対して、登場人物の変化と魅力を伝えることを通じて小説『スーパーカブ』は展開してゆくのです。

(b) 乗り物への愛着

 小説『スーパーカブ』は、タイトルから分かるようにスーパーカブへの並々ならぬ愛着が伝わります。若者のクルマ離れという話を聞くように、現在の日本では自動車やオートバイは生活の手段であって、熱を入れるのは一部の趣味の者という状況になっています。ですから、小説としてスーパーカブを描くとき、著者には特にオートバイに興味のない人にも興味を持ってもらうようにしなければなりません。

 さて、オートバイが登場する代表的なライトノベルとしては、時雨沢恵一キノの旅』(既刊20巻、電撃文庫、2000年~)が思いつくでしょう。ライトノベルが広まるうえで大きな役割を果たしたこの大ヒットシリーズは、時雨沢恵一の銃とバイクへの愛の上に成り立っています。しかし同時に、この作品のなかでモトラド(注:二輪車。空を飛ばないものだけを指す)はキャラクター化されており、あまり比較対象になりません。

 この他にも、ライトノベルには賀東招二神野オキナ築地俊彦深見真などミリタリーなどの趣味全開の書き手は数多くいますし、やや珍しい例としては豊田巧の鉄道趣味もよく知られています。

 

 こうした趣味は、多くの場合、実際には本物を手に入れることが出来ないか、きわめて困難なもので、憧れをもって眺めるものであるように思います。これに対して、クルマはオートバイは手に入れることは、一定のお金さえ用意すれば難しいものではありません。都市化が進みモノが溢れてしまい、さらに経済格差が広がったなかで、若者のクルマやオートバイへの関心は薄れてしまったのです。

 ここで橋本紡の『空色ヒッチハイカー』(新潮社、2006年;新潮文庫、2009年)について見ておきましょう。橋本紡は、ライトノベル出身ながら文芸に進出した作家ですが、ライトノベルを「現代軽文学」としてより広く捉えようという本ブログの趣旨から言えば、取り上げるに値する対象だと考えます。さて、この作品に登場するの自動車はアメリカの往年の名車キャデラックで、主人公は必ずしもクルマそのものに興味はありません。むしろ、クルマが紡ぐ見知らぬ人々との関係がこの物語の軸となります。

 

 こうした状況のなかで、本作の著者はどのようにスーパーカブを描いているのでしょうか。確かにスーパーカブは小熊に新たな出会いをもたらしてくれますが、彼女自身は見知らぬ人々と交流するタイプの人間ではなりません。むしろ、ポイントは徹底したリアリズムであり、生活に根ざした存在としてスーパーカブを丁寧に取り扱われています。

 箱とカゴをつけたカブで帰路につく小熊。これからは何でもこのカブで運ぶことが出来る。

 自分の体がとても軽く、自由になったという思いは、バッグを背負っていないという理由だけではないだろう。

 帰り道で小熊は、ずっと笑っていた。[トネ:75ページ]

 主人公の小熊という名前も重要です。そもそも、cubとはクマやライオンといった猛獣の子供を指すアメリカ英語で、まさしく「小熊」に外なりません。したがって、小熊という人物は、彼女の存在の次元でスーパーカブと結びついた人物として登場するのです。

 そして、彼女の変化と魅力を伝えることは、スーパーカブを生活に根ざした存在として丁寧に描くことと固く結びついているのです。ここに、小説『スーパーカブ』が、興味のない人でもスーパーカブのことが好きになってしまう仕掛けが含まれていると言えるでしょう。

(c) 素晴らしき日々

 小説『スーパーカブ』を考えるうえで、もう一作品を紹介します。一二三スイ『世界の終わり、素晴らしき日々より』(全3巻、電撃文庫、2012~13年)です。あまり有名な作品ではありませんが、二人の少女がピックアップトラックに乗って旅をする話です。そのあらすじは、「世界の終わり」を迎えて人類と文明が衰退してしまった世界で、棒キャンディーと拳銃を持ち歩く17歳の冷静なコウちゃんと、スケッチブックを持ち歩く12歳のチィが出会い、ともに旅をする物語です。

 「世界の終わり」はしばしばライトノベルに現われる世界設定です。田中ロミオの『人類は衰退しました』(全11巻、ガガガ文庫、2007年5月~2016年9月)や、最近では枯野瑛の『終末なにしてますか?』シリーズ(既刊10巻、角川スニーカー文庫、2014年11月~)などが有名です。こうした「世界の終わり」を扱う作品群では、登場人物の生活が印象的に描かれることが多いように思います。考えてみれば、「世界」の終焉あるいは崩壊とは日常生活とそれを取り巻く社会が崩壊したことに外ならず、生活すなわち生きることが切実な問題として浮かび上がります。それゆえ、『世界の終わり、素晴らしき日々より』は、二人の少女がトラックで旅をしながら、彼女たちの生活のありようが丁寧に描かれることになります。

 そもそも人が生活することは、二つの局面から成り立ちます。一つは居を構えて、ひと所に住むこと。「家族もの」の作品でよく見られます。もう一つは生活の糧を得るために移動すること。こちらは「家族もの」ではネガティヴに描かれることが多いですが、大人になる=自らの力で生活を営むようになるとは、移動することと密接に関わりあっています

 

 小説『スーパーカブ』は、「世界の終わり」でもなんでもありませんが、主人公の小熊は母親が失踪することで家族生活が崩壊し、特に経済的に立ちゆかなくなります。そして、「生きること」がむき出しの問題となって、早く大人にならなければならなくなったとき、移動することが重要な問題として立ち現れるのです。そして、物語のなかにこうした内的構造を持つがゆえに、移動するもの=スーパーカブへの愛着は、生活するもの=人が生きることへの愛情と分かちがたく結びつきます。

 このような小説『スーパーカブ』のテーマは、まず序盤で、小熊とスーパーカブとの出会いと生活の変化として丁寧に描かれます。中盤では、視点が入れ替わり礼子の富士登山のエピソードがありますが、ここでも彼女が生きることとスーパーカブへの愛着との結びつきが深く結びつきます。そして、終盤では小熊は箱根越えを経ることで移動することの内実を経験することになります。つまり、テーマが変奏されながら繰り返す形となっているのです。実に巧みなストーリー構成であると言えるでしょう。

生きることの生々しさ

 この作品の生きることにには、若干の留意点があることにも触れておかねばなりません。小説『スーパーカブ』の世界は、終わってしまった世界ではないのですから、人々の生活は社会に規定されています。母親が失踪したことで経済的に行き詰まった小熊は、奨学金を借りて生活をしています。海外の奨学金は返済不要であるのが普通ですが、日本のほとんどの奨学金は返済をしなければならない、いわばスカラーシップというよりローンとしての性格を持っています。しかし、事実上の孤児となってしまった彼女には返済の道が非常に険しいものがあります。

 第2巻が刊行されるとしたら、恐らく小熊の大学生編となるでしょうが(カクヨム版の方は未見です)、学費と生活費の問題はさらに深刻化するはずです。このような生きるづらい社会に登場人物が取り囲まれていることを忘れるわけにはゆきません。

 

 生きることの生々しさは、物語の最終盤で、やはりスーパーカブを通じて小熊のモノローグによって語られています。やや長いですが、紹介しましょう。

 礼子は小熊より経験もスキルもあるカブ乗りだけど、カブを感傷的に捉えすぎるところがあると思った。機械が進化し、新しく優れたものになることに意固地に背を向けている。

 でも、礼子とカブを通じて知り合った小熊には、彼女が新しいカブから目をそらしつつ、なにやら気になる様子でチラチラ盗み見していることもわかった。もしかしたら礼子はあと数年もすれば、嫌っていた新しいカブに乗るようになるのかもしれない。

 礼子のカブへの接し方は、カブのことを大事に愛でるぬいぐるみじゃなく、毎日気兼ねなく使う道具だと思っている小熊とは違う。きっとそれはカブの数だけある違い。

 その違いは、これから変わっていくのかもしれない。小熊も礼子も。[トネ:280ページ]

ここでは、小熊がカブと生活を深く結びつけて認識していることが改めて確認されています。それとともに、礼子のカブへの思い入れを小熊目線で分析しながら、それ自体も生きることを通じて変化するだろうことを予期しています。この変化は抽象的なものでなく、むしろ生々しいものです。愛を語ることは抽象的なことではなく、その対象の素晴らしさを生々しく語ることであるのだと思わされた、そんな地味で、丁寧で、愛に溢れた素敵な作品が小説『スーパーカブ』なのです。

 

【参考文献】

・トネ・コーケン『スーパーカブ』(角川スニーカー文庫20320、2017年5月発売)

入間人間安達としまむら』(電撃文庫2501、2013年3月発売)

時雨沢恵一キノの旅 -the Beautiful World-』(電撃文庫、2000年3月発売)

橘公司『いつか世界を救うために2―クオリディア・コード―』(富士見ファンタジア文庫2405、2016年1月発売)

橋本紡『空色ヒッチハイカー』(新潮社、2006年;新潮文庫、2009年)

・一二三スイ『世界の終わり、素晴らしき日々より』(電撃文庫、2012年9月発売)

この世の全てはこともなし : スーパーカブ トネ・コーケン 角川スニーカー文庫

 

(2017年7月7日 一部訂正)

スーパーカブ (角川スニーカー文庫)

スーパーカブ (角川スニーカー文庫)

 
安達としまむら (電撃文庫)

安達としまむら (電撃文庫)

 
空色ヒッチハイカー (新潮文庫)

空色ヒッチハイカー (新潮文庫)

 
世界の終わり、素晴らしき日々より (電撃文庫)

世界の終わり、素晴らしき日々より (電撃文庫)