現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

不安定な過去、その不気味な創出 ― 伊藤ヒロ『異世界誕生 2006』

 こんにちは。仕事が忙しい関係で、しばらく更新をさぼっておりました。話題作が色々出ているのに、積ん読がどんどん増えてしまって恥じ入るばかりです。とはいえ、積ん読にしては後悔してしまう作品も数多くあります。今回はそんな作品として、伊藤ヒロ異世界誕生 2006』(講談社ラノベ文庫、2019年9月発売)を紹介します。

 すでにこの作品はウェブ上でも話題を呼んでいますが、なぜこの本がスゴイのか、なかなか言語化しづらい作品でもあるようです。例えば、本作については、「小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ」が掘り下げた考察を行っています。記事は、「『死の清算」と『メタフィクション』を見事に融合させているという点において、この作品はライトノベルの新境地を切り拓いています」と高く評価しています。私自身は、ぞっとするような、背筋の凍りつく思いを感じました。この感情の正体とは一体何なんでしょうか。多くの読者を惹きつけてやまない『異世界誕生 2006』の不思議な魅力に今回は切り込んでいこうと思います。

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講談社ラノベ文庫|既刊案内(シリーズ一覧)

1.伊藤ヒロの不気味な総括的作品

 さて、本作の作者である伊藤ヒロについては、贅言は必要ないでしょう。ゲーム業界出身で、『魔法少女禁止法』(一迅社文庫、2010年7月発売)でライトノベル作家としてデビュー。『女騎士さん、ジャスコ行こうよ』(全4巻、MF文庫J、2014~15年)、『家畜人ヤプー Again』(鉄人者、2017年)など、極めてアクの強い作家として知られています。

 本作『異世界誕生 2006』もまた、近年流行っている「異世界もの」に対するアンチテーゼとして書き始められましたが、書籍化のなかで大幅に手直しを加えて、独自の作品になったと語っています。それは、「ラノベ作家伊藤ヒロの、現段階での総括でもあります」と述べています[伊藤あとがき:1巻294ページ]

 どういったところが伊藤ヒロにとっての総括なのでしょうか。この点についても、作者は明確に語っています。「この本を通して伝えたいのは、人と人との関わり方や、家族のあり方、さらには創作物に対する作者の向き合い方……そういったものです。難しいテーマでしたが、がんばって書きました」と述べています[伊藤あとがき:1巻294ページ]。確かに、本作『異世界誕生 2006』を読めばそうしたテーマは明確に描かれています。

 

 でも、ちょっと待ってください。この本を一読すれば分かるのですが、本作はそんなに一筋縄にいく作品ではありません。例えば、上に引用した本作のテーマですが、近年のさまざまな作品がこの問題を描いていたはずです。人と人との関わり方といえば、大ヒット作である渡航『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』(ガガガ文庫、2011~19年)が、まさにそれ。家族や創作を主題とした作品も数多くあります(注)。さらに言えば、伏見つかさエロマンガ先生』(電撃文庫、2013年~)が、人と人との関わり方+家族のあり方+創作物に対する作者の向き合い方について描いています。

(注)おススメの作品としては、岩田洋季花×華』(全8巻、電撃文庫、2010~13年)と遍柳一『平浦ファミリズム』(ガガガ文庫、2017年)があります。また、本ブログでは五十嵐雄策『幸せ二世帯同居計画』電撃文庫、2016年)や木緒なち『ぼくたちのリメイク』MF文庫J、2017年~)を紹介していますので、そちらもご覧下さい。

 

 もちろん、そうしたことを伊藤ヒロが知らないはずはありません。そうであるならば、もっと深い部分で、このテーマが問われなければなりません。そして、冒頭でも述べたように、少女の目線から語られる、痛々しくて苦しいこの物語を通じて、もっと、ぞっとするような、背筋の凍りつく思いを私は感じました。異世界誕生 2006』には、このテーマを貫いている奥底の不気味な響きが存在する、そのように感じるのです。その不気味な響きについて語る前に、まずこの物語の概要を確認しておきましょう。

 

2.物語のさまざまな読み方

(a) 妹が語る、兄の死とその後の家族の物語

 『異世界誕生 2006』の内容紹介は、公式HPや文庫裏表紙のものがとても優れているので、以下に引用しておきます。

2006年、春。小学六年の嶋田チカは、前年トラックにはねられて死んだ兄・タカシの分まで夕飯を用意する母のフミエにうんざりしていた。たいていのことは我慢できたチカだが、最近始まった母の趣味には心底困っている。フミエはPCをたどたどしく操作し、タカシが遺したプロットを元に小説を書いていた。タカシが異世界に転生し、現世での知識を武器に魔王に立ち向かうファンタジー小説だ。執筆をやめさせたいチカは、兄をはねた元運転手の片山に相談する。しかし片山はフミエの小説に魅了され、チカにある提案をする――。
どことなく空虚な時代、しかし、熱い時代。混沌を極めるネットの海に、愛が、罪が、想いが寄り集まって、“異世界”が産声を上げる。
[1巻裏表紙]

 このように、この物語は嶋田チカという一人の少女の目線で進んでいきます。ストーリーが進むにつれて、母フミエの精神状態がどんどんおかしくなってゆき、妹チカも戸惑いを深めてゆきます。その混乱のなかから、徐々に兄タカシの死の「真相」が明らかになっていき、最後は、兄の死の「真相」をどのように改めて受け止めるか、という形で物語は収束します。

 

(b) 息子を失った母親の痛々しい物語

 この物語の語り手は、亡くなった嶋田タカシの妹チカです。ですが、物語の中心にいるのは母のフミエです。この点は、前島賢が簡潔に整理していますので、引用してみましょう。

……『異世界誕生 2006』は、事故死した長男の「異世界転生後」を書き続ける母親・嶋田フミエの物語だ。
 しかし少なくない読み手が早々に挫折するのではないかと心配になるほど、本書で描かれる光景は痛々しい。息子の死を受け入れずに執筆に没頭するフミエのせいで嶋田家は崩壊寸前。さらに肝心の彼女の小説は稚拙なもので、だというのにタカシを殺してしまった自責の念に駆られる元トラック運転手の片山青年は、まったくの善意で彼女の作品をネットで公開しようとし、当然のごとくそれは匿名の悪意に晒される。正直、評者も読んでいて胃が痛くなった。
 だが、最悪の展開の中にも伏線が差し込まれ、タカシの死の真相が明らかになるにつれ、物語の雰囲気は変わっていく。遺された者たちが、小説を書くこと、読むことで、ひとりの人間の死を受け入れていく、再生の物語の様相を見せ始める。このどん底からの展開が実に鮮やかである。[前島2019:好書好日]

物語の中心に母フミエがいることは、各話のタイトルが「母フミエと、〇〇」となっていることからも確認できます(プロローグとエピローグを除く)。

 この文章で指摘されているのは、息子を失ってしまった母親の痛々しさです。当初は妹チカの目線から物語を追っていた読者は、母親の痛々しさに直面して、物語の中盤では無能感さえ覚えるでしょう。

 

(c) 「不安定な過去」が創出される物語

 このようにストーリー展開を整理していくと、本作の骨格が、息子を失った母親とその娘の物語であることが改めて確認できます。過去は決して取り戻すことができない――そんな深い後悔を胸に抱きながら、取り返しのつかなさを少しずつ受け入れていく。多分、それがこの作品の普通の読み方でしょう。

 しかし、それからはどうしても零れ落ちてしまう物語のピースがいくつも残されています。そこで今度は、さまざまな登場人物による、複数の物語の集まりとして『異世界誕生 2006』を読んでみましょう。

 

 物語が始まる時点では、嶋田家の誰もが、タカシの死を受け止めきれておらず、家族は今にも空中分解しようとしています。嶋田家の人々は、どうしてタカシの死をうまく受け止められなかったのでしょうか。それぞれの事情は物語のなかで語られています。その理由を突き詰めれば、問題はタカシの死そのものよりも、タカシの死に至る過去への認識が揺らいでいる、ということに突き当たります。

 タカシはどのような人物で何をしていたのか、家族はそれぞれにタカシにどのように振る舞っていたのか――家族の認識はバラバラで食い違っています。嶋田家の人々にとって、タカシの死は受け止めることの困難な「不安定な過去」となっているのです。

 

  嶋田家の人々の認識の食い違いは、「人によってものごとは異なって見える」といった一般論では片付けられないほどに深刻です。母フミエは、「不安定な過去」に突き動かされて不気味な小説を書いています。認識の不一致に気付いている父カズヒロも、「不安定な過去」をどうにかしようとせず逃避しています。さらに言えば、タカシを轢き殺してしまった片山青年も、死に対する罰や償いに執着して母フミエやや妹チカの心をかき乱します。この物語の登場人物は、自らの手で「不安定な過去」を創出しているわけです。

 ストーリーが展開するにつれて、嶋田家を取り巻く登場人物の行動が、過去の認識の不一致をさらに増幅させてしまいます。その結果、フミエは精神不安定な状態に陥ります。次々と新しい事実が判明しながらも、「不安定な過去」が拡大再生産されていくのです。

 

 物語の終盤で、「不安定な過去」を肯定する動きがようやく現われます。ターニングポイントは、妹チカが過去についての認識の食い違いに気付いて、フミエに対して小説を書くことを初めて認めたところです(第15話)。その後、出版社の編集者、タカシの過去を知るネット上の人物が登場して、「不安定な過去」が創出した小説を応援するようになります(第16話)。とりわけ、悪罵を続けていたネット民が過去のタカシを肯定したことで、ようやく「不安定な過去」は安定性を獲得したわけです。

 しかし、よく読んでみると、安定性を獲得したのは母フミエと妹チカだけであることに気付きます。チカが小説を書くことを認めるのに先立って父カズヒロは見捨てられ(第15話)、母と妹の問題が解決したことで片山青年は罪を償う場所から去り、自身の感情を整理できないまま果てしない別世界へと旅立つように姿を消します(第17話)。「不安定な過去」はすべて決着がついたわけではなかったのです。

 

3.メタフィクションが紡ぐ過去の過去

 ここまで見てきたように、『異世界誕生 2006』は、人と人との関係や、家族のあり方をめぐる「不安定な過去」を解決させきっていません。それどころか、この作品はさらにもう一つの「不安定な過去」が物語を覆っています。このことは作品の構造から確認することができます。

 

(a) 2006年という過去を意識させる仕掛け

 この作品は、現在から2006年の過去を描いた物語です。ケータイ小説『恋空』のヒット[同前56ページ]など、2000年代半ばの雰囲気が具体的に描かれており、このことは様々な作品紹介が肯定的に取り上げています。

タイトルのとおり本書の舞台は2006年だ。ライトノベルにおいてもファンタジーの流行は過去のものになっていた時代の空気が巧みに映し出されている。現在のウェブ小説発の「異世界転生もの」ブームなど想像もできなかった黎明期の書き手は、どんな気持ちで作品を投稿していたのだろう。[前島2019:好書好日]

なお、2006年という時代設定も絶妙。今や巨大なネット小説の投稿サイトとなった「小説家になろう」が開設されたのは2004年である。しかし当時はまだ、ネット小説の主流は個人のHPだと記憶している。さらに、2チャンネルへの晒しや炎上なども、時代の空気を感じた。当時のネットの状況を知る人なら、懐かしく読むことができるだろう。[細谷2009:リアルサウンドブック]

 

 しかし、私にはどうにも違和感を覚えます。郊外型のジャスコや携帯電話の普及[伊藤:1巻14ページ]、少し時代遅れのフロッピーディスク[同前28ページ]、今は変わってしまったタバコの銘柄[同前51ページ]などで説明的な文章が意図的に挿入されていて、2019年という現在から2006年という過去を描いていることを読者に強制的に意識させています

 この2006年という過去は、作者である伊藤ヒロが分析し解釈した過去に他なりません。例えば、「俗に、ゼロ年代と呼ばれる一〇年間。/なにもかもが、どことなく空虚な時代だった。ある学者はこの一〇年間を、『日本史上もっとも文化的にからっぽな年代』と呼んだ[伊藤:1巻64ページ]という表現は、作者の分析を前面にしています。ここまでに説明的なのは、明らかに作者が「わざと」やっているからです。

 

(b) メタフィクションが立ち上げる「異世界」としての過去

 なぜ、作者は2019年という現在から2006年という過去を描いていることを「わざと」読者に意識させているのでしょうか。それは、異世界物」が流行っている現在から、ゼロ年代ファンタジー小説が創作されている状況を描くというメタフィクションを作者が強調したいからです。

 本作が「メタフィクション」であることについては、「小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ」が掘り下げて説明しています。

異世界誕生2006』は、現実世界を舞台としています。そして舞台となった年は、2006年。

2010年代における現在の流行・興隆の様子を、ゼロ年代異世界ファンタジーを執筆する書き手の周辺を舞台としてフィードバックさせることによって、メタ的な視点から現在の異世界ファンタジーを――ときにスパイスを効かせつつ――描写・分析する様は見事です。

(……)

異世界誕生2006』において、死んだ息子が遺したプロットをもとに小説を書くようになった母親は、精神的不安定さから、現実と虚構が、精神世界と作品世界がないまぜになってゆきます。書き手の現実が小説に織り込まれてゆく様にはゾッとせずにはいられません。メタフィクションならではの構造です。

伊藤ヒロ『異世界誕生2006』――ライトノベルの新境地を拓いた作品を読みませんか? - 小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ

 

 ところが、このメタフィクションとしての性格が強調されることで、かえってこの作品の描く過去に「わざとらしさ」が刻み込まれてしまいます。この「わざとらしさ」は、読者が物語に入り込むことを意図的に妨げ、読者は物語との断絶を常に感じながら作品を読み進めることになります。こうして、現在と2006年の断絶が不自然に強調され、「異世界」としての過去が不安定な姿で立ち上がります。この作品それ自体に「不安定な過去」が覆いかぶさっているのを読者は発見するのです。

 

(c) 過去の過去を覗き込む

 つまり、本作は、現在から2006年という「不安定な過去」を語り、そのなかでタカシの死という「不安定な過去」を語っているという、底の抜けた構造を持っているわけです。この底の抜けたような構造から物語を改めて読んだとき、読者はぞっとするような、背筋の凍りつく思いを味わうことになります。

 

 物語の中盤での「不安定な過去」がもたらした母フミエの行動は、単にそれが痛ましいだけでなく、過去の過去ゆえを覗き込むがゆえに読者に絶望的なまでの不能感を与えます。読者は物語との断絶を常に感じながら読むゆえに、ストーリー展開の取り返しのつかなさを覗き込むことしか出来ないのです。

  物語の終盤では、一度は収束したはずの「不安定な過去」さえも、もう一度揺らぎだします。母フミエと妹チカたちは、タカシの死とそれに至る過去を、何かしら都合の良い解釈で「清算してしまった」だけかもしれないのです。その証拠に、エピローグでは母フミエによる小説の創作そのものを揺るがす謎の語りが挿入されています。

 そうなると、本作の三人称文体もまた不気味に思えてきます。そこには、《作者の語り > 妹チカの目線 > 母フミエの不安定な行動》が織り込まれていて、常に揺らぎを伴っています。さらに、《フミエの書く物語》と《エピローグの謎の語り》が加わります。

 

 このようにして、「不安定な過去」が繰り返し創出されてくるという不気味な世界を読者は覗きこむことになります。「不安定な過去」は何重にも響き渡り、鳴り止むことは決してありません。これこそが、私が『異世界誕生 2006』で覚えた、ぞっとするような、背筋の凍りつく思いではないかと思うのです。

 

おわりに

 ここまで、伊藤ヒロ異世界誕生 2006」を取り上げて、メタフィクションが紡ぐ過去とその過去の物語を通じて、「不安定な過去」が繰り返し創出されているという作品であることを論じました。これは読み込みすぎだと思う方も多いかもしれませんが、私が感じた、ぞっとするような、背筋の凍りつく思いを与える不気味な響きについて、自分なりに考察した結果です。

 もう一つだけ付け加えるとすれば、「異世界もの」や「時間転移・やり直しもの」には、一定の空間に主人公/語り手が介入するという、「不安定な過去」の類を創出する効果がしばしば埋め込まれているように思います。(例えば、木緒なち『ぼくたちのリメイク』もその一例かもしれません。)刊行が予告されている第2巻『異世界誕生 2007』で、さらに何が語られるのか。新たに創出されるものに期待する次第です。

 お付き合い下さり、ありがとうございました。

 

【参考文献】

伊藤ヒロ異世界誕生 2006』(講談社ラノベ文庫、2019年9月発売)

・細谷正充「異世界転生へのアンチテーゼ小説? 伊藤ヒロ『異世界誕生 2006』が投げかけるもの」(リアルサウンド ブック、2019年10月14日)

前島賢「異世界転生もの」誕生の瞬間に思いを馳せたくなるラノベ 伊藤ヒロ「異世界誕生 2006」」(『朝日新聞』2019年9月21日付、好書好日)

・「伊藤ヒロ『異世界誕生2006』――ライトノベルの新境地を拓いた作品を読みませんか?」(小説・ラノベ・アニメ・漫画の感想・おすすめブログ、2019年9月12日)

 

(2019年10月26日 一部加筆。また、ツイッター上で感想を下さった@amareviwer氏に感謝申し上げます。)

 

 

差別と抑圧の世界をぶっとばせ ― 輝井永澄『空手バカ異世界』

 いつもお読み下さりありがとうございます。読みたいライトノベルがあっても、なかなか時間が取れずに積ん読が増え続けています。心の負債を溜めないためにも、買ったらすぐに読む、そんな勢いが大切だと痛感する毎日です。

 さて、勢いよく読んだということでは、今回紹介する輝井永澄『空手バカ異世界』(富士見ファンタジア文庫2823、2019年2月発売)は実に強烈でした。もう頭がおかしくなるような作品です(これは褒め言葉)。小説サイト「カクヨム」に2017年から連載されている、勢いに溢れた迷作について、勢いに任せて語ってみたいと思います。

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WEB発小説特集 | 富士見書房 | 空手バカ異世界

空手バカ異世界 ~物理で異世界ケンカ旅~(輝井永澄) - カクヨム

1.空手+異世界+ギャグの迷宮

(a) 格闘マンガへの自己言及的構造

 まずは、本作『空手バカ異世界』の基本的な説明から。タイトルは梶原一騎・原作の空手バカ一代』が元ネタ。こちらは『週刊少年マガジン』に1971~77年に連載されたもので、伝説の空手家にして極真空手の祖である大山倍達の生涯を脚色しまくった、これまた伝説的作品です。これで空手の道に入った人も多いという、マンガが現実のスポーツや武道に影響を与えた初期の例の一つです。ちなみに、つのだじろうの絵よりも、影丸穣也の絵の方が個人的には好みです。

 『空手バカ異世界』は、作者の輝井永澄いわく作家仲間とのSNS上での冗談のやりとりから生まれた、文字通りのネタ作品であったと言います[輝井2019:あとがきpp. 301- 302]。そのため、元から空手+異世界+ギャグという基本構造は定まっていたことになります。ここをどう料理するかが、作家の腕の見せ所になるわけですね。

 

 ところで、格闘マンガやスポ根マンガを読んでいると、真面目に格闘・スポーツをやっているはずなのに、どうしてかギャク臭くなってしまう作品って多くないですか? 元ネタの『空手バカ一代』だと明らかに話を盛りすぎなパートがありますし、森川ジョージの『はじめの一歩』や板垣恵介の『バキ』なんかも、どうにもおかしいシーンが出てきます。恐らくその原因は、登場キャラクターが超人的な動きを見せたり、常識ばなれした特殊な世界を描くことによる、物語世界と読者のギャップなのだと思います。

 こうしたギャップを逆手に取ってネタにするとギャグになります。マンガの場合ですと、島本和彦の『炎の転校生』や『逆境ナイン』がスポ根をギャグ化していますね。ライトノベルでは格闘・スポーツものはそれほど多くないため、やや手薄なジャンルではなかったかと思います(注)。とにかく要するに、『空手バカ異世界』には格闘・スポーツマンガあるあるを更にネタにしたような、自己言及的な構造を感じるということです。

(注)筆者はこの手のジャンルは詳しくないので、ライトノベルの格闘・スポーツ+ギャグもの(異世界に限らない)の作品を教えて下さい。m(_ _)m

 

(b) 「異世界もの」への自己言及的構造

 異世界+ギャグという組み合わせにも注目する必要があるでしょう。この組み合わせは新しいものではなく、神坂一スレイヤーズ』シリーズが今なお代表作です。(ちなみに、スペースオペラに広げると、高千穂遙『ダーティーペア』、吉岡平無責任艦長タイラー』、神坂一ロスト・ユニバース』、庄司卓それゆけ! 宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』など結構あるジャンルです。)とはいえ、『空手バカ異世界』は流行に敏感なカクヨム発だけあって、ちゃんと最近の「なろう系」と呼ばれるような「異世界転生・転移もの」の動向を押さえています。

 例えば、物語の始まりはトラックとぶつかる→天国で神と出会って転生について説明を受けるという定番展開をギャグでずらしています。暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を』(既刊15巻ほか、角川スニーカー文庫、2013年~)、冬原パトラ『異世界はスマートフォンとともに』(既刊15巻、HJブックス、2015年~)などが似たパターンです。

 主人公のチート的能力をギャグとして描くのも定番の面白さがあります。これは物語世界と読者のギャップに対して、地の文や一部の登場キャラクターがツッコミを入れるという形式を取ります。近刊だとつちせ八十八『スコップ無双』(MF文庫J、2019年1月発売)とかもそうですね。

 

 また、最近の「異世界もの」の動向と関わって、『空手バカ異世界』ではサブジャンルとしての「復讐もの」が物語のバックグラウンドに置かれている点が見逃せません(「復讐もの」については、「2018年の回顧と雑感2-(b) もご覧下さい。)。ただし、復讐を狙っているのは主人公ではなく、異世界から転移させられた元勇者の側です。すなわち、闇堕ちしてしまった元勇者の復讐を阻止することが、ストーリー展開の基軸となっています。むしろ、本作はギャグなのですから、「復讐もの」を空手によって粉砕しちゃうという展開なのですけれども。

 つまり、本作『空手バカ異世界』は、「異世界もの」(あるいは「なろう系」)への自己言及的な構造も持っているということなのです。ギャグには自己言及が付きものですが、格闘ものと異世界ものへの二重の自己言及という迷宮のような構造が存在することで、本作が成り立っているというわけです。いや~、すごい(褒め言葉)。

2.〈差別と抑圧の世界〉をめぐって

(a) 世界設定と物語の構造

 さて、上に論じたように『空手バカ異世界』が「復讐もの」をバックグラウンドに取り入れた結果、重要なテーマが浮上することとなります。それが世界設定を覆う〈差別と抑圧の世界〉の問題です。

 そもそも「復讐もの」において登場キャラクターが復讐を行う理由は、彼らに襲いかかる圧倒的な理不尽であり、それは多くの場合、物語世界における政治・経済構造や社会・文化状況といったものに起因しています。ファンタジー世界の定番である中世的世界とは、貴族あれば賤民ありの前近代的な身分制社会です。騎士や武士は支配者の証として刀剣を所持して直接的暴力を下々の者に見せつけていますし、庶民だって生き延びるのに必死な自力救済の社会です。職業・民族・男女による差別だって当たり前。それが、ファンタジーという世界設定が抱える〈差別と抑圧の世界〉です。いわゆる「ダーク・ファンタジー」において前景化する世界です。

 『空手バカ異世界』では、「復讐もの」をバックグラウンドに取り込んだ世界設定を持ち、そこに主人公が空手で活躍するというストーリー展開が組み合わさります。しかも、主人公のキャラクターが非常に明快です。主人公である「おれ」はスポーツとしての空手を否定して実戦的な空手を追求してきた人物です。そのため、直接的暴力を抑制している現代世界に対して違和感を持ち、「ただひたすらに武の道を極めたい」と願っています。こうして、世界設定・ストーリー展開・キャラクターが上手く組み合わさって、もの凄いスピードでギャグが繰り広げられるのです。(他方で、主人公以外のキャラクターが薄いところがあり、その点が本作にとってマイナスです。)

 

(b) 主人公の目指す道は?

 もう少し、世界設定とキャラクターの関連を掘り下げてみましょう。「武の道」を極めようとする主人公が目指すのは、「暴力」が肯定される世界なのでしょうか。答えはノーです。彼は差別と抑圧に満ちた異世界に対しても違和感を抱いていて、主人公を差別・抑圧しようとする登場キャラクターをやり込めるなどしてします。一方で直接的暴力を抑制した現代世界に、他方で直接的暴力が認められている異世界にも、主人公は違和感を持っているとすれば、これは実にハードな展開にようにも思えます。けれども、このハードさを乗り越える原動力もまた空手(とギャグ)です。 

 物語の終盤で主人公が闘うのは猪鬼同胞団〈オーク・マフィア〉です。主人公は彼らを打ち破って、彼らを空手で結ばれた仲間にすることに成功しました。国家の権力者や社会の有力者ではない主人公たちにとって、「同胞」の力ほど頼もしいものはありません。主人公が物語の先に目指すのは、「暴力」に満ちた異世界でもなければ、「暴力」を歪に抑制する現代世界でもない、「暴力」が社会と調和した同胞たちの世界ではないだろうか――。そんなことを本作は夢想させてくれました。

  そんな世界はありえない? リアルじゃないって? ほらほら、〈差別と抑圧の世界〉をぶっとばっせ!って。『空手バカ異世界』は、ギャクですからね。

おわりに

 ツイッターやネットの反応を見ていると、『空手バカ異世界』は、作者である輝井永澄の空手愛や、ベタベタのギャグの側面から話題になっていましたが、本ブログで物語の構造の面からスポットライトを当ててみました。いかがでしたでしょうか。

 

 この記事を書きながら、「カクヨム」発の商業作品の意味について考えさせられました。先日書いた記事に対して、市永剣太さま(@yam1801 - カクヨム)から寄せられたコメントがきっかけです。「カクヨム」といった小説投稿サイトが収益を上げていながら、それが書き手である投稿者に還元されないという問題点に関することだったと思います。

 確かに海外では書き手に収益が行くものもありますし、「note」などのように閲覧者が書き手にお金を支払うサイトもあり、商業出版社が優位に立つネット商売がいつまで持つかは先行き不明です。もちろん、書き手の方だって今のままだと消えてしまう人も多いでしょう。私自身、整理できていないことも多いので、今後の課題とさせて下さい。

 それでは、失礼します。

 

【参考文献】

・輝井永澄『空手バカ異世界』(富士見ファンタジア文庫2823、2019年2月発売)

 

(2019年3月26日 一部修正)

空手バカ異世界 (ファンタジア文庫)

空手バカ異世界 (ファンタジア文庫)

 

 

2018年の回顧と雑感

 2019年になりました。昨年5月以来、ブログの更新が滞ってしまいました。新しい仕事が忙しくて、筆を執る時間が取れなかったためです。すっかり機会を逸してしまった作品が多くて内心忸怩たる思いです。せめて2018年の回顧と最近の雑感などを書いておこうと思います。

1.野村美月先生について

 去年、何よりも驚くとともに嬉しかったのが、野村美月先生の次のツイートでした。

野村美月 @Haruno_Soraha
別名義で書かせていただいたご本☺️🙏 先日、編集さんと過去作のお話をしていて、その流れで検索をした際、それまで見ていなかった感想を目にして胸がいっぱいになりました。今さらですがありがとうございます。こちらの3巻が自分でもすごく好きで、表紙のこの子を書けて良かったなと思っています。 pic.twitter.com/Efu07NmO9i
2018/08/17 22:38

https://twitter.com/Haruno_Soraha/status/1030448909796044801

ここで紹介されているのが、今井楓人の『救世主の命題〈テーゼ〉』で、野村美月=今井楓人が発覚してツイッターライトノベル界隈で話題になりました。近年でこの作品を紹介していて、なおかつ検索の上位に引っかかるのは本ブログだけなので、私の自意識過剰でなければ(←ココ大事!)、野村先生がこのブログをご覧になったということです。

 野村美月先生は、私にとって本当に大好きな作家さんです。一作一作語りたいことだらけです。特に3回目の「終わってしまった物語を想像する」の、〈物語を想像する〉という発想は、『“文学少女”』シリーズへのリスペクトです。まさか、その作品を書いたのが野村先生だったとは!

だから、僕は世界を救おう ― 今井楓人『救世主の命題』(その一)

地球が救われた未来で、僕らはまた恋をするから ― 『救世主の命題』(その二)

終わってしまった物語を想像する ― 『救世主の命題』(その三)

 

 ライトノベルは、作者と読者の距離が近いところが一つの特徴だと思うのですが、こうした近さが自分自身に跳ね返ってくるのは、とても驚くとともに嬉しいことでした。これ以外にも、大澤めぐみ先生、肥前文俊先生、高橋徹先生がツイッターで本ブログに言及していただきましたし、他にも多くの方に言及していただきました。こんな零細ブログなんぞ、誰も見ていないだろうと自己満足のつもりでやっていたのが、こんな風に扱ってもらえることが新鮮でした。この場をお借りして感謝申し上げます

2.2018年のライトノベル読書雑感

(a) 異世界ファンタジーにおける「歴史」

 2018年は引き続きウェブ小説を震源とした異世界ファンタジーの刊行が続いていました。「なろう」原作も含めていくつか読みましたが、多くの興味深い作品に出会いました。澪亜『公爵令嬢の嗜み』、漂月『人狼への転生、魔法の副官』、どぜう丸『現実主義者の王国再建記』などの作品は、魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」(2ちゃんねる、2009年、『魔王勇者』)以来の政治制度・経済システム・農業技術などに現代の知識で介入してゆく作品です。

 これらの特徴は、異世界への転生や転移によって主人公が「チート」的な戦闘能力を獲得するのではなく、主人公の戦闘能力と現代知識に直接の関連性がないという点でしょう。ストーリー展開は、社会改革と政略が軸となります。

 

 こうした作品の難点は、ファンタジー世界に現代的な政治制度・経済システム・農業技術が通用し定着するか、という点にあると思います。どれほど優れた知識や技術も、それに相応しい社会経済構造や政治・文化状況がなければ活用することができないということです。この辺りを徹底的に考察すると、ファンタジーというよりはSFっぽい作品になってしまいます。その辺のバランスを考えて作られた作品としては、肥前文俊『青雲を駆ける』が挙げられます。実際に、中世世界を舞台とするSF作品には、たくさんの良作が存在しています。

 これに対して、ファンタジー側からの応答とは何でしょうか。2点指摘しましょう。『公爵令嬢の嗜み』の場合は近世から近代への「近代化」、『人狼への転生、魔法の副官』や『現実主義者の王国再建記』の場合は中世から近世への「近世化」を読み取ることができます。つまり、歴史の発展の一環として主人公の活躍が描かれるということです。これが第1点目。

 加えて重要なのが、主人公が所属する文明世界とは異なる文明世界(たとえば、海や山をこえた先の世界)との交流が描かれていることも注目できます。両者の文化・風習の相違と関係づくりが、物語に取り入れられています。つまり、歴史の交流の一環として主人公の活躍が描かれるということです。これが第2点目になります。

 

 こうした物語が抱える課題も、これらの作品は共有しています。歴史の発展や交流のなかで、取り残されたり、生きる業を失ってしまう民衆への視線が欠けがちだという課題です。主人公たちの庶民性によって補完されてはいても、やはり主人公たちは支配者です。〈主人公が支配者であるということ〉をどう考えるのか。この問いへの回答がある作品を個人的には期待しています。

公爵令嬢の嗜み (カドカワBOOKS)

公爵令嬢の嗜み (カドカワBOOKS)

 
人狼への転生、魔王の副官 1 魔都の誕生 (アース・スターノベル)

人狼への転生、魔王の副官 1 魔都の誕生 (アース・スターノベル)

 
現実主義勇者の王国再建記 1 (オーバーラップ文庫)

現実主義勇者の王国再建記 1 (オーバーラップ文庫)

 

 

(b) 別離と死をめぐる苦しみ

 「別離と死」をめぐる苦しみに焦点が当てられたいくつかの作品にも出会いました。「なろう」系における復讐ものは、一つのジャンルとして確立しているように見受けられます。その代表作の一つが、木塚ネロ『二度目の勇者は復讐の道を嗤い歩む』です。

 ところで、物語の類型としての復讐譚は、古今東西に見られる一大ジャンルですが、日本では曽我兄弟や赤穂浪士のような「仇討ち」ものが伝統としてあります。ところが、日本の「仇討ち」ものは、復讐にまつわるバックグラウンド・ストーリーや、復讐とは異なる倫理・心情との絡みが重視される傾向があるように思います。つまり、純粋な「復讐」とは異なる要素が盛り込まれているのではないか、ということです。

 これに対して、『二度目の勇者は復讐の道を嗤い歩む』の主人公は、転移前の現代日本の倫理観や心情とも、転移後のファンタジー世界の論理とも切り離された〈復讐への情念〉を持ち続けます。「復讐は空しい」といった忠告に対して、まっこうから反論します。この情念を支えるものこそ、別離と死の繰り返される苦しみ記憶なのです。

 

 異世界戦記において、別離と死を繰り返し体験する作品が出てきました。師走トオル『ファイフステル・サーガ』の主人公は、未来予知という形で別離と死を繰り返し体験し、未来を変える行動によって活路を見出そうとします。

 未来予知という道具立ては、それほど珍しいものではありませんが、別離と死を繰り返し体験するという苦しみは、主人公を差し迫った危機から救うとともに、主人公の精神に影響を与えざるをえません。発狂してしまった方が楽なきわめて過酷な状況を、作者は主人公に与えました。この残酷な物語ゆえに、読者は手を止めることができず、息をのんでページをめくり続けるのです。

 

 発狂してしまった方が楽なのか。この問いへの残酷な「ノー」を突き付けた作品も存在しています。全3巻で完結した内堀優一『あんたなんかと付き合えるわけないじゃん!ムリ!ムリ!大好き!』の場合、主人公はヒロインの別離と死を忘却し、ヒロインの幽霊あるいは幻覚が見えてしまっています。ですが、「死んだはずのヒロインが生きている」という主人公の主張は、周りから見れば彼がおかしくなったようにしか見えません。

 物語が進むとともに、主人公と周囲のズレが拡大し、主人公は親友と仲違いしたうえ、異常者としてイジメを受けることになります。別離と死を忘却することは何等の解決にはならず、物語の後半は主人公がヒロインとの別離と死をどのように受け止めるかが焦点となります。そしてそれは、ヒロインの幻覚を主人公が失ってもなお続くのです。揺れ動く主人公の悲痛な叫びが、読者を繰り返し揺さぶる作品でした。

 

(c) 豊作であった現代を舞台とした作品

 2018年は現代を舞台とした作品がとても豊作であったと感じます。作品を挙げだすとキリがないのですが、若干整理してみたいと思います。

 まず、ミステリ系の作品群です。定番のジャンルだけに、さまざまな味付けがなされていて、どれも大いに楽しめました。例えば、正統派はやはり酒井田寛太郎『ジャナ研の憂鬱な事件簿』で、後ろ暗い過去を抱えた主人公が、さまざまな謎を解くなかでヒロインとの関係を紡いでいくという定番にして王道の展開です。かめのまぶた『エートスの窓から見上げる空』は、おじいちゃん教師と女子高生という異色の組み合わせ。「妖怪もの」の要素を加えた太田紫織『昨日の僕が僕を殺す』なんかもありました。

 なかでも、三田千恵『彼女のL 嘘つきたちの攻防戦』は出色です。ストーリー展開の意外性、嘘を見破ることができる主人公の能力という道具立て、情景描写と登場人物の関係性の変化のどれもが秀逸。そして、これらが見事にかみ合った作品であったと思います。

 

 個人的に関心を惹いたのが、才能のあるヒロインとの関係性に悩む作品群が目立ったことです。樹戸英斗『優雅な歌声が最高の復讐である』は、歌えなくなった世界的な歌姫と、怪我が原因でサッカーをやめた主人公をめぐるお話です。また、あまさきみりと『キミの忘れ方を教えて』もまた、有名女性シンガーと、音楽を諦めた主人公との関係修復をめぐる物語です。いずれも、主人公が過去に挫折を抱えた人物であり、彼がどのようにして青春を取り戻すかが、ストーリー展開の軸となっています。

 こうした作品は、ヒロインの魅力がカギになってくるように思います。桐山なると『オミサワさんは次元がちがう』は、その点で大変良い作品でした。当初は孤独なヒロインの心を開いてゆくのかと思いきや、彼女が見て感じている「世界」そのものへと分け入っていくストーリー展開。読み進めるほどに、ヒロインの一挙手一投足がとても愛おしく感じます。ごんごんじー。

 

 これ以外にも、園生凪『公園で高校生達が遊ぶだけ』、しめさば『ひげを剃る。そして、女子高生を拾う。』、岬鷺宮『三角の距離は限りないゼロ』などの作品がありますが、この辺りは機会を設けていずれ。

彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~ (ファミ通文庫)

彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~ (ファミ通文庫)

 
オミサワさんは次元がちがう (ファミ通文庫)

オミサワさんは次元がちがう (ファミ通文庫)

 

 

3.ライトノベルが手に入りにくくなった

 さて、ツイッターを始めて気付いたのが、書店関係者のアカウントがあって、かなり興味深いことを呟いていることでした。ライトノベルの流通という問題は、以前から関心を持っていたのですが、書店関係者のツイートや山中智省先生の『「ドラゴンマガジン」創刊物語』のように、こうした問題について理解を深める機会が得られてのが、私にとっての2018年の収穫でした。

 2018年になって個人的に困ったことが、ライトノベルが手に入りにくかったことです。私は休みの日に月1~2回アニメショップに立ち寄ってまとめ買いをし、足りない分を仕事の帰りに補充して買っています。特に現在、大量の仕事を抱えているために、休日はとても貴重。やっとの休みの日に、わくわくしながらアニメイト某店に立ち寄るとお目当ての作品が棚に並んでいないのです(涙)。

 

 2018年はこの売り切れに何度も遭いました。発売からだいたい2週間くらいの作品が売り切れになっているのです。アニメショップを利用して十ン年にもなりますが、最近つとに目立ちます。ライトノベルの売り上げは頭打ちですから、要するに、ライトノベルの流通量が減っているのでしょう

 既存レーベルでは、すでに月あたりの刊行点数を絞っているレーベルもあると聞きます。元来ライトノベルは、既存の流通システムへの依存度が高い媒体であるように思います。私たち買い手=読者にとっても、ライトノベルは岐路に立たされているのではないでしょうか

 あまり風呂敷を広げすぎると筆者の能力の範囲を超えるのでは、今回はこれくらいで。お付き合いいただきありがとうございました。

 

(2019年1月7日 一部修正)

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