現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

素晴らしきものへの愛を語る ― トネ・コーケン『スーパーカブ』

 こんにちは。こんな零細で長文で小難しいブログでも、続けていれば多少は読んでくれる人がいるのでしょうか、先月に引き続き今月もPV数が100を超えました。とても嬉しく思います。この投稿で記事がようやく10件目になりますが、まずは月刊ペースでじっくり取り組んでゆくつもりです。

 さて、今回はトネ・コーケン『スーパーカブ』(角川スニーカー文庫20320、2017年5月発売)を取り上げます。いわゆる「売れ線」のライトノベルとは方向性がまったく異なり、地味で、丁寧で、そして愛に溢れた作品です。このような作風のライトノベルと重ね合わせることで、小説『スーパーカブ』の位置づけを探ってみようと思います。よろしくお付き合い下さい。

―目次―

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1.何も持たない一人ぼっちの少女は、スーパーカブを手に入れた。

 小説『スーパーカブ』で取り上げられる「スーパーカブ」とは、ホンダ(本田技研工業)の小型オートバイの名称で、1958年に発売されてから今日まで世界で約1億台が生産されている、世界で一番売れたオートバイのことです。日本の法令では原動機付自転車(原付)あるいは小型自動二輪(原付二種)として扱われ、生活・通勤などの一般向けの用途から、新聞・郵便配達、交番のパトロールバイク、営業・集金・出前などの事業向けの用途など幅広く使われています。

 本作の主人公・小熊は、山梨県の田舎の高校に通う、地味で野暮ったい女子高生。通学用にと中古のスーパーカブを手に入れるところから物語は始まります。父親は亡くなり、母親が失踪してひとりぼっちの小熊は、奨学金を貰いながらつつましく暮らしていましたが、スーパーカブを手に入れることで、ちょっとずつ世界が広がってゆきます

 もう一人の登場人物は、小熊の同級生で同じくスーパーカブ(郵便配達用の「郵政カブ」の払い下げ)に乗る長身で美人の礼子。礼子は父親は政治家、母親は自営業をしていて、山梨の別荘に一人で暮らしているお嬢様として、小熊とは対照的に描かれています。スーパーカブに情熱を傾けている礼子は、カブ乗りの先輩としてしばしば小熊を手助けし、カブへの情熱を語ります。

 

 本作のストーリーは、小熊の視点を中心としながら、スーパーカブをめぐる二人の少女たちの物語として展開してゆきます。ただし、全50話に分かれており、一話あたり5~6頁ほどで「連作掌編」といった印象を受けます[この世はすべて事もなし]。地の文は、登場人物の視線に寄り添いながら三人称で淡々と物語が語られており、主人公による一人称が多い近年の傾向とは異なります。また、登場人物の心情は基本的に行動に即して語られており、悩み苦しむキャラクターの内面を掘り下げるような作品でもありません。情景描写も過剰でなく、山梨県北杜市(旧北巨摩郡武川村)を中心とした南アルプス山麓から甲府盆地にかけての風景や、暑さ涼しさや通り雨などの自然の変化が物語に起伏を与えています。

 したがって、小説『スーパーカブ』は、いわゆるライトノベルっぽい作品というより、文芸っぽい印象を読者に与える作品となっています。もともと、KADOKAWAなどを中心に運営されているカクヨム発祥の小説ですから、ライトノベルの読者や近年の動向とは無関係に書かれているのは当然なのかもしれません。博によるイラストからして、「萌え」のようなものとは距離を置いた、丁寧にものと風景が書き込まれたイラストです。

 

2.地味で、丁寧で、愛に溢れた作品たち

(a) 二人の女の子の物語

 以前に『ネクラ少女は黒魔法で恋をする』の紹介をした際、いわゆるライトノベルでは女性主人公の作品は少ないことを指摘しました。統計を取ったことはありませんが、実感としては1割どころか、5%にも満たないかもしれません。さらに言えば、女の子が主人公でヒットした作品はさらに少数です。富士見ファンタジア文庫の『デート・ア・ライブ』で知られる橘公司は、「――そう。女主人公です。基本的に売れづらくなるため担当編集からよほどの理由がない限り書いちゃ駄目と言われている封印指定主人公です。」とあるところで書いているほどです(橘公司はデビュー作の『蒼穹のカルマ』全8巻、富士見ファンタジア文庫、2009~12年が女主人公)[橘2016:309ページ]

 

 そんな数少ない女性主人公の作品のなかでも、小説『スーパーカブ』と同じく二人の女の子に焦点を当てた作品があります。入間人間安達としまむら』(既刊7巻、電撃文庫、2013年~)です。タイトル通り、安達としまむらという二人の女子高生が登場人物で、二人の日常と交流が描かれています。ただし、こちらは安達がしまむらに対して恋愛感情を抱くようになるので、百合ものとしてカテゴライズされることが多いようです。

 『安達としまむら』と比べたとき、小説『スーパーカブ』は、萌えでもなければ百合でもない展開であると言うことができます。ライトノベル的な特徴に乏しい地味さが際立ちます。小熊と礼子の二人はお昼ご飯を一緒に食べる関係ですが、普段から一緒にいるような普通の「友達」ではありません。ですが、スーパーカブを通じてつながっています。

 同じカブ乗り。それはもしかしたら同じクラスでお喋りをする、友達とかいうものよりも濃い関係かもしれない。[トネ:101ページ]

重要なのは、小熊が一般的な意味で他人とコミュニケーションを取るのが苦手な人物であるという点です。それでも趣味を通じてつながることができると、小熊は実感します。この部分をめぐる心理描写は非常に地味なのですが(つまり劇的でない)、この物語のなかで大きな位置を占めている部分です。読者をハラハラさせるような『安達としまむら』の展開に対して、登場人物の変化と魅力を伝えることを通じて小説『スーパーカブ』は展開してゆくのです。

(b) 乗り物への愛着

 小説『スーパーカブ』は、タイトルから分かるようにスーパーカブへの並々ならぬ愛着が伝わります。若者のクルマ離れという話を聞くように、現在の日本では自動車やオートバイは生活の手段であって、熱を入れるのは一部の趣味の者という状況になっています。ですから、小説としてスーパーカブを描くとき、著者には特にオートバイに興味のない人にも興味を持ってもらうようにしなければなりません。

 さて、オートバイが登場する代表的なライトノベルとしては、時雨沢恵一キノの旅』(既刊20巻、電撃文庫、2000年~)が思いつくでしょう。ライトノベルが広まるうえで大きな役割を果たしたこの大ヒットシリーズは、時雨沢恵一の銃とバイクへの愛の上に成り立っています。しかし同時に、この作品のなかでモトラド(注:二輪車。空を飛ばないものだけを指す)はキャラクター化されており、あまり比較対象になりません。

 この他にも、ライトノベルには賀東招二神野オキナ築地俊彦深見真などミリタリーなどの趣味全開の書き手は数多くいますし、やや珍しい例としては豊田巧の鉄道趣味もよく知られています。

 

 こうした趣味は、多くの場合、実際には本物を手に入れることが出来ないか、きわめて困難なもので、憧れをもって眺めるものであるように思います。これに対して、クルマはオートバイは手に入れることは、一定のお金さえ用意すれば難しいものではありません。都市化が進みモノが溢れてしまい、さらに経済格差が広がったなかで、若者のクルマやオートバイへの関心は薄れてしまったのです。

 ここで橋本紡の『空色ヒッチハイカー』(新潮社、2006年;新潮文庫、2009年)について見ておきましょう。橋本紡は、ライトノベル出身ながら文芸に進出した作家ですが、ライトノベルを「現代軽文学」としてより広く捉えようという本ブログの趣旨から言えば、取り上げるに値する対象だと考えます。さて、この作品に登場するの自動車はアメリカの往年の名車キャデラックで、主人公は必ずしもクルマそのものに興味はありません。むしろ、クルマが紡ぐ見知らぬ人々との関係がこの物語の軸となります。

 

 こうした状況のなかで、本作の著者はどのようにスーパーカブを描いているのでしょうか。確かにスーパーカブは小熊に新たな出会いをもたらしてくれますが、彼女自身は見知らぬ人々と交流するタイプの人間ではなりません。むしろ、ポイントは徹底したリアリズムであり、生活に根ざした存在としてスーパーカブを丁寧に取り扱われています。

 箱とカゴをつけたカブで帰路につく小熊。これからは何でもこのカブで運ぶことが出来る。

 自分の体がとても軽く、自由になったという思いは、バッグを背負っていないという理由だけではないだろう。

 帰り道で小熊は、ずっと笑っていた。[トネ:75ページ]

 主人公の小熊という名前も重要です。そもそも、cubとはクマやライオンといった猛獣の子供を指すアメリカ英語で、まさしく「小熊」に外なりません。したがって、小熊という人物は、彼女の存在の次元でスーパーカブと結びついた人物として登場するのです。

 そして、彼女の変化と魅力を伝えることは、スーパーカブを生活に根ざした存在として丁寧に描くことと固く結びついているのです。ここに、小説『スーパーカブ』が、興味のない人でもスーパーカブのことが好きになってしまう仕掛けが含まれていると言えるでしょう。

(c) 素晴らしき日々

 小説『スーパーカブ』を考えるうえで、もう一作品を紹介します。一二三スイ『世界の終わり、素晴らしき日々より』(全3巻、電撃文庫、2012~13年)です。あまり有名な作品ではありませんが、二人の少女がピックアップトラックに乗って旅をする話です。そのあらすじは、「世界の終わり」を迎えて人類と文明が衰退してしまった世界で、棒キャンディーと拳銃を持ち歩く17歳の冷静なコウちゃんと、スケッチブックを持ち歩く12歳のチィが出会い、ともに旅をする物語です。

 「世界の終わり」はしばしばライトノベルに現われる世界設定です。田中ロミオの『人類は衰退しました』(全11巻、ガガガ文庫、2007年5月~2016年9月)や、最近では枯野瑛の『終末なにしてますか?』シリーズ(既刊10巻、角川スニーカー文庫、2014年11月~)などが有名です。こうした「世界の終わり」を扱う作品群では、登場人物の生活が印象的に描かれることが多いように思います。考えてみれば、「世界」の終焉あるいは崩壊とは日常生活とそれを取り巻く社会が崩壊したことに外ならず、生活すなわち生きることが切実な問題として浮かび上がります。それゆえ、『世界の終わり、素晴らしき日々より』は、二人の少女がトラックで旅をしながら、彼女たちの生活のありようが丁寧に描かれることになります。

 そもそも人が生活することは、二つの局面から成り立ちます。一つは居を構えて、ひと所に住むこと。「家族もの」の作品でよく見られます。もう一つは生活の糧を得るために移動すること。こちらは「家族もの」ではネガティヴに描かれることが多いですが、大人になる=自らの力で生活を営むようになるとは、移動することと密接に関わりあっています

 

 小説『スーパーカブ』は、「世界の終わり」でもなんでもありませんが、主人公の小熊は母親が失踪することで家族生活が崩壊し、特に経済的に立ちゆかなくなります。そして、「生きること」がむき出しの問題となって、早く大人にならなければならなくなったとき、移動することが重要な問題として立ち現れるのです。そして、物語のなかにこうした内的構造を持つがゆえに、移動するもの=スーパーカブへの愛着は、生活するもの=人が生きることへの愛情と分かちがたく結びつきます。

 このような小説『スーパーカブ』のテーマは、まず序盤で、小熊とスーパーカブとの出会いと生活の変化として丁寧に描かれます。中盤では、視点が入れ替わり礼子の富士登山のエピソードがありますが、ここでも彼女が生きることとスーパーカブへの愛着との結びつきが深く結びつきます。そして、終盤では小熊は箱根越えを経ることで移動することの内実を経験することになります。つまり、テーマが変奏されながら繰り返す形となっているのです。実に巧みなストーリー構成であると言えるでしょう。

 

3.生きることの生々しさ

 この作品の生きることにには、若干の留意点があることにも触れておかねばなりません。小説『スーパーカブ』の世界は、終わってしまった世界ではないのですから、人々の生活は社会に規定されています。母親が失踪したことで経済的に行き詰まった小熊は、奨学金を借りて生活をしています。海外の奨学金は返済不要であるのが普通ですが、日本のほとんどの奨学金は返済をしなければならない、いわばスカラーシップというよりローンとしての性格を持っています。しかし、事実上の孤児となってしまった彼女には返済の道が非常に険しいものがあります。

 続刊が刊行されるとしたら、小熊の大学生編についてもいずれ描かれるでしょうが、学費と生活費の問題はさらに深刻化するはずですカクヨム版の方は未見です)。このような生きるづらい社会に登場人物が取り囲まれていることを忘れるわけにはゆきません。

 

 生きることの生々しさは、物語の最終盤で、やはりスーパーカブを通じて小熊のモノローグによって語られています。やや長いですが、紹介しましょう。

 礼子は小熊より経験もスキルもあるカブ乗りだけど、カブを感傷的に捉えすぎるところがあると思った。機械が進化し、新しく優れたものになることに意固地に背を向けている。

 でも、礼子とカブを通じて知り合った小熊には、彼女が新しいカブから目をそらしつつ、なにやら気になる様子でチラチラ盗み見していることもわかった。もしかしたら礼子はあと数年もすれば、嫌っていた新しいカブに乗るようになるのかもしれない。

 礼子のカブへの接し方は、カブのことを大事に愛でるぬいぐるみじゃなく、毎日気兼ねなく使う道具だと思っている小熊とは違う。きっとそれはカブの数だけある違い。

 その違いは、これから変わっていくのかもしれない。小熊も礼子も。[トネ:280ページ]

ここでは、小熊がカブと生活を深く結びつけて認識していることが改めて確認されています。それとともに、礼子のカブへの思い入れを小熊目線で分析しながら、それ自体も生きることを通じて変化するだろうことを予期しています。この変化は抽象的なものでなく、むしろ生々しいものです。愛を語ることは抽象的なことではなく、その対象の素晴らしさを生々しく語ることであるのだと思わされた、そんな地味で、丁寧で、愛に溢れた素敵な作品が小説『スーパーカブ』なのです。

 

【参考文献】

・トネ・コーケン『スーパーカブ』(角川スニーカー文庫20320、2017年5月発売)

入間人間安達としまむら』(電撃文庫2501、2013年3月発売)

時雨沢恵一キノの旅 -the Beautiful World-』(電撃文庫、2000年3月発売)

橘公司『いつか世界を救うために2―クオリディア・コード―』(富士見ファンタジア文庫2405、2016年1月発売)

橋本紡『空色ヒッチハイカー』(新潮社、2006年;新潮文庫、2009年)

・一二三スイ『世界の終わり、素晴らしき日々より』(電撃文庫、2012年9月発売)

この世の全てはこともなし : スーパーカブ トネ・コーケン 角川スニーカー文庫

 

(2017年7月7日 一部訂正)

(2017年11月16日 一部訂正)

スーパーカブ (角川スニーカー文庫)

スーパーカブ (角川スニーカー文庫)

 
安達としまむら (電撃文庫)

安達としまむら (電撃文庫)

 
空色ヒッチハイカー (新潮文庫)

空色ヒッチハイカー (新潮文庫)

 
世界の終わり、素晴らしき日々より (電撃文庫)

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