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現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

Changing Times, Changing Publishing

方法論 メディアワークス・電撃文庫

初めまして、Bun Sekidateです。

ライトノベルを中心にアニメ・マンガなどを論じるブログを立ち上げるに当たり、ライトノベルの出発点を考えてみようと思います。

とはいえ、ライトノベルの起源をめぐる説は色々ある訳で、例えば、ソノラマ文庫創刊の1975年、新井素子氷室冴子が登場した1977年、高千穂遙「ダーディペア」は1980年、現在のレーベルを重視するならスニーカー文庫ファンタジア文庫はともに1988年……。このラノ2005, pp.142-145]

だいたい「起源」なんてのは、「クラシック音楽の始まりは?」とか「日本人は何処から来たのか?」みたいに、なかなか決着がつかないもの。こういう問題を考えるのには、ライトノベルの定義をはっきりさせなきゃいけない。

では、ライトノベルの定義はいかに? 読みやすく軽い文体、中高生向け、アニメ調のイラスト、レーベルなどなど、これまた難しい問題です。そもそも、ライトノベルなんてジャンルって本当にあるのかよ、って思いますよね。枠組みとして、「ライトノベル」という問いは果たして適当なのか、と。

電撃文庫創刊に際して」を題材に

じゃあ、作り手は何と言っているか。興味深い題材があります。とにかく紹介してみましょう。

 

   電撃文庫創刊に際して

 文庫は、我が国にとどまらず、世界の書籍の流れのなかで“小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫を自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである。
 その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫は知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。
 文庫出版の意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても小さくなることはないだろう。
 「電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。
 その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。
 しかし、〈Changing Times, Changing Publishing〉時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。
   1993年6月10日 角川歴彦

 

非常に印象に残る文章ですね。角川歴彦氏は、兄春樹氏の経営する角川書店を飛び出してメディア・ワークスを立ち上げて、ライトノベル・ゲームなどの分野で「電撃」ブランドを広めてゆきます。その経緯などは、ここでは置いておきましょう。

ここで、宣言されていることは明確です。つまり、読者の多様化のなかで特に「次なる文化の担い手の若者たち」を主なターゲットとして、「既成の枠をこえる新鮮で強烈な」印象を与える文庫を作るということです。これは、現代のライトノベルを考える上で、大事な出発点ではないでしょうか。

このブログ「現代軽文学評論」の基本方針

では、具体的に現代のライトノベルをどう考えてゆけばよいのか。このブログを始めるに当たり、私なりに3点に整理してみました。

 1.社会・文化の変化に即して分析する。

 2.出版そのものの変化を捉えるように分析する。

 3.ライトノベルの可能性を積極的に評価する。

第1は〈Changing Times〉に対応します。ライトノベルは現代の社会や文化から独立したものではありません。両者の関係を分析してみる必要があるはずです。第2は〈Changing Publishing〉に対応するものです。何が変化したかを分析することは、ライトノベルにとって何が重要かを問うことに繋がるはずです。第3は、多くの方がライトノベルの感想をネットで語る中で、若者との関係を捉えながら、よりリベラルに文章を解釈してみようと思うのです。

こんな方針の当ブログですが、よろしくご意見・ご感想をお願いします。

 

【参考文献】

・「このミステリーがすごい!」編集部編『このライトノベルがすごい!2005』、宝島社、2004年12月