現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

かくしてお祭り騒ぎは始まった ― 山中智省『『ドラゴンマガジン』創刊物語 狼煙を上げた先駆者たち』

 こんにちは。2~3月にかけて3回にわたって更新した『りゅうおうのおしごと!』についての記事が好評をいただき、先月から今月にかけてたくさんの方が記事を読んで下さったようです。ブログのアクセスも、9000PVを超えました。大変嬉しく思います。

 さて、本ブログでは、これまで話題の作品や名作を中心に紹介してきましたが、今回は少し毛色の異なる本を紹介しようと思います。この間、ライトノベル研究を精力的に進めている山中智省氏(例によって以下敬称略)が、先ごろ新しい著書を刊行しました。タイトルは『『ドラゴンマガジン』創刊物語 狼煙を上げた先駆者たち』(勉誠出版、2018年1月発売)。文芸・人文系の一般書や、文学研究や歴史学研究の専門書を取り扱っている勉誠出版から刊行されました。表紙イラストは、神坂一スレイヤーズ』シリーズのあらいずみるい

 今回は、富士見書房の刊行するドラゴンマガジン』の創刊をめぐる歴史について取り上げたこの本を書評しながら、現代日本ライトノベルの出発点について考えてみようと思います

―目次―

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ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語 : 勉誠出版

1.著者のプロフィールとライトノベル研究の動向

 まず、著者である山中智省のプロフィールを確認しましょう。著者は1985年生まれで、横浜国立大学で日本近現代文学を学んで研究者になりました。かなり早い時期から、文化研究のアプローチでライトノベルについて研究をしてきた模様です。指導教員は日本の近代文学のなかの心霊イメージや催眠術、怪談を研究している一柳廣孝教授です。

 文学研究の世界は有名な作品や作家を研究するのがメインストリームで、日本近代文学では、いわゆる「自然主義文学」や「純文学」が重視される風潮が強いと聞きます。こうした風潮のなかで、軽視されがちな「大衆文学」すら通り越してライトノベルの研究を行っているわけです。オーソドックスな文学研究者と比べると、師匠ともども、どちらかと言えば毛色の変わった人物であると言えそうですね(褒め言葉)。

 

 山中が学生時代の2006年5月に、指導教員の一柳廣孝や、目白大学教授で少女小説の研究者の久米依子を中心としてライトノベル研究会が設立されました。この研究会は、『ライトノベル研究序説』(青弓社、2009年)、『ライトノベルスタディーズ』(青弓社、2013年)を出版し、現在は文学・社会学民俗学から、情報工学建築学まで約40名のメンバーを擁するに至ります。そして、ここからライトノベル研究の新しい世代、1980年代生まれの山中智省や大橋崇行らが出てきました。彼らを中心に新たに『ライトノベル・フロントライン』(既刊3巻、青弓社、2015年~)が刊行されています。

創作と研究・批評とは、エンジンと燃料のようなものだ。/(中略)創作された作品は、それだけで作品として流通させることは難しい。作品や作家が何らかの形で「評価」されることで、その名前がより多くの読者にまで広がり、手に取ってもらえるようになる。[大橋2015:7ページ]

こうした言葉で始まる『ライトノベル・フロントライン』は、単なる作品紹介でなく、ライトノベルの歴史や社会的な可能性を踏まえて評価することを試みているブログを運営している者として、大いに共感させられました。

 

 山中智省のこれまでの研究の特徴は、ライトノベルをはじめとしたオタク向けコンテンツの言説を歴史的に分析して、文化研究カルチュラル・スタディーズ的な評価を行ってきたように私は思います。著書『ライトノベルよ、どこへいく 1980年代からゼロ年代まで』(青弓社、2010年)はその代表例で、「ライトノベル」という言葉がどのように生まれて流通してきたか、ゼロ年代においてライトノベルはどのように評価されてきたのかを論じています。つまり、ライトノベルを文化現象として取り扱うアプローチです。近年は、こうした研究手法を使うことで、出版史に関する研究業績も出しています(山中の研究業績については 山中 智省 - researchmap を参照)

 『月刊ドラゴンマガジン』の創刊を扱った『『ドラゴンマガジン』創刊物語』もまた、こうした著者の研究の延長線上にあります。それと同時に、ライトノベルの「内側の世界」、編集者・作家・読者といった当事者にスポットライトを当てた研究でもあります。この点は、本書の「あとがき」で述べられています[山中2018:231ページ]。この二つの側面が、本書の特徴と言えるのです。

 

2.『『ドラゴンマガジン』創刊物語』の構成と内容

(a) 本書の構成

 さて、『『ドラゴンマガジン』創刊物語』の内容を紹介してゆきましょう。全5章+「はじめに」+「おわりに」の7部構成で、前著に続いて巻末の資料編も豊富です。章立てを次に掲げましょう。

― 目次 ―

はじめに

第1章 『ドラゴンマガジン』創刊前後の状況

第2章 創刊を手がけた編集者たち

 コラム① 誌上に現れた二つのメディアミックス

第3章 創刊号の誌面を飾った作家たち

 コラム② 作家の共演が生み出した「イマジネーションの世界」

第4章 『ドラゴンマガジン』が育んできたもの

 コラム③ 読者・作家・編集者が交差する場

第5章 〝ビジュアル・エンターテインメント〟の誕生と展開

おわりに―そして「ライトノベル」へ

あとがき/参考文献一覧

過去の作品を知りたい・読みたい・入手したい人のための資料探索ガイド『ドラゴンマガジン』基本情報一覧(1988~1995年)

このうち第2~4章はインタビューに宛られていて、コラムで簡単に要点がまとめられています。インタビューで登場する人物は全員で8人に及びます。第2章では、『月刊ドラゴンマガジン』の実質的な創刊責任者の小川洋(のち富士見書房代表取締役社長)、表紙・グラビア・取材記事を担当した編集者の竹中清。第3章では、小説『風の大陸』の作者・竹河聖、『スレイヤーズ』のイラストレータあらいずみるい、マンガ『ドラゴンハーフ』の作者・見田竜介。第4章では、読者投稿ページ「ガメル連邦」の担当・加藤一、ゲーム小説『蓬莱学園』シリーズに関わった新城カズマ、創刊当時の読者でのちに小説家デビューを果たした伊藤ヒロがそれぞれ登場します。どのインタビューも興味深いもので、資料的価値もとても高いと言えるでしょう。

(b) 本書の内容

 次に本書の論旨を確認しましょう。「はじめに」では、1988年1月30日に発売された『月刊ドラゴンマガジン』が、現在のようなライトノベル雑誌でなく、浅香唯のコスプレを表紙グラビアにし、マンガ、アニメ、ゲーム、映画、模型、ジオラマ、アイドル、イラストレーションなど、多彩なジャンル/メディアで構成される「新しいタイプの若者向け雑誌」[山中2018:3ページ]として始まったことを指摘します。そのことは、『ライトノベル研究序説』の「はじめに」で一柳廣孝が指摘した、「複合的な文化現象[一柳2009:13ページ]としてのライトノベルに関わることだと言います。

 第1章「『ドラゴンマガジン』創刊前後の状況」では、1980年代半ば頃からの小説・ゲームにおけるファンタジー・ブームのなかで角川文庫・赤帯富士見ファンタジア文庫の創刊という動きが起こり、その流れの延長線上に『月刊ドラゴンマガジン』の創刊が位置づけられると指摘します。創刊当初の同誌の特徴は、第1に文庫レーベルや新人賞と一体に展開されているところ、第2にビジュアルを重視して「夢」を実感するストーリー(=小説)を軸にマンガ、アニメ、ゲーム等々のジャンル/メディアを交えて「イマジネーションの世界」を表現するところだと言います。そして、同誌が想定していた読者は、多種多様なコンテンツを享受する「アニメやゲームで育ったメディアミックス世代[山中2018:3ページ]であったとします。

 

 先にも述べたように、第2~4章はインタビューに宛られています。第2章では、『月刊ドラゴンマガジン』が、アニメ誌『月刊ニュータイプ』(1985年~)、パソコン・ゲーム誌『コンプティーク』(1983年~)と密接な関わりを持って登場し、創刊から1年後のリニューアルで現在のような小説を中心とするメディアミックスの雑誌へと変化したと整理されます。

 第3章では、小説家とイラストレーターの意識的な協業が、インタビューと誌面の双方から確認されています。特にイラストを書くための方法論についての、あらいずみるいの発言は興味を惹きます[同上:114ページ以下]。また、見田竜介の発言は、異質なものが混じりあった創刊当初の同誌の様子をうかがわせます。

 第4章では、「読者・作家・編集者が交差する場[同上:180ページ]としての『月刊ドラゴンマガジン』の姿がインタビューを通して明らかにされます。読者投稿ページ「ガメル連邦」にせよ、『蓬莱学園』シリーズにせよ、「お祭り[同上:166ページ]のような盛り上がりがそこにあったわけです。

 

 第5章では、『月刊ドラゴンマガジン』創刊当時のより広い状況について論じています。まず、1980年代後半は「メディアミックス世代」向けの目立ったジャンルとしては、SFブームに伴う浸透と拡散(批判的な人から見れば、SFがSFでなくなってしまうと映ったことでしょう)SFとファンタジーがともにメディアミックスの波にさらされていると考えられていたといいます。

 この頃には、文庫やノベルズなどの小説の表紙にアニメやマンガなどのイラストを採用することが増えており、その代表としてアニメージュ文庫を取り上げます。また、若者の読書調査から「軽い小説」が好まれていて、コバルト文庫やハヤカワ文庫などがそれを意識していたこと、以上の動向を意識した雑誌『獅子王朝日ソノラマから刊行されていたこと(1985~92年)が指摘されています。ただし、『獅子王』はイラストを用いた文芸誌としての色彩が強く、ヴィジュアルをより突き詰めたのが『月刊ドラゴンマガジン』であったと山中は評価します。

 こうした経緯を踏まえて、『月刊ドラゴンマガジン』の3つの特徴が挙げられます。それは、①雑誌・文庫レーベル・新人賞の連携体制、②〝ビジュアル・エンターテインメント〟に適した誌面作り、③メディアミックスのための戦略誌、だといいます[同上:213ページ以下]。雑誌の系譜としては、巻頭にフルカラーの特集記事を置くという点で『アニメック』(1978~87年)と『月刊ニュータイプ』、アイドルを起用した表紙という点で『コンプティーク』、小説雑誌としてのモデルとして『獅子王』と『野生時代』(1974~96年)が参照されています。こうして、ビジュアルを活かした特集記事で読者の興味を惹き、作品・キャラクターを読者に寄り添って掘り下げることで、「メディアミックス世代」のための〝ビジュアル・エンターテインメント〟として『月刊ドラゴンマガジン』の創刊を評価することができると結論づけます。

 

3.本書が明らかにしたことと残された課題

(a) 本書の意義と論じ足りない点

 ここまで『『ドラゴンマガジン』創刊物語』の内容を紹介してきたことを踏まえて、いくつか指摘を行います。本書は、1988年の『月刊ドラゴンマガジン』の創刊の内実を明らかにするともに、80年代後半の出版状況を踏まえて同誌が創刊されたことの歴史的位置を評価することを試みたと言えます。また、数多くの関係者のインタビューを行って掲載したという点で、本書は資料的価値の高いものとなっています。

 ただし、インタビューで触れられていながら、深められなかった重要な論点もあるように思います。例えば、小川洋へのインタビューでは、『S-Fマガジン』(1959年~)や『奇想天外』(1974年、1976~81年、1987~90年)、『SFアドベンチャー』(1979~92年)との関係が語られています[山中2018:47-48ページ]。私の個人的な感覚としては、1980年代のSFブームから90年代の沈滞へという流れがあったと思うのですが、こうしたSFの動向と『月刊ドラゴンマガジン』の創刊がどのように交差したのかは深められず、状況としてしか触れられていない印象です。

 ただし、これはなかなか困難な指摘かもしれません。なぜなら、今日に至るまで現代日本ライトノベルはSF的な作品が相対的に少ないという特徴を抱えているからです。とはいえ素晴らしい作品は沢山あるので(注1)、論じる余地はあるように思います。実際、富士見ファンタジア文庫の1冊目は田中芳樹『灼熱の竜騎兵〈レッドホット・ドラグーン〉』(1989年)でした。その後も、森岡博之『星界の紋章』シリーズ(全3巻、ハヤカワ文庫JA、1996年)冲方丁マルドゥック・スクランブル(全3巻、ハヤカワ文庫JA、2003年)のようなライトノベルを意識した作品が出ています。また、『無責任艦長タイラー』シリーズ(全15巻、富士見ファンタジア文庫、1989~96年)の作者・吉岡平は、主人公のタイラーが『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーのアンチテーゼとして描いたことを述べています「ヤン・ウェンリーのアンチテーゼとしてのタイラー」 - Togetter

(注1)思いつくまま挙げますと、高畑京一郎タイム・リープ』(メディアワークス、1995年)、賀東招二フルメタル・パニック!』(全21巻、富士見ファンタジア文庫、1998~2011年)、鷹見一幸『でたまか』(全16巻、角川スニーカー文庫、2001~06年)、橋本紡リバーズ・エンド』(全6巻、電撃文庫、2001~04年)、三枝零一ウィザーズ・ブレイン』(既刊17巻、電撃文庫、2001年~)、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』(全4巻、電撃文庫、2001~03年)、桜坂洋All You Need Is Kill』(全1巻、集英社スーパーダッシュ文庫、2004年)、有川浩塩の街』(全1巻、電撃文庫、2004年)、竹井10日東京皇帝☆北条恋歌』(全13巻、角川スニーカー文庫、2009~14年)、川原礫アクセル・ワールド』(既刊22巻、電撃文庫、2009年~)、榎宮祐クロックワーク・プラネット』(既刊4巻、講談社ラノベ文庫、2013年~)とかとか……。

 

 伊藤ヒロのインタビューでもいくつか興味深い点がありました。『コンプティーク』に掲載されていたリプレイ版『ロードス島戦記』(1986~88年)に触れている箇所があります[同上:171ページ]富士見書房も富士見ドラゴンブックを1985年から出していて、RPGリプレイなどのゲームものがライトノベルに果たした役割は無視できません。ドラゴンブックの「ドラゴン」が『月刊ドラゴンマガジン』へと引き継がれているという事実も含めて、どのように位置づけるのかを論じていないのは心残りです。

 同じく、伊藤ヒロのインタビューのなかで、富士見美少女文庫について触れているのも重要です[同上:173ページ]。実は著者の山中智省は、ライトノベル研究会の「ラノベ史探訪」コーナーや、学会論文で美少女文庫について論じている模様です(山中「〈富士見文庫〉検証 : ライトノベルジュブナイルポルノの"源流"をめぐって」『コンテンツ文化史研究』10・11号、2017年3月)。この論文が入手できていないので何とも言えませんが、せっかく著者のご研究があるにもかかわらず、富士見美少女文庫について言及が事実上ないのも気がかりです。

(b) 今後に残された課題

 個別の深められなかった論点のほかにも、本書が射程に収めることができなかった、今後に残された課題もあります。ここでは3点指摘しておきましょう。

 1点目は、「はじめに」でも触れられている『ザ・スニーカー』(1993~2011年)や『電撃hp』(1998~2007年)など、他のライトノベル雑誌との比較です。小川洋は『ザ・スニーカー』は「文芸の流れを汲んでいる」と発言していて[同上:64ページ]、非常に納得させられました。著者はすでにスニーカー文庫などの検討もしており[山中2016b]、今後の研究の進展を期待しています。

 2点目は、内在的な課題です。本書でも触れられているように、1989年3月号で『月刊ドラゴンマガジン』はリニューアルをするのですが、そのリニューアルの経緯について本書は明らかにしていません。文化現象だけでなく、当事者の立場からもライトノベルについて明らかにするという本書の立場を踏まえるならば、この課題が明らかにされてないのは残念です。(かなり難しい課題だとは思いますけれども。)

 

 3点目は、「おわりに」で述べられている著者のライトノベルの「再定義」についてです。これまでのライトノベルの定義は、「アニメ・マンガ風のイラストが用いられている」のような読者目線の外的な基準や、「一人称目線やセリフの多い小説」のような内的な基準が用いられてきました。もっとも穏当な定義としては、『ライトノベル完全読本』(日経BP、2006年)の「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若者層向けの小説」が知られています。

 これに対して著者は、「はじめに」で触れている「複合的な文化現象」という観点に立ちながら、出版側の目線も重視する本書の議論を踏まえてライトノベルの再定義を試みています。その部分を引用しましょう。

マンガ・アニメ風のキャラクターイラストをはじめとした多種多様なビジュアルとのコラボレーションによって、ビジュアル文化にふれて育った中・高校生を中心とする若年層を小説(活字)の世界に誘い、彼らのイマジネーションを喚起して小説やその物語の楽しさを知ってもらうことを目的に誕生した、ライト感覚のエンターテインメント小説。[山中2018:229ページ 丸数字は筆者による]

この説明が、上の定義をより具体的なものにしていることが分かると思います。重要なのは、①単にイラストに限らずに「多種多様なビジュアルとのコラボレーション」として把握している点、②読者としての「若者」を「ビジュアル文化にふれて育った」人々として把握している点、③制作側の目的意識(=マーケティング戦略)を踏まえている点がです。

 

 ただし、この「再定義」についても若干の問題があります。一つは、1980年代(後半)以降に存在した「ビジュアル文化」とは何かという問題です。この用語自体が耳慣れない言葉ですし、「ポピュラーカルチャー」や「おたく文化」などと何が同じで何が違うのかを本書は論じていないように思います。

 もう一つは、定義の核心部分である④「ライト感覚のエンターテインメント小説」の意味内容がはっきりしないという問題です。例えば、1980年代の若者の読書動向が、「赤川次郎などをはじめとする「軽い作品」への傾倒」に特徴づけられることは本書でも触れられていますが[同上:197ページ]、その「軽い作品」を制作側がどのように考えていたかを明らかにしなければ、「複合的な文化現象」でなく単に「文化表象」を論じただけに留まってしまうのではないでしょうか。この点は、研究史との関係で言えば、大塚英志東浩紀のようなキャラクターに注目したライトノベル定義(注2)との関係から明らかにされるべきではなかったかと思います。

(注2)大塚英志『キャラクター小説の作り方』(『ザ・スニーカー』連載、講談社現代新書1646、2003年、のち角川文庫・海星社新書)、東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』(講談社現代新書1883、2007年3月発売)

(c) 「お祭り」というキーワード

 ここまで、山中智省『『ドラゴンマガジン』創刊物語』について、あれこれと論評してみました。特に最後に論じた「残された課題」は本書の議論の範囲を超えるもので、これからの研究や評論を通じて明らかにされるものだと思います。繰り返しますが、全体としてみれば、本書は『月刊ドラゴンマガジン』創刊の経緯とそれを取り巻く文化状況を明らかにした意義ある研究であると言えると感じています。

 本書を通読して私がとても共感したのが、「お祭り」というキーワードでした。これは、小川洋インタビューなかで「(『月刊ドラゴンマガジン』の創刊は)ある意味では祭りの狼煙だったのではないかと思います」と語っていて[同上:63ページ]、筆者は「おわりに」でこの発言を引き受けて、次のように書いています。

この「祭りの狼煙」という小川の言葉に象徴されるように、本書で見てきた『ドラゴンマガジン』の創刊から躍進までの軌跡はまさしく、若年層向けエンターテインメント小説を舞台に編集者、作家、読者の熱意と情熱が巻き起こした「祭り」さながらの様相を呈していた。そしてこの「祭り」の盛況ぶりはライトノベルの立ち上がりを周囲に示すとともに、源流となった〝ビジュアルエンターテインメント〟を拡散させる契機をも生み出していったのである。[同上:228ページ]

こうした著者の議論は、本書のサブタイトルである「狼煙を上げた先駆者たち」へと引き継がれています。「お祭り」という言葉は新城カズマのインタビューでも出てきています。

現在のライトノベルを生み出した巨大な渦巻きというか、苗床みたいなものがあって、その一端が『ドラゴンマガジン』であり、富士見ファンタジア文庫であり、『スレイヤーズ!』だったかと。(中略)自分たちが面白がっていたというのが、たぶん一番正しい。それはお祭りと同じで、結局すぐ終わるかもしれないし、ずっと続くかもしれない。先は分からないけれど、取りあえず今が面白ければいいんだ、あるいは面白くしようよ、みたいなものが、『ドラゴンマガジン』や『蓬莱学園』にはあったのだと思います。[同上:166ページ]

 

 なぜ私が「お祭り」という言葉に共感したかというと、それが私自身の『月刊ドラゴンマガジン』経験でもあるからです。A4変判のあのカラーページを開いた時のドキドキ感、秋田禎信あざの耕平賀東招二築地俊彦ら短編小説の名手たち、「小説創るぜ!」、「皇龍杯」、「狗牙絶ちの劔」などの読者参加企画、MEE『はいぱーぽりす』やきゆづきさとこ『ろーぷれぐるぐる』などのマンガ作品、「仁美と有佳のどらごんデンタルクリニック♥」(2004~06年放送)や「富士見ティーンエイジファンクラブ」(2006~08年)といったラジオ番組など、数々の思い出があります。

 以前にも、「ライトノベルにおけるアンソロジーの位置とその歴史」(2017年12月番外号)のなかで、富士見書房から刊行されたアンソロジー作品が、「お祭り騒ぎ」を楽しむものであったと指摘しました。また、その後、2000年代末から10年代初頭にかけて「お祭り」の雰囲気が変化したように感じています。このように、本書がひろい上げた「お祭り」というキーワードは、筆者である私自身の実感でもあるのです。

 

おわりに

 以上、山中智省『『ドラゴンマガジン』創刊物語』について取り上げました。紹介と論評をあれこれしましたが、とにもかくにも、本書は「ライトノベル史入門」の名に恥じない、大変に興味深い内容でした。前著『ライトノベルよ、どこへいく』は小さい活字のいかにも専門書という感じでしたが、今回は特に図版が見やすくて好感を持ちました。第一線の研究者が、多くの読者を想定した一般書を出したことは、とても喜ばしいことだと思います。また、あらいずみるいの素敵なカバーイラストも必見です。

 

 1980年代後半から90年代初頭という現代日本ライトノベルに直接繋がる時代を本書は取り上げていますが、この時代は日本の「おたく文化」のなかでも特筆すべき時代であったように思います。この時代の研究は、今後進められてゆくことになるのでしょうが、なかでも1980年代のOVAについて語っておられた吉田正高氏(東北芸術工科大学教授、コンテンツ文化史学会会長)が3月31日に急逝されたことは、とても残念でなりません。この場を借りてお悔やみ申し上げる次第です。

 私はコンテンツ文化史学会の会員でもなければ、いわゆる「おたく文化」の研究者でもありませんが、精力的な活動を続けておられた吉田氏を尊敬しておりました。これから、山中智省をはじめとした若い研究者の活躍で、この喪失が乗り越えられることを望むばかりです。湿っぽくなりましたが、ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

【参考文献】

一柳廣孝久米依子ライトノベル研究序説』(青弓社、2009年4月発売)

大橋崇行「創刊の辞」(大橋崇行・山中智省『ライトノベル・フロントライン1』所収、青弓社、2015年10月発売)

・山中智省『ライトノベルよ、どこへいく 1980年代からゼロ年代まで』(青弓社、2010年9月発売)

・同上「専門レーベルの誕生――「角川文庫・青帯」から「スニーカー文庫」へ」(大橋崇行・山中智省『ライトノベル・フロントライン2』所収、青弓社、2016年5月発売)

・同上「〈ライトノベル雑誌〉研究序説」(大橋崇行・山中智省『ライトノベル・フロントライン3』所収、青弓社、2016年12月発売)

・同上『『ドラゴンマガジン』創刊物語 狼煙を上げた先駆者たち』(勉誠出版、2018年1月発売)

 

ライトノベル史入門  『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち
 
ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで

ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで

 

 

白鳥士郎の苦悩と躍進と2010年代のライトノベル

 こんにちは。ここまで2回続けてきた白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』の第3弾をお送りしようと思います。第1弾「『りゅうおうのおしごと!』の押さえておきたいポイント」は、特に本作が師弟関係をテーマとしていることを指摘しました。第2弾「もう一つの師弟関係、あるいはオッサンの熱くてシブい戦い」では、本作の〈もう一つの師弟関係〉について触れ、第7巻が現代日本を舞台にして「老い衰えゆくこと」を描いた価値あるライトノベルであることを論じました。

 この間、特に第1弾がご好評いただき、1ヶ月強で1000PVを達成しています。ブログとしても、累計5000PVを達成することができました。小難しくて情報量過多のマイナーなブログですが、ぼちぼち頑張っていきます。さてさて第3弾となる今回は、作者・白鳥士郎にスポットライトを当てて、彼にとってのライトノベルの可能性を考えるとともに、2010年代のライトノベルの動向についても触れてみたいと思います。よろしくお付き合い下さい。

―目次―

1.白鳥士郎のデビュー/拡大期から転換の予兆へ

 白鳥士郎は、2008年に『らじかるエレメンツ』(全3巻、GA文庫、2008年4月~09年1月、イラスト:カトウハルアキ)で、強烈なキャラがスポーツチャンバラで暴れまわる個性的な作風でもってデビューし、その後、帆船+男の娘+ファンタジーの『蒼海ガールズ』(全3巻、GA文庫、2009年8月~10年3月、イラスト:やすゆき)を刊行しています。ちなみに岐阜県多治見市の出身・在住の兼業作家とのことラノベニュースオンライン2012]

 意外なことなのですが、デビューにあたって、白鳥はGA文庫大賞などの小説賞を取っていません。まだ新人賞がなかったGA文庫編集部に原稿を直接送り、そこからのデビューとのことです。小説を書き始めた理由も、自宅で働ける副業が欲しいという理由からでダ・ヴィンチニュース2013]、それも大学院2年生くらいと比較的遅い出発でした[白鳥あとがき:3巻316ページ]

 

 白鳥がデビューしたGA文庫は、ライトノベルのレーベルとしては後発組に当たります。2000年代半ば~後半の時期は、日本のライトノベルの市場が拡大して次々とアニメ化される上昇期で、2006~08年にかけて新レーベルの創刊ブームが起こっていたのです。この時、GA文庫(2006年~)、ホビージャパンHJ文庫(2006年~)、竹書房のゼータ文庫(2006~07年)、小学館ガガガ文庫(2007年~)、一迅社文庫(2008~16年)が出てきました。

 白鳥士郎がデビューしたのは、このようにライトノベル業界が上昇する時期だったわけです。それゆえ、白鳥はGA文庫が創刊されてそれほど間もない頃にデビューを果たすことができたわけですが、それは競争が激しい時代でもありました。第1作目の『らじかるエレメンツ』の売り上げは悪く、金銭的にも困窮し、一時は作家を廃業しようとも考えたそうですダ・ヴィンチニュース2013]。それでもやめずに続けられたのは、舞阪洸がコラムで『らじかるエレメンツ』を評価してくれたり、『蒼海ガールズ』が3巻で終わった時にツイッター平坂読が残念がってくれりと、周囲からの励ましがあったからだと言いますツイッター、2019/04/12

 

 さて、2010年代に入ってライトノベル業界の状況も徐々に変化してゆきます。市場が供給過剰な飽和状態となり、従来のビジネスモデルからの転換の兆しが見えてきました。2018年現在から振り返ったとき、10年前の創刊ブームから生き残って元気があるのはGA文庫ガガガ文庫くらいなものでしょう。(ちなみに、この時に行き悩んだのが富士見書房だったように思います。2000年代末~10年代初頭の迷走の一端について、5年前に書いた「富士見書房と築地俊彦」で触れています。)

 白鳥士郎が本格的なヒットを飛ばしたのは、こうして転換点に差し掛かったタイミングでした。『のうりん』(全13巻?、GA文庫、2011年8月~16年10月、イラスト:切符)は、農業高校を舞台にしたハイテンション・ギャグが売りの作品です。この頃はポスト「日常系」の、学園を舞台にしたギャグ作品が多数つくられていた時期です(注)。この流れのなかで『のうりん』はヒットを飛ばし、2014年にはアニメ化を果たしました。

(注)代表的な作品として、井上堅二バカとテストと召喚獣』(全18巻、ファミ通文庫、2007~15年)、葵せきな生徒会の一存』シリーズ(全21巻、ファンタジア文庫、2008~13年)、アサウラベン・トー』(全15巻、スーパーダッシュ文庫、2008~14年)、木村心一これはゾンビですか?』(全19巻、ファンタジア文庫、2009~15年)、あさのハジメまよチキ!』(全12巻、MF文庫J、2009~12年)、竹井10日東京皇帝☆北条恋歌』(全13巻、スニーカー文庫、2009~14年)、平坂読僕は友達が少ない』(全14巻、MF文庫J、2009~14年)

らじかるエレメンツ (GA文庫)

らじかるエレメンツ (GA文庫)

 
蒼海ガールズ! (GA文庫)

蒼海ガールズ! (GA文庫)

 

2.「才能のなさ」という苦しみ/転換期の到来

 『のうりん』というヒットは、実は綿密な取材によって裏付けられています。農業高校や行政・農家などでの取材を行い、図書館で雑誌『現代農業』などの文献を調査しました。それは、デビュー作や第2作目でやりたいことを書いてからっぽになってしまい、「こんなことをしていたら作家としての寿命はすぐに終わってしまう。ならば自分の中に新しいものを取り入れつつ生産するサイクルを生み出そう」と思ったことがきっかけだといいますITmediaビジネスオンライン2012]

 けれども、白鳥は必ずしも満足していたわけではなかったようです。『このライトノベルがすごい!』で1位を獲ったときのインタビューで、『のうりん』を念頭に置きつつ、「パロディと下ネタで笑わせるのって結局敗北なんですよ」と述べていますこのラノ2017:48ページ]パロディと下ネタに否定的な発言をしているのです。

 もちろん『りゅうおうのおしごと!』でも下ネタを完全に封印したわけではありません。第1部冒頭では「オシッコォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!![白鳥:1巻10ページ]、第2部序盤でも「おち●ぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!![白鳥:6巻49ページ]と、その芸風は健在です。ただし、本作では下ネタの場面もストーリー展開のうえで重要な役割を果たしています。(この点は第2弾で論じておきましたのでご参照ください。)

 

 このインタビューで、白鳥は非常に興味深いことをいくつも語っています。例えば、「このラノ』とは縁がなかったんです」と語り、「自分に才能がないという自覚があった」という発言からはこのラノ2017:48・53ページ]売れっ子作家、才能のある作家でなかったことへの苦しみを感じさせます。

 特に、デビュー作『らじかるエレメンツ』の時にアサウラベン・トー(全15巻、スーパーダッシュ文庫、2008~14年)がヒットし、同じく2作目の『蒼海ガールズ』の時には平坂読僕は友達が少ない(全14巻、MF文庫J、2009~14年)がヒットし、向こうは評価されながら自分は評価されなかったという発言には[同上:52ページ]、何がしかの昏い情念さえ感じさせます。(「りゅうおうのおしごと!4発売記念 さがら総×平坂読×白鳥士郎 SPECIAL鼎談」、アキバBlog、2016年9月6日のように、白鳥がアサウラ平坂読に隔意を抱いているという話ではありません。念のため。)

 また、家族にもライトノベル作家であったことを隠していて、「私の中でもどこかラノベ作家であることを卑下していた部分があったのかな」と発言していますこのラノ2018:15ページ]。自分がライトノベル作家をやっていると家族に言えない心情は、「才能のなさ」という苦しみと、白鳥のなかで深く絡み合っていたように私には思えます。

 

 白鳥がこうした悩みに直面したのがいつ頃なのかは判然としません。もともとデビュー作は不振でしたし、プライベートでも『のうりん』3巻(2012年3月発売)が出た後に家族との折りあいが悪くなって実家を出ることになったといいますダ・ヴィンチニュース2013]。その後『りゅうおうのおしごと!』が企画されたのが2014年頃ですからこのラノ2017:48ページ]、『のうりん』が後半に入ったこの時期には、こうしたことを強く意識していたのでしょう。

 2010年代半ばには、ライトノベル業界の拡大が止まり、新しい作品づくりとビジネスモデルへの転換が到来したと誰もが意識するようになりました。売上げと購買層の二極分化、「小説家になろう」などネット発の小説の進出、アニメ化を軸としたメディアミックスの限界などなど。そして、『のうりん』のような、ポスト「日常系」の学園を舞台にしたギャグ作品のヒットもまた終わりが見えてきます。転換期に入ったライトノベルは、「何をどのように書いて、誰にどのように読んでもらうか」が根本から問われるようになったのです。白鳥士郎もまた、こうした問題に直面するなかで、自身の悩みに向き合っていた――そのように私は想像するのです。

のうりん (GA文庫)

のうりん (GA文庫)

 

3.プロとしての自覚/転換期のなかで

 『このラノ』のインタビューのなかで、「何をどのように書いて、誰にどのように読んでもらうか」という問題について、白鳥は自らの作品づくりに即して発言をしています。それは、綿密な現場取材や文献の調査(この点は『のうりん』で触れました)、イラストや図の指定へのこだわりや、プロの商業作家としての意識と技術という点です。3つ目の部分を引用してみましょう。

――本作ではプロとして生きる人を書いていますが、白鳥先生の考えるプロの条件とはどのようなものでしょうか。

白鳥 羽生善治先生は365日、24時間、プロであり続けることと仰っていましたが、私はプロは技術を持っていなければいけないと思います。面白いライトノベルを書くには技術が必要だと思っていて、自分に才能がないという自覚があったので、他の面白い作品や、プロットの立て方が上手い作品を徹底的に読み込んでいきました。(中略)それに、書籍としてお金を払ってもらうものを書くわけですから、他よりも優れている部分をアピールできる作品にしなければならないと意識しています。それができなければプロではないと思います。もちろん読者も含めて「良いもの」と感じてくれる作品を書けなければいけないですが。意識することと技術、この2つがないといけないかなと思いますね。このラノ2017:53ページ]

この発言からは、「何をどのように書いて、誰にどのように読んでもらうか」という問いに対するプロの商業作家としての自覚を垣間見ることができます。また、「技術の成果は売り上げとしてダイレクトに現れる」とも発言しています[同上:53ページ]

 

 こうしたプロとしての技術とそれを支える研究が光っているのが、第1弾でも触れた、『りゅうおうのおしごと!』におけるロリコン要素です。白鳥は自分は真正のロリコンではなく、「ビジネスロリコン[同前:49ページ]だと語ります。また、作者ツイッターでは「ロリはカレー粉のようなもの」という衝撃的な発言がありました。

白鳥士郎 @nankagun

りゅうおうのおしごと!』を書く上で、ロリラノベ四天王と呼ばれた『紅』『SHI-NO』『ロウきゅーぶ!』『円環少女』は非常に参考になりました。ミステリ、スポーツ、SF等ラノベとして難しい題材もロリを加える事で成立すると証明してくれたから。ロリはカレー粉のようなもの。だから将棋も書けた。

2018/3/11 17:37

https://twitter.com/nankagun/status/972753248577662977

ここでは、『りゅうおうのおしごと!』では、将棋というメインの題材に対して、ロリコン要素は「カレー粉」のようなスパイスであったと、明確に語っています。しかも、白鳥の語り口からは、ロリコンものについて深く分析や検討をしたことが窺えます

(なお、ここで取り上げられている作品のうち、片山憲太郎『紅』(全4巻、スーパーダッシュ文庫、2005~08年、ダッシュ・エックス文庫、2014年)、長谷敏司円環少女サークリットガール〉』(全13巻、角川スニーカー文庫、2005~11年)、上月雨音『SHI-NO -シノ-』(全10巻、富士見ミステリー文庫、2006~09年)は、いずれも白鳥がデビューする前の作品ですから、おそらく以前から読んでいた作品だったのでしょう。)

 

 2010年代のライトノベルの一つの動向は、ジャンル的にはファンタジー作品の復権、現代を舞台とした作品では青春ものの台頭が顕著です。もちろん、これらの作品は以前からありましたが、直前の2000年代後半~10年代前半がポスト「日常系」の学園ギャグが目立っていたことと比べたときに、こうした動向が浮かび上がります。代表的な作品として私が念頭に置いているのは、川原礫ソードアート・オンライン(既刊25巻、電撃文庫、2009年~)渡航『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』(既刊15巻、ガガガ文庫、2011年~)です。

 この二つの作品では、「バーチャルのなかのリアル」や「本物が欲しい」といったテーマが巻を重ねるなかで浮かび上がってきます。「リアル」や「本物」を志向した作品を読者が求めるようになるなかで、白鳥が新たに書こうとしたのが「熱い物語」でした。

 なぜ将棋を選んだのか?

 それについては『熱い物語が書きたかったから』という、それに尽きます。

 真剣に、人生を賭けて戦う若者達の姿を書きたいと思い、その思いに最も適した題材が将棋界でした。[白鳥あとがき:1巻297ページ]

りゅうおうのおしごと!』は、商業作家としての高いプロ意識を持った白鳥士郎が、書きたいものとして書いた作品でした。作者の書きたいことと読者の読みたいものが一致したのです。

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

 

4.そして、『りゅうおうのおしごと!』のヒットへ

 『りゅうおうのおしごと!』は、GA文庫10周年プロジェクトの第6弾として2015年10月に第1巻を刊行し、『ヤングガンガン』でこげたおこげ作画によるマンガ連載も同時にスタートしました。この時に、プロ棋士観戦記者の方々も宣伝に協力してくれたといいます[白鳥あとがき:1巻299ページ]GA文庫も関西方面での売り上げを伸ばすための書店との勉強会では、関西を舞台とした作品ということもあり、『りゅうおうのおしごと!』は関西で特にプッシュされることとなりました。作者もツイッター等で積極的な宣伝を展開します[白鳥あとがき:8巻287ページ]

 作者にとっても、第1巻の執筆は祖父の死と重なる出来事でした。ライトノベルを書いていたこと、それを秘密にしていたことを怒った祖父は、『のうりん』の熱心なファンでもあったのです。詳しいことは第6巻の「あとがき」に詳しく書かれていますので、ぜひお読みください。そして、2017年にそれを振り返ったうえで、白鳥はライトノベルの可能性について述べます。

 『りゅうおうのおしごと!』は、私の全てを注ぎ込んだ作品です。自分の書きたいものを書こうという、誰に読まれても恥ずかしくない本を書こうという決意のもとに生まれた作品です。

 そんな本を書こうと思ったのは、祖父に認めて欲しかったからです。ライトノベルという、私が選んだものの可能性を知って欲しかったから。[白鳥あとがき:6巻342ページ]

 

 ただし、第1巻の時点では売り上げの「初速」は思わしくありませんでした。この時点で、第1部が終了となる第5巻で完結させることを白鳥は決断したといいます[白鳥あとがき:5巻338ページ]。それでも、5巻まで出すことができるほどに、『のうりん!』でヒットを飛ばした作者へのGA文庫編集部の信頼が窺えます。

 しかし、巻数を重ねるにつれて『りゅうおうのおしごと!』の評判は高まってゆきます。2016年7月に第28回将棋ペンクラブ大賞(2016年)の文芸部門優秀賞を受賞し、12月に発売された『このライトノベルがすごい! 2017』で第1位を獲得するなど、幅広い読者に評価されるようになります。

 

 第1部の最終巻である5巻の執筆中に、白鳥にまたしてもプライベートな不幸が襲います。母の死でした。ここで再び、ライトノベルの可能性を想起させることを白鳥は書いています。

 将棋の世界は、私に悲しみを乗り越える力を与えてくれました。

 願わくばこの物語が、同じように、読んでくれる方々の力になれたのであれば。悲しみや苦しみの中で、一歩でも前に踏み出す力になれたのであれば。どうしようもない孤独や絶望の中で、それでも「明日もまた生きていこう」と思ってもらえるのであれば。[白鳥あとがき:7巻330ページ]

もちろん、作者が苦しみや昏い思いをすべて克服したわけではないでしょう。白鳥がもっとも自分を反映した書いたという、清滝桂香というキャラクターは第7巻でも苦しむことになり、「けど嫉妬はする。そういうことだ。人間として間違っているのかもしれないけど、現役の勝負師としてそれが間違っているとは思わない。この暗い炎を飼い慣らせないようでは、上にはいけない」と語らせています[白鳥:7巻257ページ]

 白鳥士郎にとって大事なのは、苦悩を抱えながらもライトノベルを書き続けること。それが読者に何かを与えることができるのであれば、それこそが「ライトノベルの可能性」ではないか――そのように作者の考えを私は想像するのです。

GA文庫|10周年記念プロジェクト

第28回将棋ペンクラブ大賞 | 将棋ペンクラブログ

おわりに

 以上、白鳥士郎にスポットライトを当てて、複雑な苦悩を抱えた作者が、その苦しみを糧としてライトノベルのトップ舞台へと躍進したことを書きました。そして、そのなかから、白鳥士郎にとってのライトノベルの可能性について考えてきました。もちろん、筆者は作者へのインタビューをしたわけでもなく、作品や「あとがき」、インタビューを用いて私なりに再構成したものに他なりません。また、そのなかで2010年代のライトノベルの動向についても触れましたが、別の観点からのご批判もあるでしょう。色々な方からご意見をいただけると嬉しく思います。

 

 『りゅうおうのおしごと!』がヒットを遂げたことで、私たちはたくさんのキャラクターの物語に出会うことがでしました。最新第8巻(2018年3月発売)では、供御飯さん、月夜見坂さん、男鹿さん、晶さんといった、これまでスポットライトが当たりづらかったキャラクターが活躍します。(個人的には供御飯万智さん推しです!

 嬉しいことに、第8巻の「あとがき」で、7歳年下の女性とのご結婚を発表しています。偶然にも八一とあいちゃんと同じ年齢差です(!)。おめでとうございます。『りゅうおうのおしごと!』を推してくれた書店員さんで、神戸で出会い、岐阜で再会した「熱い人」だそうです[白鳥あとがき:8巻290ページ]。(ちなみに、両方に店舗を持つ書店チェーンは、私の知る限り宮脇書店喜久屋書店ヴィレッジヴァンガードアニメイトの4つだけです。)今後も応援してゆきたい作者とその作品を、皆さんもぜひお楽しみください。

 

【参考文献】

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』(GA文庫746、2015年9月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 3』(GA文庫819、2016年5月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 5』(GA文庫888、2017年2月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 6』(GA文庫925、2017年7月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 7』(GA文庫974、2018年1月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 8』(GA文庫994、2018年3月発売)

・「「ラノベの素」 みんなで選ぶベストラノベ2011コメディ部門第一位 白鳥士郎先生『のうりん』」(ライトノベル総合情報サイト・ラノベニュースオンライン、2012年2月17日、2018年3月18日閲覧)

・「ライトノベルで農業を描いてみたらこうなった――『のうりん』著者インタビュー 」(ITmediaビジネスオンライン、2012年4月13日、2018年3月18日閲覧)

・「農業系学園ラブコメディ『のうりん』白鳥士郎氏インタビュー【前編】」(ダ・ヴィンチニュース、2013年12月15日、2018年3月18日閲覧)

・「白鳥士郎インタビュー」(『このライトノベルがすごい!2017』、宝島社、2016年)

・「白鳥士郎インタビュー」(『このライトノベルがすごい!2018』、宝島社、2017年)

 

(2019年4月19日 一部加筆)

(2020年3月29日 一部加筆)

りゅうおうのおしごと! 8 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! 8 (GA文庫)

 

もう一つの師弟関係、あるいはオッサンの熱くてシブい戦い ― 白鳥士郎『りゅうおうのおしごと! 7』

 こんにちは。白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』特集の第1弾として書いた前回の記事「『りゅうおうのおしごと!』の押さえておきたいポイント」では、本作が師弟関係をテーマに据えていること、第6巻以降の第2部に入ってから群像劇としての性格を強めていることを指摘しました。

 さて、現在放送中のアニメ化に合わせて、第7巻が1月に刊行されています。この第7巻は、師弟関係という本作のテーマを踏まえ、実に異色のオッサンの熱くてシブいたたかいの物語となっていまた。 現代日本ライトノベルでは珍しいオッサンの物語について語ってみたいと思います。ネタバレを含みますので、そこら辺はご容赦ください。

―目次―

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GA文庫|2018年1月の新刊

1.もう一つの師弟関係

(a) 主人公の師匠・清滝鋼介九段の登場シーン

 白鳥士郎りゅうおうのおしごと! 7』(GA文庫、2018年1月発売)でメインで登場するのが、プロ棋士の清滝鋼介九段です。彼は本作の主人公・九頭竜八一の師匠に当たります。これまで本作は八一とその弟子たちやきょうだい弟子との話を主に展開してきましたが、今回は八一にとっての〈もう一つの師弟関係〉が描かれることになります。

 本作における清滝の登場はとても早く、第1巻の「プロローグ」で八一とあいの師弟が描かれた後、「第1譜」の冒頭のセリフ「オシッコォォォ ォォォ ォォォ ォォォ ォォォ ォォォ ォォォッ!![白鳥:1巻10ページ]という衝撃のシーンで登場します。つまり、本編最初の登場人物というわけです。ここでの清滝の説明は、「師匠である清滝九段はタイトル獲得経験こそないおのの二度も名人挑戦者として名乗りを上げた古豪〈ふるつわもの〉。/重厚な棋風と熱い勝負魂を併せ持つ、関西棋界の重鎮である[同前:1巻11-12ページ]とされています。(補足しておくと、冒頭の「オシッコ」にしても、対局中における水分補給と重要さとトイレに立つことが時に勝負を左右するという厳しい世界の説明につながり、第1巻における八一とあいの出会いの伏線になっています。)

 このシーンでは、棋戦で絶不調で安全策に徹した弟子に負けてとても悔しがる姿や、良い手を思いついてもすぐには指さないように堪えたときに、ズボンの右膝にできる皺のエピソードなど[同前:1巻13・24-25ページ]、清滝の人柄とそれを慕う弟子の八一と銀子の思いが同時に描かれます。実によくできた本編冒頭部と言えるでしょう。

(b) 弟子を育てるということ

 第1巻では、八一とあいが邂逅を果たしたあと、小学生であるあいの弟子入りを認めるかをめぐって、清滝と八一の出会いのエピソードが語られます[同前:1巻98ページ以下]。それは、清滝の指す将棋への憧れでした。そして今、八一の指す将棋に憧れてやって来たあいを弟子に取るように清滝は言います。

「八一。師匠に対する『恩返し』が何か、わかるか?」

「対局で勝つことですよね? 昨日みたいに」

「あれは公式戦やないからノーカウントや」

 師匠は頑なだった。

「本物の恩返しはな、師匠に勝つ事なんかやない。それだけやったら恩返しでも何でもない。師匠が本当に弟子にのぞむのは、タイトルを獲る事と、新しい弟子を育てる事や」[同前:1巻103ページ]

 本編で繰り返し語られるように、弟子を育てるということは、師匠にとっては大変なことです。プロ棋士としてただでさえも忙しいのに時間を取られ、時に弟子は自らを脅かす未来のライバルとなるかもしれません。けれども、それは先人への憧れと将棋への愛を受けとめ、そして自分たちの現在を未来へとつなげる行為なのです。 こうして、八一はあいを弟子に取ることを決意しました。

 

 第2巻では、もう一人の弟子・夜叉神天衣を弟子にするかをめぐって、再び清滝が登場します。天衣は当初、月光聖一会長の依頼で八一が面倒を見ることになった、もう一人の天才女子小学生です。天衣を弟子にすればあいにもライバルができて強くなれるのではないか、と八一は考えますが、行き違いと嫉妬からあいは拒否します。

 あいの成長のためには自分は何もできていないのではなかと悩む八一。そこで、清滝は八一が弟子入りしたときのことを話し出します。――「わしはな、お前を月光さんの弟子にしようとした事があるんや[白鳥:2巻170ページ]。八一がすば抜けた才能を持っているがゆえに自分には育てきれないと思い、当時からトッププロであった兄弟子に八一を託そうと考えたと言うのです。

「せやからお前が奨励会に入るタイミングで月光さんに相談した。お前と同じものを持っておられるあの人なら、お前を育てる事ができると思ったからや」

「そ、それで……どうなったんです?」

「断られた」

「……」(中略)

「『子供なりに考えてあなたの弟子になりたいと言ったんですから、その気持ちを大切にしてあげてください』――と」

 ガン! と頭を殴られたような衝撃と胸にじわりと広がる熱さを、同時に感じた。

 弟子の……気持ち……。

「その時、ハッと気がついたんや。わしは弟子のことを考えてるつもりで、結局、自分が逃げたかっただけなんやないかと。いや、それどころか……自分にはないものを持っとるこの子に嫉妬して、遠ざけようとしとったんやないかと」[同前:2巻174-75ページ]

ここで語られている昔の清滝の悩みは、現在の八一の悩みと重なっています。この言葉を聞いて、八一はあいと天衣の二人を自分の弟子とすることを決意したのです。こうして、天衣は桂香やあいを下して研修会入りを果たし、八一は月光を破って天衣を正式に弟子に迎え入れることになります。

 

 以上からわかるように、りゅうおうのおしごと!』は、八一とあい・天衣の師弟関係に対して、清滝と八一というもう一つの師弟関係が対応して物語が展開しています。前者がメインボーカルとギターだとすれば、後者はベースといったところでしょうか。ロリ達はさしずめドラムですね。師弟関係という本作のテーマ、特に弟子を育てるということはどういうこととかという問いかけが、ここにあります。こうした部分を踏まることで、ようやく第7巻で語られるもう一つの師弟関係の物語を理解することができるのです。

(c) 苦労人・清滝鋼介の人物

 次に、清滝鋼介九段の経歴を確認しておきましょう。1966年に大阪府に生まれ、故坂井十三九段の下で将棋を学びます。(10代終わりに)プロ棋士になってからは苦労の連続で、戦績優秀ながら定数の都合によって上位クラスに上がれない「頭はね」を幾度となく経験してきました[白鳥:7巻5・7ページ]。昇格したときは、それぞれ娘の誕生(1990年頃)、「震災」(阪神淡路大震災なら1995年)、妻の死去(2000年前後か)が重なっていたといいます[白鳥:7巻318ページ]。30代前半にして妻に先立たれた清滝は、彼の母親とともに娘の桂香を育てました。この頃に桂香に将棋を教えています[白鳥:3巻135ページ]。ちなみに、兄弟子の月光聖一はこの間に名人位ほか5冠を達成しています[白鳥:5巻248ページ、7巻47ページ]

 40歳を前にしてやっと上り詰めたA級でも4勝5敗と奮戦したものの、順位の差から1年でB級1組に降格してしまいます。この頃、空銀子と九頭竜八一を相次いで内弟子に取りました[白鳥:7巻5ページ]。後に桂香に対して、彼女が母と祖母を亡くして寂しい思いをさせたから年少の二人を弟子に取ったと語っています[白鳥:3巻136ページ]。その後、再びA級に復帰して通算8期、名人戦挑戦2回を果たして活躍。八一と銀子の弟子たちも活躍してゆきます。けれども、50歳を前にして成績が下降するようになり、50歳でB級2組となり[白鳥:2巻141ページ]7巻の時点で51歳、しかもC級1組への降格の危機です。

 

2.老い衰えゆくことを描く

 いよいよ『りゅうおうのおしごと!』第7巻について論じてゆきましょう。第7巻で描かれる八一と清滝の〈もう一つの師弟関係〉には、老い衰えゆくことをめぐる問題が深く関わってきます。まず、第7巻のあらすじを清滝を中心に紹介し、この物語についてさらに掘り下げてみましょう。

(a) 第7巻のあらすじ

 盛大かつ華やかに開かれた清滝一門祝賀会で、事件は起こりました。それは、八一の竜王防衛を祝う人たちが、八一が清滝を超えたとジョークを飛ばし、八一も“来年くらいには公式戦で清滝を負かしてみたい”と応じたことがきっかけでした。清滝はダーンッ!! と机に拳をぶつけ、「C級棋士風情がタイトル獲ったくらいで偉そうに……わしを誰や思っとる!? C級で指すくらいなら引退するわ!!」「思い上がるのも大概にせえッ!![白鳥:7巻51ページ]と凄まじい怒りの感情をぶつけたのです。

 八一は、師匠の怒りは、現役の勝負師としてのプライドと、嫉妬や焦りでないかと考えます。また、本当は引退を考えていたのに周囲を慮って今まで来たのではないかと、心配をします。しかし、清滝自身は、なぜ自分が怒りを爆発させたのかも分からず、もやもやとした状態で臨んだ数日後の棋戦で、誰もが間違えないような手で痛恨の悪手を指して、7連敗を喫してしまいます。清滝の棋力の衰えは誰の目にも明らかでした。

 

 その後、清滝は迷走に迷走を重ねた末に、自らを振り返り、自分が怒りを爆発させた理由を悟ります。このナイーブな展開は、淡々と丁寧に綴られていて、一気に読み進めてしまいます。

 あの日、スポットライトを浴びる弟子を見て、清滝は気付いてしまった。/自分の心の支えにしてきた『名人に挑戦した』という実績。それは自分の最後の最後で負けたという敗北者のレッテルに他ならない、ということに。

 弟子に超えられたことが悔しいのではない。自分が敗者だという事実を突きつけられ、それを受け容れることができなかった。だから弟子に八つ当たりしてわめき散らしたのだ。[同前:7巻152-53ページ、下線部は本文では傍点]

こうした自己批判を経て、燃え尽きてしまったかに思われた清滝の心の火が、再び熱く燃え上がりました。彼は朝一番に棋士室に赴き、「修業の邪魔」と言われて追い返された奨励会員にこう言います。「下働きでもなんでもする。修業時代に戻ったつもりで、わしも君達と一緒に将棋を一から学び直したい。(中略)弛んでしまった性根を叩き直したいんや。負けたままで終わりたくないんや」と[同前:7巻156ページ]。清滝は色々な若手たちを巻き込んで「清滝道場」と呼ばれるサークルを作りあげ、熱くて若い心で再起を図ってゆきます

 

 再起を図って挑んだ次の対局で、清滝は若い心を迸らせた差し手で勝利することができました。しかし、その次の対局で彼は再び苦境に陥ります。それは降級阻止がかかる順位戦の最終局で、「次世代の名人」と呼ばれる、八一と同世代の若手・神鍋歩六段との棋戦です。序盤は自らが得意とする矢倉戦法に若い感覚を加えることで清滝がリードしますが、失着を犯し逆転されてしまいます。やはり衰えは明らかでした。

 折れそうになる心を何とかつなぎ止める清滝。「そうや。わしはオッサンや。ソフトを使ったり若者と絡んだりヒップホップな服を着て若々しさを解き放ったところで、所詮オッサンはオッサンでしかない[同前:7巻280ページ]。けれども、それを受け容れた「オッサン流」の戦い方を目指すのだと言います。例え「次世代の名人」が勝つことを世間や将棋界が望もうとも、「しかしわしはそんな総てに逆らう! 棋士の運命に逆らう!」「オッサンはなぁ……空気を読まれへんのやッ!![同前:7巻280ページ]。こうして、清滝は泥仕合の末に神鍋六段を下し、降級してもなお棋士として戦い続けることを宣言するのでした。

(b) 老い衰えゆくことへの不安と恐れ

 このように、第7巻のストーリーを清滝を中心として見たとき、清滝が老い衰えゆくことに戸惑い、自覚し、受け容れたうえで新しい道(オッサン流)を見出すという展開になっています。物語の構造としては、示された主題に即して登場人物が動いてゆくという、オーソドックスな展開になっていることが分かると思います。

 さて、この老い衰えゆくことを清滝が自覚するときに彼が思い浮かべたのが、自分が若かった頃の先輩棋士たちのことでした。清滝は娘の桂香に「……昔は、将棋界もこんなんやなかった……[白鳥:7巻105ページ]と言い出します。かつての関西の棋士たちマナーは最悪なゴロツキのような人ばかりだったと言います。けれども、「先輩達と同じ年齢になって……若手に追い抜かれていくっちゅう同じ立場になって、あの時の先輩達の気持ちが痛いほどよくわかる」、「不安なんや[白鳥:7巻105ページ]。不安と恐怖を紛らわすために、わざと対局中に話したり、後輩に威張ったり、勝負師としての興奮が忘れられずにバクチを打つのだと言います。

 

 さらに、老い衰えゆくことを清滝が受け容れて新しい道を見出すときに、先輩棋士たちのことを再び思い浮かべます。そして、その時には上に引用したように、先輩たちが不安と恐怖を紛らわすためだけにゴロツキのように振る舞っていたわけではなかったと思い直すようになります。

 今ならわかる。

 先輩たちが不安を紛らわすためにしとったお喋りも立派な戦術。立場を利用したルールすれすれのセコい技やが、それを使うという決断も強さの一つであることが、今ならわかる。

 みんな勝つために必死に知恵を絞り、プライドをかなぐり捨てて戦っていたのや。棋士として生き残るために……一局でも多く、大好きな将棋を指し続けるために。

 わしはそれをカッコいいと思う。

 今はそう、心から思う。オッサンカッコイイ。[同前:7巻286ページ]

こうして清滝が指した「オッサン流」の将棋は、ねちねち粘り、騙くらかす、気迫に満ちた熱くて嫌らしい指し手でした。それは第1巻で紹介された「重厚な棋風と熱い勝負魂を併せ持つ」、経験豊富なベテランだからこそ指すことのできる勝負を決して捨てることのない将棋だったのです。

(c) 過去と現在を背負っている者の役割

 第7巻では、清滝以外にも老い衰えゆくことに向き合っている人物が登場します[同前:7巻210ページ以下]。関西棋界の総帥とされる蔵王達雄九段です。蔵王九段は1937年生まれの80歳、清滝の師匠の兄弟子に当たる現役最年長のプロ棋士です。しかし、老雄も寄る年波には勝てず、現在C級2組で、当年度限りで引退することになっています。その最終局の対戦相手が主人公の八一だったのですが、八一は無残な敗北を余儀なくされます。それは連勝中だった八一が引退する蔵王に対して油断していたことも理由ですが、直接には今は廃れた「消えた戦法」を蔵王が採用したことでした。

 ここでは、棋士が狡猾な戦いで若手棋士を破ったという対比のあとに、うちひしがれる八一に対して蔵王が教えさとすシーンが加わります。蔵王はこの敗北の悔しさに苦しんだ時間こそが、八一の才能を証明していると言うのです。このシーンでは、敗北をただちに受け入れることのできない若手棋士とこれを教えさとす老棋士というもう一つの対比が加わることで、歴史と伝統、あるいは過去と現在を背負っている者の役割が語られているのです。

 

 さらにもう一人、過去と現在を背負い、老いに直面する人物がいることに、皆さんはお気づきでしょうか。それが突如として大阪に現れる、ヒロインあいの父・雛鶴隆です。役回りとしては、清滝が老い衰えることを受け容れる時のヒントとなる発言をするのですが[同前:7巻204ページ以下]、その前に八一の前に現れるシーンがあります[同前:7巻95ページ以下]

 雛鶴隆は、元は大阪法善寺横丁の板前で、修行中に現在の妻と出会って結婚し、あいが生まれています。彼もまた、大阪の板前と石川の温泉旅館という歴史と伝統を背負った人物です。彼が八一に自分の過去を語るときに持ち出したのが、昭和の大ヒット大衆歌謡「月の法善寺横丁」(歌・藤島桓夫、1960年)です。若い八一に分かりませんと応じられて寂しそうに俯くのですが、ここでも歴史と伝統を背負った雛鶴隆とそれを知らない八一という対比がなされていて、八一が蔵王九段に敗れる伏線となっているわけです。

 

3.ライトノベルのなかの老い衰えゆくこと

(a) 新しい試みとして

 ここまで論じてきたことをまとめます白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』シリーズは、八一とあい・天衣という師弟関係の物語を中心にしているのですが、その背景には清滝と八一という〈もう一つの師弟関係〉が描かれていました。第7巻では、この〈もう一つの師弟関係〉にスポットライトが当てられ、過去と現在を背負った年長者と、未来を担う若者の対比が繰り返し描かれています。そのストーリー展開の中心は、八一の師匠である清滝が、老い衰えゆくことに戸惑い、自覚し、受け容れたうえで新しい道を見出すというものでした。

 この「老い衰えゆくこと」を取り上げことは、現代日本ライトノベルとしては注目すべき試みではないかと思います。そもそも、現代日本とするライトノベルでは、年長者はあまり登場しない傾向があります。登場したとしても、年長者は主人公たちに対立的なキャラクターとして位置づけられることがしばしばです。この場合、敵となる年長者がストーリー展開の都合から生みだされたご都合主義的で陳腐なキャラクターとなってしまうことがあります。

 もちろん、そうでない作品もあります。例えば、以前「短編小説賞と「家族」問題」で紹介した五十嵐雄策『幸せ二世帯同居計画』電撃文庫、2016年11月発売)では、物語の構造として老人の語りが若者の語りを支える話があります。他方で、異世界を舞台にした物語では年長者が出る場合も少なくなく、特に戦記ファンタジーでは指揮官や指導者といったかたちで年長者が登場し、若者との世代交代が描かれることもしばしばあります。また、「小説家になろう」発の赤石赫々『武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行』(全10巻、富士見ファンタジア文庫、2014~17年)やまいん『二度目の人生を異世界で(既刊17巻、HJノベルス、2014年~)のように老人が若者に転生するというパターンも見られます。

 

 こうした諸作品に対して本書では、世界設定とキャラクターに年長者と若者という関係が当初からおり込んでいる点が注目されます。実際に、メインとなる師弟関係と〈もう一つの師弟関係〉という物語の構造がそれを反映しています。大人や老人といった年長者がきちんと位置づけられた、いわば「社会」が存在する作品となっているわけです。それが現代日本ライトノベルでは、あまり多くないことは言うまでもないでしょう。

 さらに指摘すれば、老い衰えゆくことは、早くも第3巻で触れられていました。清滝の娘の桂香が、自らの進退のかかった対局に臨む日、父娘が対面するシーンです。「久しぶりに真正面から見た父親の顔は、驚くほどに老けていた。刻まれた皺に、過ぎてしまった時間の重さを思い知る。簡単には受け止められないほどに[白鳥:3巻245ページ]。第7巻では、彼女こそが、清滝が老い衰えゆくことをもっとも心配し苦しんでいたことが繰り返し描かれていますが、こうした前提を踏まえることでより深く理解できるでしょう。

(b) 年長者と若者を対比する

 「清滝の老い」と言っても、第7巻の時点で彼は51歳です。ですから、厳密には、彼が直面しているのは老年期の問題というよりは中年期の問題(英語ではmidlife crisis)と言えるかもしれません。それをあえて「老い衰えゆくこと」としたのは、年長者と若者を対比するという本書の構造的な特徴を明らかにするためです。

 本記事で「老い衰えゆくこと」(aging and frailty)という特徴的な言葉を使っていますが、これは社会学者の天田城介の議論に触発されました。天田が指摘するように、「老い衰えゆくこと」は人それぞれ(元気な80歳がいれば病気の60歳がいるように)であるために医学的・生物学的な定義はできず、むしろ社会的な関係(特に周囲の認識や本人の自覚)が重要です。

 現代日本は超高齢化社会であり、老人と若者の関係をどのように取り結ぶかが問われています。それは、現代日本を舞台とするライトノベルにおいて軽視しえない問題とも言えます。この時、老人と若者が対立する安易なご都合主義に陥ることなく、「オッサンカッコイイ」と登場人物に言わせる『りゅうおうのおしごと!』は、年長者と若者を相互的で社会的なものとして描く、刺激に満ちた新しい試みではないでしょうか。オッサンの熱くてシブい戦いを読んで、そんなことを考えてみました。

 

【参考文献】

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』(GA文庫746、2015年10月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 2』(GA文庫784、2016年1月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 3』(GA文庫819、2016年5月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 5』(GA文庫888、2017年2月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 6』(GA文庫925、2017年7月発売)

・同『りゅうおうのおしごと! 7』(GA文庫974、2018年1月発売)

・天田城介『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(多賀出版、2003年、普及版2007年、増補改訂版2010年)

・本田康人「『りゅうおうのおしごと!』が将棋小説の名作である理由」(ブログ『ホンシェルジュ』、2017年7月16日、2018年2月22日閲覧)

 

(2018年3月1日 一部修正)

(2018年3月3日 一部加筆・修正)

(2018年3月7日 一部加筆・修正。特にツイッターで@mizunotoriさまに、オッサンの活躍という物語が戦記ファンタジーでしばしば見られる点、「なろう系」における老人が若者に転生する物語の登場についてご教示いただきました。記して感謝いたします。)

りゅうおうのおしごと! 7 (GA文庫)

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りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

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りゅうおうのおしごと! 2 (GA文庫)

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