現代軽文学評論

ライトノベルのもう一つの読み方を考えます。

アンソロジーの味わい ー 井上堅二ほか『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』

 皆さん、こんにちは。このブログは、ライトノベルを手広く扱うことを目指しているわけですが、私自身の限界からあらゆる作家やジャンルを紹介することは到底不可能なことです。こういう時に心強いのが、人気作家を中心にして多彩な短編作品を並べているのが「アンソロジー」と呼ばれるジャンルです。

 このほど、アンソロジーの新刊『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』(ファミ通文庫1629、2017年10月発売)が刊行されました。参加した作家は、井上堅二を筆頭に、庵田定夏田口仙年堂築地俊彦野村美月森橋ビンゴら総勢20名。イラストレーターも表紙の竹岡美穂ほか計7名が参加した豪華版です。今回は少し毛色の変わったこの新刊を紹介しながら、ライトノベルの新しい動向についても語ってみようと思います。どうぞお付き合い下さい。

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特集『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』|FBonline

『僕とキミの15センチ』紹介

(a) 注目ポイント1:アンソロジーの味わい

  ここまで『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』の刊行経緯や販売戦略について見てきましたが、この本の最大の特徴は、何といってもアンソロジーであるという点に尽きます。複数の作家の短編小説を集めたアンソロジーは、さまざまな作品を楽しめるというところに最大の味わいがあります。

 実は、ライトノベルではアンソロジーは一般的ではありません。それは、ライトノベルに短編の作品が特殊であることに起因していると思われますが、こうしたなかで敢えて複数の作家の短編小説を集めるということは、何らかの意味づけをもって企画されたということに異なりません。それがどのような性格を持っているのかを考察することもまた、アンソロジーの味わいではないでしょうか。以下に、紹介してゆきます。

 

(b) 注目ポイント2:Web展開の新しい試み

 まずは、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』の簡単な紹介をしておきましょう。元はファミ通文庫19周年企画として、KADOKAWA(旧・角川書店)が運営する小説サイト「カクヨム」において行われた「ファミ通文庫×カクヨム「僕とキミの15センチ」短編小説コンテスト」でした。

 告知によれば、「15センチ」と「男女」の2つのお題が入っていれば、どんな物語でもOKということで、1万~1.5万字のショートストーリーを募集しています。募集期間は5月31日(水)~7月10日(月)。526作品が応募され、中間選考で100作品、そして最終選考で、くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」が対象を受賞しましたカクヨム

 

 このコンテストに合わせてファミ通文庫人気作家による短編小説16作も掲載されました。最初に、5月19日(金)に三田千恵・久遠侑綾里けいしの3作がアップロードされ、続いて6月2日(金)に水城水城・更伊俊介佐々原史緒の3作、6月16日(金)に竹岡葉月・岡本タクヤ石川博品の3作、6月30日(金)に庵田定夏・羽根川牧人・九曜の3作と2週間おきに計12作が載りました。その後、8月25日(金)に御影瑛路、10月25~27日(水~金)にかけて伊東京一田口仙年堂築地俊彦の作品が相次いで載りました。これらの作品は現在でもカクヨムで読むことができますカクヨム

 今回刊行された文庫『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』は、短編小説コンテストの対象受賞作1作(くさなぎそうし)+ウェブ掲載の16作、さらに書き下ろし3作(森橋ビンゴ井上堅二野村美月)が加わっています。一番の大物は後にとっておいたということでしょうか。いずれにせよ、ライトノベルのWeb展開の新しい試みとして、今回の企画は注目することができると思います。

 

(c) 注目ポイント3:多彩なラインナップ

 さて、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』のラインナップは以下の通り。

綾里けいし「In the Room」

庵田定夏「十五センチ一本勝負」

石川博品「七月のちいいさなさよなら」

伊東京一「ジャンパーズ・ダイアリー」

岡本タクヤ「地面から十五センチだけ浮いた程度の物語」

くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」

久遠侑「変わりゆく景色と変わらない約束」

九曜「Xp; 15cm」

佐々原史緒「甘やかなトロフィー」

更伊俊介十五夜さんか十五センチほどズレている」

三田千恵「たった一人のお客さん」

田口仙年堂「ポケットの中の女神」

竹岡葉月「金曜日は恵比寿屋に行く」

羽根川牧人「アイスキャンディーと、時を重ねる箱」

御影瑛路「無事女子にフラれる、夏」

水城水城「思春期ギャルと「小さい」オジサン」

築地俊彦「隣の〇〇〇さん」

森橋ビンゴ「彼女は絵本を書きはじめる」

井上堅二「僕とキミらと15センチにまつわる話」

野村美月“文学少女”後日譚 つれない編集者〈ミューズ〉に捧げるスペシャリテ

イラストレーター:竹岡美穂(表紙・カラーも)、NOCO、kona、ミユキルリア閏月戈、フルーツパンチ、葉賀ユイ

改めて並べてみますと、作家20名、イラストレーター7名は壮観です。各話平均20ページ、原稿用紙にして35枚ほど。これまでもファミ通文庫の企画で登場してきた有名作家が中心ですが、『近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係』の久遠侑、『佐伯さんと、一つ屋根の下』の九曜、『リンドウにさよならを』の三田千恵といったさらなるヒットが期待される新人作家も名前を連ねています

 驚いたのは、伊東京一が久々に登場したこと(たぶん10年ぶり?)と、羽根川牧人や御影瑛路といった、これまで富士見ファンタジア文庫電撃文庫から本を出してきた作家も参加していることです。(ちなみに、羽根川牧人のデビューは、『ショートストーリーズ 3分間のボーイ・ミーツ・ガール』(ファミ通文庫、2011年7月発売)に収録の「トキとロボット」だと、今回調べて初めて知りました。)その他には、竹岡葉月竹岡美穂姉妹がそろい踏みというのも面白いですね。

 

(d) 注目ポイント4:ファミ通文庫ネクス

 『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』は、ファミ通文庫19周年企画ですが、それは「カクヨム」との連携だけではありません。ファミ通文庫ネクスト」という新たなシリーズの一貫でもあります。同サイトによると、

最近、泣いたり、笑ったりしましたか?

明日起こるかもしれない、あなたの「if」の物語

20周年を目前に、ファミ通文庫ならではのストーリーを発表していきます。ぜひみなさんも物語の世界に没頭してみてください。[FBonline]

というのが、謳い文句ということのようです。その第一弾が「カクヨム」との連携企画だったわけですが、第二弾が新シリーズ「ファミ通文庫ネクスト」というわけです。

 

 「ファミ通文庫ネクスト」シリーズは、2017年7月発売の手島史詞『僕の珈琲店には小さな魔法使いが居候している』と瑞智士記『二周目の僕は君と恋をする』を皮切りに、現在まで毎月1~2冊ペースで刊行されています。これまでファミ通文庫は、背表紙のFBの文字を、オリジナル作品=赤塗り+青の縁取り、ゲームやTRPGのノベライズ=緑塗り+青の縁取りとしてきましたが、ファミ通文庫ネクスト」は白塗り+青の縁取りとして区別しています。そして、現在までのラインナップから判ることは、いずれもライト文芸」や「キャラクター文芸」と近年呼ばれているようなジャンルを意識していることは間違いありません。

  ただし、それは「ファミ通文庫ネクスト」が「ライト文芸」のブランドであることをそのまま意味するわけではないと私は思います。メディアワークス文庫富士見L文庫のように既存のライトノベル出版社が新レーベルを立ち上げたのに対して、あくまで「ファミ通文庫ネクスト」は既存レーベル内の新ブランドという扱いです。ライトノベルの読者層が高齢化している現状を踏まえた販売戦略かと思われます。

 

 謳い文句にある「ファミ通文庫ならではのストーリー」とは、どういうことでしょうか。ファンタジーやラブコメが得意な富士見ファンタジア文庫、やや文芸・SF寄りのスニーカー文庫、萌えに強いMF文庫J、ギャグ・コメディ重視のGA文庫、特殊な作品を連発するガガガ文庫など、おおよその傾向を考えたとき、ファミ通文庫は「青春もの」が強いというところを想起します。

 こうした事情を踏まえて、これまでの「ファミ通文庫ネクスト」の刊行ラインナップを眺めていて感じるのは、王道な「青春もの」に軸を据えて、思春期でなく青年期に焦点を当てた作品が目立つように感じます。イラストを見ても、典型的なライトノベルがアニメ的な明るい原色を多用するものなのに対して、「ファミ通文庫ネクスト」ではパステルカラーや青系・黒系の寒色が目立つ印象です。

 

『僕とキミの15センチ』短評

 それでは、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』の中身の方は、どうでしょうか。以下、各作品について短評を記しておきます。本格的な評論となっていない点はご勘弁ください。

 

綾里けいし「In the Room」

 トップバッターとして、頭をぶっ叩いてくれます。テイストは、サスペンス+ホラー。いかにも綾里けいしです。情報量も多くて一文一文が頭に焼き付きます。好みは分かれるかもしれませんが、完成度の高い作品です。

庵田定夏「十五センチ一本勝負」

 幼馴染の男女の距離をめぐる、直球どストレートな青春物語。読んでいるこちらが気恥ずかしくなるほど。シチュエーションはありがちなのに、ぐいぐい読ませます。

石川博品「七月のちいさなさよなら」

 登場人物が可愛らしいSF(すこし・ふしぎ)作品。読後感はもっとも爽やかでした。ちいさな出会いと、ちいさな別れの話で、主人公と雫たちの時間の違いがポイント。雫たちが高校を卒業したあとは、遠い世界に働きに出るとのこと。働きに出るときが、切ない別れの時なのです。イラストのコダマサマかわいい。

伊東京一「ジャンパーズ・ダイアリー」

 ミステリ風味で、花の名前が鍵となっているところにアイデアが光る作品。ただし、織江さんと君島くんの距離が詰まるテンポが速い気もします。文庫1冊分の長さで読んでみたかったかも。

岡本タクヤ「地面から十五センチだけ浮いた程度の物語」

 たった20ページにもかかわらず、主人公を取り巻く4人の登場人物が強烈なこと! ヒロインの出雲さんのヤバい感じが、実に尖っています。また、「ほぐし水」の使い方が衝撃的。

くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」

 「僕とキミの15センチ」短編小説コンテストの大賞受賞作。主人公の彩華の危うさが、とにかくゾクゾクします。強いインパクトを読者に与えること間違いありません。この作品もまた、文庫1冊分の長さで読んでみたかったという印象を受けました。

久遠侑「変わりゆく景色と変わらない約束」

 思春期の感情と情景をめぐる丁寧な描写が光る王道の短編作品。久遠侑のうまさが、短編でもいかんなく発揮されています。別れの寂しさ、会えない切なさ、そして再び会えた喜びが見事なバランスで配置されています。

九曜「Xp;15cm」

 筆者も言うように、確かに「15cm」と聞いて私も文庫本のサイズを思い浮かべました。図書館のうんちくが詰まった、味わいある作品。

佐々原史緒「甘やかなトロフィー」

 スポーツをテーマに据えた珍しい作品です。ライトノベルではスポーツものはとても数が少ないのですが、ケーキを介することで違和感なく読むことができます。走り幅跳び選手の喜びと苦しみが正面からクローズアップされた、素敵な作品です。

更伊俊介十五夜さんか十五センチほどズレている」

 十五夜さんは、この本のなかで一、二を争う強烈なヒロインでしょう。『犬とハサミは使いよう』的な、ボケとツッコミの光る作品。15cmがもはやほとんど意味をなしていなくて、やりたい放題です。

三田千恵「たった一人のお客さん」

 ヒロインが一番可愛かったのが、この作品。こんな可愛い彼女を振り回すなんて、なんて主人公の直はけしからん奴なのだ。間違いながらも、最後には結ばれる。甘酸っぱくて美しい青春ストーリーです。こちらも文庫本1冊分で読んでみたかったお話です。

田口仙年堂「ポケットの中の女神」

 男女のモノローグが台詞になっていて、それだけで話が進んでゆくアイデアと技量が詰まった作品。ストーリー運びも起承転結がしっかりしていて、安定感があります。ただし、展開の意外性やキャラクターの個性がはっきりせず、他の作品に埋没してしまった印象も受けました。

竹岡葉月「金曜日は恵比寿屋に行く」

 秘密の場所という設定のわくわく感、ストーリー展開の意外性、キャラクターの個性ががっちり結びついた素晴らしい作品。他の多くの作品が、「15cm」という題材を短い、小さいものとして扱うなかで、この作品は15cmを大きな存在として描いています。

羽根川牧人「アイスキャンディーと、時を重ねる箱」

 「15cm」という題材を5寸の重箱(4段重ね)でとして扱ったアイデアには唸らされました。ただし、タイムトラベルものとしては平板な印象。もう一捻り欲しかったかも。

御影瑛路「無事女子にフラれる、夏」

 ライトノベルで、ここまで主人公(そしてその向こう側にいる読者)に気持ち悪さをストレートに打ち出すとは恐れ入りました。別のブログで指摘されていますが、15cm=Cカップはとてもキモい。この特殊なリアルさには、批評性さえ感じます。けれども、頑張れキモオタ。その気持ち悪さと勘違いこそが青春だ。

水城水城「思春期ギャルと「小さい」オジサン」

 思春期のギャルが父親との関係を修復するまでのハートウォーミングな作品。近年のライトノベルにしばしば現れる家族もののなかでも、「父親」がきちんと登場する点で珍しく、大変意義深い作品だと感じました。

築地俊彦「隣の〇〇〇さん」

 キャラクターの強烈さでは、十五夜さんと並んで一、二を争います。15cmが壁の厚さというのも、あっと言わせます。築地俊彦は、『まぶらほ』の『月刊ドラゴンマガジン』連載で鍛えられた短編の名手です。エキセントリックな香澄に、削岩機を振るう少女は、『まぶらほ』短編を思い起こさせます。

森橋ビンゴ「彼女は絵本を書きはじめる」

 登場人物は作家の妻と翻訳者の夫で、名前は伏せられていますが『東雲侑子』シリーズの後日談です。時系列的には、『この恋と、その未来。』の後かと思われます。15cmとは新しい生命の尊さのこと。ライトノベルらしからぬ、大人な物語です。

井上堅二「僕とキミらと15センチにまつわる話」

 こちらも登場人物の名前は伏せられていますが、『バカとテストと召喚獣』の後日談です。こういう特別篇を読むことができるのが、アンソロジーの楽しみでもあります。

野村美月“文学少女”後日譚 つれない編集者〈ミューズ〉に捧げるスペシャリテ

 こちらは明確に『“文学少女”』シリーズの後日談。作家になった心葉と編集者になった遠子がお互いの距離をもう一歩縮めようとする、甘く温かいお話です。このお話目当てに購入した方も多いと聞きます。この間、商業媒体で新作を発表していない野村美月が、久々に発表した作品ということでも注目されます。(ヒストリカル・ファンタジーへの挑戦の補足も参照のこと。)台湾で同シリーズの愛蔵版が出たことに伴って書き下ろした特別篇とのことです[執筆作家一言コメント:p.421]

総評

 以上、『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』に収録された全20作品を簡単に紹介しました。私のなかで特にポイントの高かった作品は、石川博品「七月のちいさなさよなら」、佐々原史緒「甘やかなトロフィー」、竹岡葉月「金曜日は恵比寿屋に行く」、御影瑛路「無事女子にフラれる、夏」、築地俊彦「隣の〇〇〇さん」の5作です。

 いずれの作品も、核となるアイデア、世界設定、ストーリー展開、キャラクターの個性が噛み合っているのは勿論ですが、これらの要素が短い尺のなかでこそ輝いているところに特徴があります。逆に言えば、これより長い尺を用意した場合、このバランスは崩れてしまうのではないでしょうか。

 一方で、文庫本1冊分(約300ページ)くらいの長さで改めて読んでみたいと思った作品もあります伊東京一「ジャンパーズ・ダイアリー」、くさなぎそうし「華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会」、三田千恵「たった一人のお客さん」がこれに当たります。これらの作品は、要素は出揃っていて良いお話なのですが、それを生かす尺が足りず心残りでした。とはいえ、今回の作品を元にした長編が発表されることもあるかもしれません。ファミ通文庫の新しい展開を予期させる企画が世に問われたことを、心から歓迎したいと思います。

 

【参考文献】

井上堅二ほか『ショートストーリーズ 僕とキミの15センチ』(ファミ通文庫1629、2017年10月発売)

僕とキミの15センチ(ファミ通文庫) - カクヨム(2017年11月28日閲覧)

『19周年記念企画ファミ通文庫ネクスト!』 - FBonline(2017年11月28日閲覧)

 

物語のなかのフィクション ― 枯野瑛『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』

 どうも、こんにちは。おかげさまで、3000PVを達成しました!お付き合い下さった皆さまのおかげです。さて、今回はもう少し新しい作品――特に読み応えのあるファンタジー作品を、今回は紹介してみたいと思います。

 この間、(転生ものではなく)純粋に異世界を舞台とした作品としては、2017年4月にアニメ化された、虎走かけるゼロから始める魔法の書』既刊10巻(電撃文庫、2014年2月~)がありますし、第18回ファンタジア長編小説大賞(2006年)受賞以来、ファンタジー作品で活躍し続けている細音啓が『世界の終わりの世界録〈アンコール〉』(MF文庫J、2014年7月~2017年5月)を先ほど全10巻で完結させています。

 

 こうした良質なファンタジー作品のなかでも、枯野瑛終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』(全6巻、角川スニーカー文庫、2014年11月~2017年2月)は、キャラクター、ストーリー展開、テーマのいずれをとっても読み応えがある良作です。本作は2017年4月にアニメ化されて注目されましたが、作者本人がシリーズ構成と脚本の一部を務めるなど、アニメとしても非常によい出来栄えのものだったと思います。

 何せ第1巻の表紙からして印象的です。ヒロインが苦しさの混ざる表情で涙を流しながら、その体に不釣り合いなほどの大きな武器を持って、決然とこちらを向いて立つ姿を見て、どうして心が動かされずにいられるでしょうか――。すでに知名度もある作品ですけれども、本作の構成の特徴と刊行の経緯、そしてアニメからはどうしても見えにくくなってしまう本作のもう一つの側面について、今回は語ってゆきたいと思います。

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スニーカー文庫公式サイト - 『終末なにしてますか?』シリーズ

終わりかけの世界がおりなす温かな日常

 最初に本作の基本的な設定を見ておきます。――人間族〈エムネトワイト〉が十七種の獣によって地上世界ごと滅ぼされて500年、文明を持つ生き物たちは地上を追われ、魔法の力によって空に浮かぶ浮遊大陸群〈レグル・エレ〉にしがみつくように暮らしています。主人公のヴィレム・クメシュは、ある偶然から500年もの眠りから覚めた人間族の最後の生き残りで、生活のために辺境の島に赴任することに。そこは、十七種の獣から浮遊島群を守るために戦う妖精たちが暮らす施設でした。そこで出会った妖精たち、なかでも空色の髪と海色の瞳の妖精クトリと、主人公ヴィレムは静かに仲を深めてゆくきます。

 

 ストーリー展開の方ですが、序盤では、主人公とヒロインが仲を深める過程は、町での出会い、施設での交流、戦い方の教授、戦地からの帰還……とストーリーは淡々と進んでゆきます。主人公のヴィレムは準勇者〈クァシ・ブレイブ〉と呼ばれた元戦士で、今は戦うことが出来ない代わりにクトリたちに戦い方を託そうとします。戦場と日常、過去と現在とのあいだに絶望的なまでの距離があるなか、主人公の青年はすべてを受け入れているようにも見えます。

 中盤からは、主人公もまた戦場へと足を踏み入れることになり、さらにクトリの謎の病気の原因が500年前の過去と関係があることが明らかになってゆくなど、戦場と日常、過去と現在とが徐々に入り交じってゆきます。

 このように世界設定とストーリー展開を整理しますと、終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』は、戦場と日常、過去と現在、過去の滅びた世界の謎と現在のクトリの病気の謎といった対立する二元的な構造が複雑に入り交じってゆくという物語の構成をとっていることが分かります。ここに作者による繊細な筆致で悲劇の味付けがなされ、次の展開の読めなさから、読者はこの作品にはらはらしながら惹きこまれることになるのです。

 

 『すかすか』という作品は、「セカイ系」の作品だとしばしば考えられているようです。世界の命運と主人公とヒロインのあいだの恋愛が直接に結び付いている」という、セカイ系の一般的(あるいは通俗的)な定義に、当てはまるようにも見えます。また、作者自身も「セカイ系」であるかは留保しつつも、「当然意識して書いています」と述べています[インタビュー:70ページ]

 ただし、作者は別のところで、タイトルにある「終末」とは「世界の終わり」のことでなく、登場人物たちの「個人的な終末」のことであると明言しています[そこあに増刊号:vol.31]。後で述べるように、『すかすか』は最初は2004年頃に考えられた物語で、その頃は「セカイ系」が大いに流行していました。けれども、『すかすか』を詳らかに読むと、世界の運命と主人公たちの動きは関連していながらも、主人公たちは世界の運命を動かしえない展開となっています。つまり、『すかすか』という物語は、当時の「セカイ系」の影響を乗りこえてゆくことで現在の形になったと推測できます。

 むしろファンタジー作品として受け止めたとき、世界の運命と主人公の動きが関連する構成には違和感はありません。さらに、近年の「なろう系」のヒットを受けたファンタジー作品がドラゴンやオークなどを無前提に出すことなかで、本作は、こうした世界を過去の滅びた世界のものとし、現在の世界を生き延びた獣人たちが文明を共有して何とか生きているものとして描いています。ここにも過去と現在の二元的な構造がおり込まれていて、この作品の世界設定がファンタジー作品として特徴あるものに仕上がっています。

ヒットに至る苦難の道のり

 『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』がヒットに至るまでは、実に険しい道のりを経なければなりませんでした。第2巻「あとがき」では、「実は1巻の売れ行きがちょっと寂しいものであったようなので、そもそも3巻がお送りできるのかについて現在時点ではお約束できません」とあります[枯野あとがき:2巻285ページ]。実際には第2巻打ち切りが決まっていた模様です[インタビュー:68ページ] 。

 第1巻時点であまり話題にならなかったのは、ある意味で仕方がなかったのかもしれません。先ほど整理したように、『すかすか』の構成が複雑であるため、読者によっては難しくてよく分からないといった感想となる場合があったと思われるからです。加えて言えば、世界設定とストーリー展開がしっかりしているなかかで、キャラクターはこの枠内に強く規定される存在です。「おとーさん」と呼ばれる青年の葛藤など、なかなかに渋すぎます。要するに、キャラクターを強く押し出さなかったということです。

 

 けれども、第2巻が刊行されることで、世界設定とストーリー展開がだんだんと見えてくるようになり、キャラクターの位置取りがはっきりすることによって、状況は一変します。第2巻刊行(2015年12月末)の直後のタイミングで行われた、2014年下半期ライトノベルツイッター杯で新規部門第3位を獲得し、その話題が電子書籍の売り上げに繋がりました(Amazon電子書籍売り上げランキング第1位)。これによって第3巻の刊行が急遽決定され、シリーズ続刊となります[同上:68-69ページ]

 その後、ライトノベルツイッター杯では2015年上半期・下半期と2期連続で第1位を獲得し、2017年4月からはアニメが放送。放送終了時の夏の時点で、シリーズ累計65万部、電子書籍ダウンロード数が10万以上となるなど不動の人気を誇り、スニーカー文庫の代表作となるに至りました。

 こうしたヒットに至る展開から分かることは、ネットにおける口コミが重要な役割を果たしたということです。『このラノ』のアンケート結果を見ても、ライトな読者層よりもヘビーな読者層からの評価が高いことは明らかです。このような傾向自体が、現代日本のライトノベルが置かれている状況を反映しているものと思われます。

 

 さて、作者の枯野瑛もまた大変苦労された方のようです。元は水城正太郎が主催するA-TEAMの出身で、18禁ゲームのノベライズがデビュー作(富士見ファンタジア文庫、2002年8月)。続いて『魔法遣いに大切なこと』のノベライズを務めてから、『てくてくとぼく。 旅立ちの歌』(同、2004年8月)で初のオリジナル作品を刊行しています。しかし、『銀月のソルトレージュ』全5巻(同、2006年11月~2008年4月)を除いてあまりヒットに恵まれていません。5年ほど作家活動をしていない時期もあります。作者自身の「あんまり新しくない作家」と自己紹介するのはこうした経緯のためです。

 また、『セイクリッド・ブレイズ』(フライト・プラン、2009年)のメインシナリオとノベライズ(ファミ通文庫、2009年3月)や『サモンナイト5』(バンダイナムコ、2013年)のメインシナリオなど、ゲームの仕事もしています。

 『すかすか』の刊行経緯も苦難に満ちていたようです。元の企画は「10年ぐらい遡ります」と言っており[同上:67ページ]、第5巻「あとがき」で「十二年前」で「この後波瀾万丈な経緯をたどることになる」と書いているので[枯野あとがき:5巻369ページ]、2004年頃であったと推定されます。「セカイ系」を意識していたのはその頃であった模様です[そこあに増刊号:vol.21]ライトノベルの動向がこの10年ほどで大きく変化したことを改めて確認させられますね。それが2013年くらいに別レーベルで刊行に向けて用意していていたものの流れてしまい、『echo ―夜、踊る羊たち―』(ファミ通文庫、2004年9月)の編集者に個人的に持ち込んだところ、スニーカー文庫から刊行されるに至ったといいます[インタビュー:67ページ]。各種インタビューにその編集者G氏(具志堅勲)もしばしば同席していることから、かなりの信頼関係にあることが窺えるでしょう。

フィクションの入れ子構造

(a) 創作物語〈フィクション〉という謎のキーワード

 あまり注目されていませんが、『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』のなかで何度か出てくる特徴的な言葉があります。創作物語〈フィクション〉という言葉です。わざわざルビを振っていながら、世界設定のなかで位置づけられている形跡がありません。例えば、最初に出てくる箇所を見てみましょう。

「『この戦争が終わったら、俺、結婚するんだ』とか」

「……いや、それ、あんま縁起のいい言葉じゃねーぞ」

 自分がまだ正規勇者〈リーガル・ブレイブ〉に憧れるだけの小さな少年だったころ、彼らが大活躍する創作物語〈フィクション〉を好んで読んでいたことがある。そのころの記憶によれば、いま“娘”が挙げたような言葉は、発言者が非業の死を遂げる前振りとして多用されているものだったはずだ。[枯野:1巻12ページ]

このように、作中で自己言及的に物語について語るシーンなのですが、こうした場面が繰り返し現れます(例えば、第1巻98・248ページ、第2巻25ページ、第5巻220-21ページ)。考えてみれば奇妙な話です。読者はこの作品がフィクションであることを知っていますが、そのなかにフィクションがあることをどのように受け止めたらよいのでしょうか。

 改めて『すかすか』を読んでみて気付くのは、本、日記、記録晶石、古文書、報告書といった記録に関する物が次々に出てくることです。いずれも、戦場と日常、過去と現在、過去の滅びた世界の謎と現在のクトリの病気の謎といった対立する二元的な構造をつなぐ物であることが理解できるでしょう。

 

 しかし、本作のなかで創作物語〈フィクション〉は、対立する二元的な構造をつなぐ物ではありませんし、フィクションはあくまでも創作であって記録に関する物でもありません。むしろ、フィクションのなかにフィクションがあるという二重の構造は、要するに入れ子のようになっているということが問題のはずです。

 物語の入れ子構造として整理すると、これが中盤以降のストーリー展開と密接に結び付いていることが分かります。過去がヴィレムやクトリを徐々に浸食し、登場人物たちが過去に何があったのかを知ろうと動き回ります。さらに第4巻では、この物語の核心部分である過去を覗きこむパートです。ただし、登場人物の口から過去の種明かしがされるのではなく、ヴィレムたちが何者かによって作り出された「過去の世界」に迷いこむなかで追体験をするという形式をとります。ここにおいて、過去と現在は対立する二元的な構造から入れ子状の二重構造へと転換するのです。

 そう考えますと、『すかすか』において創作物語〈フィクション〉とは、物語の内部に向かっての(作者自身の)自己言及的な語りに留まらず、その後のストーリー展開へとつながる布石としての役割を持っていることが推察できます。傍証として、創作物語〈フィクション〉という言葉が、中盤から終盤にかけて姿を消し、第5巻で記憶を失ったヴィレムが語るシーンおよび、外伝で童話〈フェアリーテール〉として登場します[枯野:5巻220-21ページ、EX174ページ]

 

(b) 入れ子状の物語の位置

 物語のなかに登場人物の語りがあるという構造は、文学の形式としてはよくあるものです。よく知られた作品としては、夏目漱石こゝろ』(1914年)が挙げられるでしょう。語り手「私」が先生について語る形式ですが、下(第3部)では先生の遺書を通じた先生の語りによって構成されています。それより約100年前の作品である、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(Frankenstein: or The Modern Prometheus, 1818)は、ロバート・ウォルトンによる姉への手紙という形式をとりながら、その中でヴィクター・フランケンシュタインの語り、さらにその中で怪物の自己語りが入るという三重構成となっています。

 これに対して、『すかすか』の構成はもう少し複雑です。第4巻における入れ子状の過去と現在の物語は、主人公であるヴィレムという同一人物の目線から行われています。加えて第5巻では、この世界の成り立ちについての神話が第三者から語られています。しかし、入れ子状の構成になっていることを踏まえれば、それほど混乱なく読むことができると思います。

 

 実は世界設定でも、明確な二重構造が確認できます。浮遊大陸群〈レグル・エレ〉と第四倉庫という二つの閉鎖された空間です。前者は、この世界の基本的な設定であり、滅びてしまった地上世界に対して生き物たちに残された最後の楽園です。後者は、ヴィレムとクトリの日常が繰り広げられる舞台であり、黄金妖精〈レプラカーン〉たちが戦士としてでなく兵器として管理されている閉ざされた楽園です。両者の関係は、対立する二元的な構造ではなく入れ子状の二重構造です。

 興味深いことに、この閉ざされた二つの空間を、作者は明確に「箱庭」と呼んでいます。『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』の最初のタイトル案は、『箱庭世界の天使と悪魔』であったといいます[インタビュー:68ページ]。私の理解では、「箱庭世界」という言葉遣いに世界設定としての箱庭=浮遊大陸群〈レグル・エレ〉と、舞台としての第四倉庫が二重映しになっていたのではなかと思います。天使と悪魔は対立する二元的な構造ですから、原タイトルにおいて二重構造と二元的構造がおり込まれていたのかもしれません。

 蛇足ながら、枯野瑛以前の作品でも物語の二重構造が確認できます富士見ファンタジア文庫から刊行された『銀月のソルトレージュ』なのですが、騎士と剣と魔法の世界が実は物語の世界でなく、現在も社会の裏側で現在も繰り広げられる本当の「御伽噺の世界」であったという世界設定を組んでいます。ここに『すかすか』へと繋がる要素を読み取ることができるでしょう。

 

 ここまで述べてきました『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』の特徴的な構成(対立する二元的な構造から入れ子状の二重構造へと展開する構成)は、アニメではどうしても見えにくくなってしまう側面です。もちろん、冒頭で述べたように原作者がアニメのシリーズ構成と脚本の一部を担当しているので、作品の根幹部分はきちんと示されていますから、結局のところ仕方ない話なのかもしれませんけれども。

 相変らず、色々と話をこねくり回して考えてみました。まったく当たらないと作者や編集者が「けけけ」と笑っているかもしれません。とはいえ、『すかすか』には謎や伏線を幾重にも仕込まれ、読者にはほとんど明かされないような謎も埋め込んでいるということです[そこあに増刊号:vol.24]特に今回は、第2部である『終末なにしてますか?  もう一度だけ、会えますか?』については語っていません。皆さんも、『すかもか』も含めてあれこれ考えを巡らせてみてはいかがでしょうか。今回もお付き合い、ありがとうございました。

 

【参考文献】

枯野瑛終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』(角川スニーカー文庫18836、2014年11月発売)

枯野瑛終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #02』(角川スニーカー文庫18940、2015年1月発売)

枯野瑛終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #05』(角川スニーカー文庫19683、2016年4月発売)

・「枯野瑛インタビュー」(『このライトノベルがすごい! 2006』所収、宝島社、2015年12月)

そこあに増刊号「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」特集 vol.21(2015年2月19日)

 ・そこあに増刊号「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」3巻発売記念特集 vol.24(2015年7月2日)

そこあに増刊号「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」5巻発売記念特集 vol.31(2016年4月7日)

 

 

ヒストリカル・ファンタジーへの挑戦 ― 野村美月『アルジャン・カレール』

 こんにちは。7月の3連投で力尽きて気が付けば9月になっていました。それでも嬉しいのは、4月以降のPV数が5ヶ月連続で100件を超えたばかりか、7月・8月と200件を超えて、累計2500PVを達成したことです。毎度毎度、読むのが大変な長文を投稿している割に、読んで下さる方がいらっしゃるのは大変嬉しいことです。

 

 さて、今度こそ新刊を取り上げようと思ったのですが、今回ご用意した作品は、野村美月『アルジャン・カレール~革命の英雄、或いは女王の菓子職人~』上下巻(ファミ通文庫1365・1366、2014年10月発売)です。――あれ、もうそんなに経ってたの?! すみません、3年前のものでした。

 野村美月は私の大好きなライトノベル作家の一人で、この一年ほど新作を出していないのが気がかりです。流行すたりとは関係なく、常に彼女にしか書けないような独自の作品を出し続けている実力派作家が取り組んだヒストリカル・ファンタジーという耳慣れないジャンルの作品について、今回は語ってみたいと思います。

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ファミ通文庫◆FB Online◆ | 2014年10月の新刊

実在した伝説の菓子職人をモデルとする物語

 最初にこの作品のあらすじを確認しておきましょう。舞台は聖歴1812年のフロリア国の首都パリゼ。かつて国防軍の英雄として名を馳せたアルジャン・カレールは、かつての革命の混乱の治まった町で菓子職人として働いています。彼は町にパティスリーを構えながら、マリー=ロクサーヌ女王に仕える菓子職人でもある人物です。この作品の語り部であるオーギュスト・ラ・グリューは駆け出しの劇作家で、ある日町のパティスリーでこれまで知らなかったような菓子とアルジャンに出会うところから物語は始まります。

 さて、「あとがき」でも述べられているように、アルジャン・カレールとは実在した伝説の菓子職人アントナン・カレーム(Marie-Antoine Carême, 1784-1833)のことであり、したがって舞台も19世紀前半のフランスのパリがモデルとなっています[野村あとがき:上巻249ページ]。貧困家庭に生まれながら、革命の混乱を経て政治家や貴族に使える料理人にまで出世し、「歴史を動かすデザート」を作ったと評される天才的菓子職人という姿はそのまま反映されています。一方、ロクサーヌ女王のモデルについてははっきりとは書かれていません。しかし、下巻で行われた国際会議でアルジャンを用いて交渉を有利に進めたエピソードから、フランスの政治家タレーランCharles-Maurice de Talleyrand-Périgord, 1754-1838)がモデルと思われます。この他、軍事の天才であるバルトレオン将軍は、ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte, 1769-1821)がモデルです。

 

 作中のアルジャンは、目の鋭い寡黙で謎に満ちた男ですが、時折見せる優しさが周囲の人々の心を掴みます。とはいえ、無口で淡々とした人物を主人公にしているため、そのままでは物語が盛り上がらないことから、語り部と仲介者を用意しています。まず、語り部としては、お菓子の大好きな貴族の三男坊であるオーギュスト(特定のモデルはいないようですが、デュマを意識している気がします)。次にこの二人を結ぶ役割を担う役として、アルジャンの店で働く弟子のニノン・エーメが配されています(こちらはプリュムレがモデルでしょうか)

 ストーリー展開は、オーギュストとアルジャンとの交流しさまざまな人と関わってゆくなかで、アルジャンの過去の秘密やロクサーヌ女王との関係が明らかになってゆきます。オーギュストが関わる人々が次々と登場し、序盤から中盤にかけてパリゼの町を舞台にして、物語を明るく賑やかな、時に切ないどたばたコメディーが進みます。これに対して、終盤ではウィーン会議をモデルとしたクライスラー会議でのアルジャンの活躍が描かれます。各国の政治的駆け引きのなかで、知性と意志の優れた若き女王と、彼女と強い信頼で結ばれた寡黙な菓子職人の緊張感に満ちた政治劇が進みます

ヒストリカル・ファンタジーとは何か

 ここまで確認してきたように、野村美月『アルジャン・カレール』は、実際の人物と歴史をモデルとした歴史小説的な性格を持ちます。上巻の裏表紙カバーにある「あらすじ」には「後に“菓聖”と呼ばれることになる青年の伝説を描く、ヒストリカル・ファンタジー」とあり、初版の帯にも「菓子が彩る架空歴史物語〈ヒストリカル・ファンタジー〉」とルビを振って書かれています。

 このヒストリカル・ファンタジーという、ちょっと耳慣れない言葉は何でしょうか。日本語でインターネット検索をかけても出てこない言葉です。ですが、英語でhistorical fantasy と検索すると結構出てくるので、向こうでは比較的知られたジャンルの名称であるようです。試みに英語版ウィキペディアを見てみましょう。

ヒストリカル・ファンタジーとは、物語に幻想的な要素(魔法など)を取り入れた歴史フィクションのファンタジーとジャンルのカテゴリである。ファンタジーの他のサブジャンルとの間には多く重なる部分があり、アーサー王ものケルトもの、ダークエイジ(中世)ものなどに分類されるものは、ヒストリカル・ファンタジーに簡単に配置することができる。(以下略)[histotical fantasy、英語版wikipedia

 

 こうした説明から、おおよそ歴史小説+ファンタジーの小説ジャンルであることが判ります。ただし、日本語でいう「歴史小説」とは、より厳密に言うなら、実際に起こった歴史を描くものですが(代表的なのが山岡壮八『徳川家康』)ヒストリカル・ファンタジーはあくまでフィクションです。むしろ、時代設定を借りて架空の物語を描く「時代小説」の語の方が近い意味を持っているように思えます。ただし、「時代小説」という言葉は主に日本だけで用いられている独特の概念であるようです。

 先に引用した英語版ウィキペディアによると、以下の4つのパターンがあるようです。①魔法や神話の生き物などは一般には知られていない世界で、さまざまな歴史的事件の知られざる裏側をなしているパターン。②パターン①において歴史的事件が実際とは異なる結果となって、過去および現在が改変されるパターン。③他のファンタジーが世界設定を仮構するのに対し、実在の場所と時代を世界設定に用いるパターン。④実際の歴史に似ている架空の歴史を扱うパターン。また、補足としてスチームパンクと重なる側面があることも指摘されています[同上、英語版wikipedia。ということは、野村美月『アルジャン・カレール』は第4のパターンということになりそうですね。

 

 以上の説明を踏まえたとき、現代日本のライトノベルではヒストリカル・ファンタジーとされる作品は少ないようにも思えます。私の勉強不足だったら情けないのですが、ホントに思いつきません。バトル・ファンタジーや戦記ファンタジーはたくさんあり、そのなかでも、春日みかげ織田信奈の野望』既刊22巻(GA文庫富士見ファンタジア文庫、2009年~)は主人公が現代世界から飛ばされる異世界転生ものですが、ヒストリカル・ファンタジーと言えなくもないでしょう。あるいは、川口士魔弾の王と戦姫〈ヴァナディース〉』既刊17巻(MF文庫J、2011年4月~)は中世ヨーロッパをそれなりには意識していますが、それほどこだわりがあるようには思えません。

 しかし、1980~90年代には中国ものや戦記ファンタジーが得意な田中芳樹がヒットしていました(個人的には『マヴァール年代記』角川ノベルズ、1988~89年が秀作だと思います)女性向けの作品に関して言えば、小野不由美十二国記』(講談社→新潮社、1994年~)や雪乃紗衣彩雲国物語』全22巻(角川ビーンズ文庫、2003年10月~11年7月)、あるいは結城光流少年陰陽師』既刊51巻(角川ビーンズ文庫、2002年~)も有名でしょう。男性向けの数少ない作品としては、陰陽師ものの秀作である渡瀬草一郎陰陽ノ京』全5巻(電撃文庫、2001年2月~2007年3月)、時代劇+魔法+怪異譚という異色の組み合わせを行った田名部宗司幕末魔法士』全3巻(電撃文庫、2010年2月~2011年8月)があります。また、忘れてはならないのは、中世ヨーロッパ経済史を下敷きにした支倉凍砂狼と香辛料』既刊19巻(電撃文庫、2006年2月~)でしょう。こちらは専門家からの評価も高いと聞きます。他のヒストリカル・ファンタジーと違って政治的な事件が絡まない分、ストーリー展開の自由度も高いのではないでしょうか。

 

 こうして見ると、現代日本のライトノベルでは、ヒストリカル・ファンタジーは男性よりも女性の方に強く支持されていることが判ります。また、男性向けでも、上に示した渡瀬総一郎や支倉凍砂は女性読者が多い作家ですし、田名部宗司幕末魔法士』は女性が主人公の作品です。非常に気になる問題ですが、これを論じる材料を持ちませんので、皆さんのご意見も聞いてみたいところです。

 他方で、ヒストリカル・ファンタジーがあまり出回らない理由は、それなりに推測できます。第1に、歴史的過去を題材とすることで、作者と読者のあいだで歴史についての知識や認識が共有されなければならないという点です。これは作者にとっても、読者にとっても大きな負担でしょう。なぜなら、作者は歴史について膨大な調査が必要で、刊行スピードが速いライトノベルではなかなか骨が折れることだからです。また、読者も必ずしも前提となる知識や認識を共有しているとは限らず、難しいと読者を選んでしまいますし、説明が多いと文章がくどくなってしまいます。第2に、読者が歴史についての知識や認識を知っていたら知っていたで、作品上の歴史の動きがある程度予期されてしまう点です。先の流れが分かる小説は、なかなか苦しいものがあります。

 そして、何より第3に、ライトノベルのキャラクター小説としての性格に由来する問題です。キャラクター小説は何よりもキャラクターが命ですから、世界設定にキャラクターが縛られるよりも、キャラクターを引き立てる舞台として世界設定を行った方がよいことになります。ヒストリカル・ファンタジーというジャンルそのものが、ライトノベルと相性が悪いとしたらこの点は決定的でしょう。

野村美月の挑戦

 このように考えてみると、『アルジャン・カレール』は2つの困難に挑んだ作品だということがお分かりになるでしょう。つまり、ヒストリカル・ファンタジーという困難と、無口で淡々とした主人公という困難です。ベテラン作家である野村美月は、当然ことのことを自覚していたでしょうし、だからこそ挑戦の意義は大きかったと私は考えます。

(a) 挑戦し続ける作家として

 そもそも、野村美月は常に新しい機軸に挑戦し続けてきた実力のある作家でした。2001年に第3回ファミ通エンタテイメント大賞の小説部門最優秀賞を受賞した『赤城山卓球場に歌声は響く』シリーズ全4巻(以下いずれもファミ通文庫、2002年2月~03年6月)は合唱団をメインに据えた非常に珍しい作品ですし、並行して刊行された『天使のベースボール』全2巻(2002年4月~03年7月)も、これまた野球をテーマにした珍しい作品です。コメディ作品としては『Bad! Daddy』全4巻(2003年10月~04年7月)があります。主人公の女の子が正義の味方で、パパが悪の総帥なのですが、パパは娘を溺愛していて必殺技は「パパパンチ!」。次に出したのが、『うさ恋。』シリーズ全5巻(2004年12月~05年11月)で、こちらは前作とは真逆の純愛ストーリです。

 以下、代表作である文学ミステリの『“文学少女”』シリーズ全16巻(2006年5月~11年4月)、恋愛ミステリの『ヒカルが地球にいたころ……』シリーズ全10巻(2011年5月~2014年4月)、教師もの+ファンタジー『ドレスな僕がやんごとなき方々の家庭教師様な件』全8巻(2012年2月~15年9月)、吸血鬼+演劇の『吸血鬼になったキミは永遠の愛をはじめる』全6巻(2014年5月~16年2月)など、どれも他の作家には書けないようなオリジナリティある素晴らしい作品が並んでいます。

 

 また、読書家・勉強家としても知られ、巻末の参考文献のリストはとても勉強になります。今回、『アルジャン・カレール』の巻末に掲げられている参考文献は実に13冊を数え、実際にはもっと多くを読んだうえで作品を作っていることでしょう。このなかでも、イアン・ケリー『宮廷料理人アントナン・カレーム』(村上彩訳、ランダムハウス、2005年)と池上俊一『お菓子でたどるフランス史』(岩波ジュニア新書757、2013年)は特に本書と併せて読むことをお勧めします。

 野村美月ツイッターを見ると、とにかくお菓子の話が多いのに気付きます。その意味で、本作が作者の趣味が大いに入った作品であることは間違いなさそうです。もちろん、フィクションですからお菓子に関するエピソードには虚実が入り交じっています。実在のアントナン・カレームは、クリーム絞り器の改良や立体的なピエス・モンテの発明を行っていますが、エクレアを初めて作った人物ではありません。その他、作者自身が述べているように、アルジャンの修業期間が短すぎるという矛盾もあります。同じ箇所で作者は、普段物語を作るときは、真実8:嘘2の配分で書くが、本作では真実2:嘘8の配分で書いたと述べています[野村あとがき:上巻249-50ページ]創作のスタイルそのものまでもが挑戦的であったことということです。

(b) 歴史を書くことの困難:あるいはハッピーエンドと社会の破れ目のはざまで

 ここで注目したいのは、いつもの真実8:嘘2の配分でなく、真実2:嘘8の配分で書いたのはなぜかという点です。それはヒストリカル・ファンタジーをライトノベルで書くうえでの困難と結びついていると思われます。上記の修業期間の短さについては、ヒロインの年齢問題について作者が述べています(史実通りだと、ロクサーヌ女王の年齢は30歳台以上になってしまうのです)。加えて、無口で淡々とした主人公の天才性を際立たせるという側面もあったことでしょう。

 その結果、フランス革命から王政復古期へというフランス近代史の複雑にして重要な局面はかなり省略されています。その結果、革命の過程は10年短くなっています。以下に年表を掲げましょう。

【現実=西暦】

1789年 フランス革命勃発

1791年 憲法制定、立法議会が成立

1792年 革命戦争が発生、周辺国が侵略

1793年 ジャコバン派独裁、ルイ16世処刑

1794年 テルミドールのクーデター、翌年に総裁政府が成立

1799年 ブリュメールのクーデター、執政政府が成立

1804年 ナポレオンが皇帝に即位

1805年 アウステルリッツ三帝会戦

1813年 ナポレオンがロシア遠征に失敗

1814年 王政復古ウィーン会議

1815年 ナポレオンの百日天下ワーテルロー会戦

1830年 七月王政

【作品=聖暦】

1799年 革命勃発

この間 国王一家処刑、ロクサーヌらは亡命。国内混乱

1809年 バルトレオンがロクサーヌ女王を担いで王政復古

1813年 バルトレオンが東方遠征に失敗

1814年 クライスラー会議

1816年頃 バルトレオンのナスタシア遠征失敗と失脚

 本作はあくまでフィクションですから、政治的な出来事が実際の歴史と合わないこと自体は問題ではありません。むしろ重要なのは、人々の生きた社会のありようの変化についてです。これは本作で統治者としてのロクサーヌ女王が繰り返し語る重要なテーマです。彼女が女王に就任するきっかけとなった演説を見ておきましょう。

 汚れた顔をぬぐおうともせず、ロクサーヌは目を強く輝かせ、台の上から民衆に向かって叫んだ。

「革命を起こして、国は豊かになったでしょうか! 平和になったでしょうか! いいで! わたくしたちのフロリアは、以前よりも貧しく、戦争の絶えない哀しい国になってしまいました!」(中略)

 雨に降りかかる薔薇色の髪を劇的にかきあげ、振りやり、握りしめた手を高くかかげて叫ぶ。

「革命政府は過ちを犯しています! このままではフロリアの国は、諸外国に割譲されてしまいます!」

 わたしはまず、この国に安定を取り戻したい! そしてなにおり、この国を豊かにしたい! みんなが自由に職業を選び、一生懸命に働いた分だけお金持ちになり、贅沢を楽しめるようにしたい! そんな国を作るために、あななたち全員に奉仕したいと――訴え続ける。[野村:上巻233-34ページ]

 ロクサーヌ女王は、革命政府による政治の失敗を批判し、女王主導による秩序の回復と豊かな社会の建設を訴えています。彼女は王党派でありながら、自由な近代社会をつくることを表明しており、その点では自由主義的王政を敷いた七月王政に近い性格を持っているようです。貴族でありながら町の劇場で劇作家をしているオーギュストは、実はこうした政治・社会体制を象徴する人物でもあります。

 

 では、このような社会体制で果たして人々は豊かになれるのでしょうか。彼女が目指しているのは近代的な資本主義社会であって、自由競争によって成功者は豊かになりますが、元から貧しい民衆は伝統的な保護を失って労働者になるほかありません。アルジャンのように貧民から為政者の側近になる例は、むしろ例外でしょう。ロクサーヌの訴えは、この物語のテーマを明示するとともに、ヒストリカル・ファンタジーのなかの歴史を描くことの困難さを呼びこんでいるわけです。

 『アルジャン・カレール』は喜劇作家オーギュスト(大グリュー)の視点によるハッピーエンドの物語です。しかし、作中でも町の民衆や貧民が描かれていて、必ずしも幸せだけでない社会の破れ目が示されています。そして、ビクトル・ユーゴ―『レ・ミゼラブル』(Victor Hugo, Les Misérables, 1862)が、この物語の後の時系列を描いています。1832年と1848年のパリ蜂起はひたひたと迫っているのです。私たちは、真実と嘘の危うい綱渡りのなかで、ハッピーエンドと社会の破れ目がともに存在することを見逃すことはできないでしょう。この部分をきちんと描いているということは、野村美月の実力の高さを示しているように思います。

(c) 本作の意義

 以上論じてきたことをまとめましょう。野村美月『アルジャン・カレール』は、ヒストリカル・ファンタジーに挑んだ現代日本のライトノベルのなかでも稀有な作品と言えます。そこでは、物語と世界設定をつなぐ語り部(=オーギュスト)を配することで、①一方で無口で淡々とした主人公の活躍を描きながら、②他方で語り部によるハッピーエンドと貧困という社会の破れ目とが共存する矛盾に満ちた歴史的世界を描いたところに積極的な意義があるのではないでしょうか。

 ただし、厳しいことを最後に述べておくと、主人公アルジャンと語り部オーギュストという二元的にストーリーが展開することは、一貫性に乏しい印象を与えてしまいます。特にオーギュストの遺稿として物語が語られるという設定でありながら、非オーギュスト目線の話が多すぎるのは、バランスが悪いと思います。そのうえで言いますが、『アルジャン・カレール』は、作品全体を通して、歴史という大きな時の流れのなかで人々が逞しく生きる姿が明瞭に浮かぶ、良質なヒストリカル・ファンタジーであることは間違いありません。

 

 以前、「異世界」とはどのような世界なのかでも論じましたが、近代という「社会」を描くということは大変なことです。ファンタジー作品の多くは前近代を扱っていますし、スチームパンクは貧困や格差そのものが世界設定に織り込まれています。これに対して、独自の世界を作り上げることは並大抵のことではありません。作者は勉強に勉強を重ねたうえで世界を構築することになるのですが、だからこその骨太な面白さが作品に宿ることになることでしょう。野村美月は、ヒストリカル・ファンタジーに重要な足跡を残しました。後に続く人たちによって、このヒストリカル・ファンタジーというジャンルがさらなる発展を遂げることを願ってやみません。

 

【参考文献】

野村美月『アルジャン・カレール~革命の英雄、或いは女王の菓子職人~ 上』(ファミ通文庫1365、2014年10月発売)

野村美月『アルジャン・カレール~革命の英雄、或いは女王の菓子職人~ 下』(ファミ通文庫1366、2014年10月発売)

Historical fantasy - Wikipedia(英語版)(2017年9月7日閲覧)

 

 

(補足)野村美月さんの去就について

 今回取り上げた作者の野村美月さんは、恐らく1970年代後半生まれの女性で、合唱王国である福島県出身。東洋大学文学部の国文学科出身で、独自の文学の解釈や取材のための読書量は本当に凄いと思います。『赤毛のアン』や『若草物語』などの児童文学好きが作風に反映されている方です。さて、先に彼女のこれまでの作品を並べましたが、『ヒカル』シリーズが終わった頃の2014年から新たに1~2巻ほどの作品を立て続けに発表しています。他方で、その後発表したシリーズはいずれも打切りの憂き目にあっており、方向性を模索しているように見えました。

 さらに、「あとがき」によると、2014年に手術を受け、その経過が思わしく無かったのか翌年に2度目の手術を受けて、次の年も療養入院していると報告しています[野村あとがき:吸血鬼3巻314ページ、同4巻314-15ページ、楽園3巻284ページ]。2016年には「売り上げ的にも、体力的にも、もしかしたら私にとって最後の作品になるかもしれないと考えていた」という発言もあります。そして、7月1日のツイッターで長年一緒に仕事をしてきた担当さんが異動し、ライトノベル作家をやめようか悩んでいるという旨の発言をしています。

野村美月 @Haruno_Soraha
『うさ恋。』の後半からお世話になってきた担当さんが、本日づけで異動されました。私にとって本当に最高の担当さんでした。
2016/07/01 21:35:09
https://twitter.com/Haruno_Soraha/status/748857473155538944

ファミ通文庫さんの最初の担当さんは、私の作品を本気で好いてくださる編集さんと最高の絵師さんの3人で、満足のゆく本を作りたいという、私のひとつめの願いを叶えてくださったかたでした。今でも、イラストを見直すたびに嬉しくなります。
2016/07/01 21:40:26
https://twitter.com/Haruno_Soraha/status/748858803366440960

そして、異動された担当さんは、たくさんのかたに、よかった、と言っていただける作品を作りたいという、当時の私がひりひりしながら望んでいた、ふたつめの願いを叶えてくださいました。私の作品の質を彼女以上に高められるかたは、きっといなかったでしょう。
2016/07/01 21:44:09
https://twitter.com/Haruno_Soraha/status/748858803366440960

できれば、最後のみっつめの願いも一緒に叶えたかったです。担当さんが変わったらお仕事はやめようと、ずっと思っていました。実際にそうなってみると、やめるにしても続けるにしても力不足で、ぼんやりしてしまいます。
2016/07/01 21:48:19
https://twitter.com/Haruno_Soraha/status/748860785296715776

 また、その前日付で書かれた「あとがき」でも、この担当さんの話が出てきており、「最後のお仕事」という言葉が使われています。

 この最終巻の完成稿をあげたあとに、ずっとお世話になっていた担当さんの異動が決まりました。一緒にお仕事をさせていただいた十二年間、私が書いてきた作品のどれも、担当さんのお力なしには書けなかったものばかりです。

 今はもう、ただただ感謝の気持ちと淋しさでいっぱいです。

 最後のお仕事で、念願の金髪のお姫さまを書けて、竹岡さんにも、どの女の子もとても素敵に書いていただけて良い思い出になりました。ここまでおつきあいくださった読者の皆さまにも本当にありがとうございました。[野村あとがき:楽園4巻285ページ]

この「あとがき」が刊行された、2016年9月以降、 野村美月さんの新刊は出ていません。執筆・刊行のスピードがとても速い方なので、引退されたのではないかと憶測されているようです。

 一方、ツイッターのプロフィール欄では「ライトノベル作家」と名乗っていますし、同人誌即売会で作家合同誌にもちょくちょく寄稿しているようですから、必ずしも引退とは言えなそうです。とはいえ、現時点では企画・執筆の話も特に聞きませんから、当面は新巻が刊行されないものと私は見ています。

 いずれにしても、引退したとか引退していないとかは外野がとやかく言うことではないでしょう。私自身も一ファンとして野村美月さんのことを見守りたいと思います。したがって、この記述も、あくまでもメモのようなものだと思ってください。

 

 さきほど引用した「あとがき」では、引用部分の前において、野村美月さんが子供の頃に読んだ本を改めて読み返した経験を語っていて、「子供の頃に読んだ本を読み返すのは、とても楽しい、幸せな行為だと思います。[同上:楽園4巻285ページ]と書いています。とても心温まるお話です。

 さらに言えば、子供時代の本に限らず、本を読み返すことそれ自体が楽しく幸せな行為だと私は思っています。もちろん、大人になれば仕事で読まなければならない本や、苦い思い出のある本もたくさんあるでしょう。けれども、それでも本を読み返すことは佳きことだと私は信じまています

 今後も機会を設けて、野村美月さんの本を「読み返す」記事を書いていこうと思いますので、その際もお付き合いいただければ嬉しく思います。

 

【参考文献】

野村美月『吸血鬼になったキミは永遠の愛をはじめる3』(ファミ通文庫1384、2014年12月発売)

野村美月『吸血鬼になったキミは永遠の愛をはじめる4』(ファミ通文庫1416、2015年4月発売)

野村美月『楽園〈ハレム〉への清く正しき道程〈ルート〉 1番目はお嫁さんにしたい系薄幸メイド』(ファミ通文庫1480、2016年1月発売)

野村美月『楽園〈ハレム〉への清く正しき道程〈ルート〉 庶民出身の国王様がまたご愛妾を迎えられるそうです』(ファミ通文庫1510、2016年5月発売)

野村美月『楽園〈ハレム〉への清く正しき道程〈ルート〉 国王様と楽園の花嫁たち』(ファミ通文庫1538、2016年9月発売)

 

(2017年9月16日 一部修正)